12月25日、午前零時の領空権

すきま讚魚

12月25日、零時の領空権

「ルドルフ! 後方から中高度防空ミサイルが一機!!」

「ふっざけんなよ! クリスマスくらい全世界共通平和の日にしやがれクソ人類が!」

「どうやら最新のアクティブレーダーホーミングっぽい! 回避行動とってもどんどん追って来やがる……迎撃するか!?」

「いや、こちらの姿がハッキリ視認されてないなら、それ撃ち落とした瞬間に国際問題だろ!」


 ユーラシア大陸の東側、とある雪の降る空。

 近年の科学の進歩に似つかわしくない、木でできた大きなソリと、立派な体躯の鼻の赤いトナカイがその空の中を猛スピードで駆け上がっていく。


「毎年毎年、ご丁寧なこった! 領土だ領空だの、弾道ミサイルだの、いちいち血の気の多い民族だぜまったくよう!!」


 そう叫ぶトナカイに苦笑し空を駆けるソリに乗った一人の少年が、これまたその乗り物に似つかわしくない大ぶりな携帯式防空ミサイルシステム[RBS 70]をガシャリと構える。

 故郷の大地はもうとうに過ぎて見えなくなっていた。意識を切り替え視界に集中させれば、迫るミサイルと目があったような感覚がした。耳元で風を切る音が消え、スウッと周りの景色が遠のいていく……


「おい! おいっ! カンタロウ! 何ボーッとしてやがる!?」


 叫ぶルドルフの声が遠くに聴こえる。


 あの日と同じ、同じだ。

 弾けて、真っ赤に、ぶすぶすと音を立てて。

 僕は弾け飛ぶんだ。

 あの夏の日のオタマジャクシと同じ——。






 幼い頃、サンタクロースなんていないと思ってた。

 僕の両親は仲が悪く、母親はいつも仕事でいないし、父親は寝ているか起きていてもずっと酒を飲んでいて、気が向いたら僕を空いたビール瓶でブン殴るような人だった。

 誕生日もクリスマスも、その生活の中には存在すらしなかったのだ。


 六歳になり、僕は母方の祖父母と暮らすようになった。

 小学校に行き始めると、同い年の子供が沢山いて共に過ごすという今までに無かった環境の中で、これまでの僕の日常はとんでもない非日常で、僕の持つ常識は大変な非常識だったと思い知らされる事になる。


 自分が生まれた日は、お祝いをしてもらい呪いの言葉をもらう日ではなく

 食卓とは家族で囲むものであり熱湯をかけられる場ではなく

 大抵のお母さんは、暖かい食事を用意して待ってくれている朝早く新聞配達に行ってはボロボロな姿で帰ってこない


 それだけでも六歳そこらの僕には十分すぎるほどの衝撃だったのに。


「おまえ、とうちゃんとかあちゃん居ないんだって?」


 ある日学校から帰ろうとした時に、同じクラスの子に声をかけられた。

 ほとんど話したこともないのに最初から面と向かって「おまえ」呼ばわり。僕に向けられる視線がおかしい、気付いた時にはもう遅かった。


「おまえとはあそばない」

「親いない子とはあそんじゃいけないって」

「この道とおるなよ、のろわれるぞ」

「おーい捨て子」


 たかが生まれて六年の子供でも、あっという間に上下社会を形成できて。

 そこには、両親のいない僕は参加権すら与えられない、小さな小さなコミュニティが完成していた。

 両親が居ないからどうだなんて、彼らがその親から聞かなければ知るはずもないし、わからないはずの話だ。狭い田舎のお茶の間の話題に、僕の身の上話は絶好のカモだったんだろう。

 ああ、大人はなんて汚いんだろう、幼いながらにそう思い世界を呪った。


 朝学校に行けば僕の机だけがそこにないのも。

 頭から牛乳や味噌汁をかけられるのも。

 悪口をつづった僕だけが参加していない交換ノートが大声で読み上げられるのも。


 別に父親からの暴力に比べればマシだった。


 マシだ、というだけで嫌な気持ちにならないわけではないけれど。


 先生達も見て見ぬふりをするのなら、祖父母には絶対悟られてはいけないと思った。

 家に帰れば、僕はよく顔から転んで膝や頬を擦りむく子供になっていた。



 四年生の夏。コンクリートに反射した熱がゆらゆら揺れて、田圃たんぼの水もお湯に変わりそうなほどのうだるような暑さの中。


 学校帰り。コンクリートに押し付けられた顔を踏んづけられた。こんな事じゃもう痛そうな顔すらしない僕が、周りは面白くなかったんだろう。


「ほらよ」


 そう言いながら、顔の目の前にさしだされたのはこの季節には田圃で沢山見かけるオタマジャクシ。

 水から揚げられて両の掌に乗ったそれらは、苦しそうに口をパクパクさせ、悶えるようにウゾウゾと動いていた。


 なんだ……まさかこれを僕の口の中にでも入れるつもりか。真っ先に思いついたこの先の行為は流石に許容出来なくて、僕は精一杯の抵抗を試みる。

 顔を踏む足に、更に体重が掛かった。頬にぎゅりりとコンクリートが食い込む。


(苦しいよ、苦しいよ、クルシイヨ……)

 オタマジャクシの目はそう訴えかけているように見えた。


 嗤う子供達は夏の熱い熱い、太陽で熱されフライパンのようになったそのコンクリートに。小さな命をぱたぱたと撒いた。


 ぶしゅううう!! ぶしゅるるるるぅ……!

 ずるるるるるるっ、ぶすっぶすぶす……


 声にならない叫び声を上げるようにのたうち回り、コンクリートに放たれたオタマジャクシは熱でぐしゃぐしゃに弾けた。熱で小さな身体はめくれひっくり返され、ぷっくりとしていたお腹から空気の抜けるぷすぷすという音を立てて、びたびたと小さな小さな臓物を撒き散らした。


 命が消えていく場面を、数センチの場所で見て、僕は声も出せない。

 残酷に、残酷に、罪悪感のひとつもなく。

 立派な命だったはずのそのカタマリは、「うぇっ、気持ち悪っ」という悪意と嗤い声で生臭く煮えた何か……になってしまった。


 産まれが平等じゃないように

 命も平等じゃない

 平気で踏み躙られる事で

 誰かの自尊心を保つだけの

 空っぽの命が転がっている


 それが世界だと思ってた——。





「……何をボーッとしとるか! バッカもーん!!」


 モノクロの雪景色と、スローモーションに映るミサイルが、急に鮮やかな現実になって舞い戻ってきた。……怒号とゲンコツと共に。


「いっ…! 痛てぇぞクソジジイ!!!」

「旦那ァ! そっちはもう良いんで?」

「ふん、衛星のカメラで追尾なんぞ小賢しい、ブレーカーを落としてきてやったわ!」


 夜空に鳴り響く鈴の。駆け抜けるソリのど真ん中に、恰幅かっぷくの良い男が勢いよく舞い降りる。

 ソリの最後尾でRBS 70の三脚に足をかけていた少年——カンタロウは、殴られた頭を押さえて背後の男に批難めいた視線を送る。


「クリスマスは! 良き出会いと! 幸せな時で満ちる日だ! カンタロウよ、こんな日にシケたツラをするでない!」


 走れルドルフー! 男がそう叫べば、前でソリを引く大きなトナカイが嫌そうに振り返った。


「いやもう流石にソリは時代錯誤が過ぎるでしょ! そろそろ航空便に変えましょう、毎年これじゃ俺も身が持ちませんぜ!?」

「大丈夫だ! お前は誰よりも速い! ホーッホッホォー!」

「こんな時に十八番おはこの高笑いとか良いからッ! どうするよHQ-9コイツ!? 撃ち落とすか師匠ッ!?」


 少年は照準器を覗き込み、目標を捕捉する。


「つーかサンタクロースのソリにこんなモン積んでる時点で、時代錯誤どころか全ての夢見るお子様と壮大な解釈違い起こしてんだろーが!」

「ばかもん! 夢を護るには力がいるんじゃ!」


 ぐわしと頭を抑えつけられた。


「あっ、ばかやめ……照準がッ!!」

「ルドルフー!! そのまま突っ走れ! 墜としたらワシを回収じゃ!」

「おいっ……!!!」

「頭は低くしとくんじゃぞ、カンタロウ!」


 言うなり男は夜空の中に飛び出した。真っ赤な衣装が雪と風の中を、ソリとは真逆に緩く弧を描いて遠くなる。

 男は轟々と唸る風の中、その両の拳を振りかぶり、

 力の限り叫び振り下ろす——。


「ジィーングール! ベェェエル!!!!!」


 巨大な鐘が叩き落とされたような、ごぉぉおおおんっ!! という鈍い音がした。

 いや、実際に叩き落とされたのである。かのご老人に、素手で・・・


 音が聞こえるとすぐに、ソリは高度を下げてUターンし、煤と硝煙にまみれて落下する人物を回収する。


「俺毎年思うんだけどさ、師匠……」


 ドサリと落ちてきた人物の重みで一瞬沈んだソリの上で、すっかり気の抜けた少年は武器RBS 70から手を離し、空に脚を投げ出して座り込んでいる。


「ジングルベルって、破壊の呪文じゃねーよな?」

「よい子には贈り物ギフトを。敵意には鉄槌拳のギフトを。お前もワシの跡を継ぐならこれくらいできねば」

「できるかクソジジイ……!!!」


 寝転がったままの人物に、悪態をつく。

 ミサイルは空中で爆発しており、このまま空を突っ切れば記録上は某国の迎撃完了となるだろう。素手でミサイルと相対したというのに、男は傷一つない身体をどっこらせ…と起こした。

 ぽんと肩を抱かれる。出会った時から変わらない、ふかふかで力強い大きな手だ。


「メリークリスマス、カンタロウ。お前がワシの元に来てくれた事が、生きていてくれる事が、最高のクリスマスプレゼントだ」


 もちろんルドルフ、お前もだぞー!耳元で叫ばれて、滅茶苦茶にうるさい。


 でも——。


「……ありがとよ、お師匠」





 【拝啓 おじいさま、おばあさま】


 お元気ですか?当然いなくなってごめんなさい。

 小学校の屋上から飛び降りたはずの僕が居なくなって、もう四年が経とうとしています。

 僕は今、北の国で元気に過ごしています。今の家には、大きなトナカイがいます。たまにうるさいけど、とてもいいやつです。

 拾ってくれたおじいさんが、新しい名前もつけてくれました。恥ずかしいけど、北風からとって"カンタロウ"と今僕は呼ばれています。


 おじいさま、おばあさま、どうかお身体に気をつけて。

 毎年十二月になったら、贈り物を届けます。

 それが今の僕の仕事です。まだ見習いだけどね。


 僕は今——。





「旦那ァア!! 国境線超えた瞬間、前方モスクワからミサイルが!」

「なぁに心配はいらん! プレゼント袋"R1"を空にばら撒いてやれ! 中身は全て手榴弾だ! 花火程度の脅かしにはなるだろう!」

「軍事大国に喧嘩売ってどーすんだ! そろそろ国籍と、形式だけでもワーキングビザを取りやがれ!」

「もう嫌っ! 来年からは絶対、全世界一斉日時指定配達便に変えてやるんだから! 俺は童謡の中じゃアイドル的存在なんだぞ!」


 思い思いに喚きながら、夜空のドンパチは続く。


「クリスマス終了までまだ時間はたっぷりあるぞ、愛する我が子達よ! 終わったら暖かい暖炉とイチジクのプティングが待っておる! さぁいざゆかん!メリークリスマァス!!」




 ……僕は今、素手でミサイルを跳ね返す伝説の真っ赤なジジイと、喋るトナカイと一緒に、木ゾリで配達のお仕事の真っ最中です。


 それではまた、来年のクリスマスに。

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12月25日、午前零時の領空権 すきま讚魚 @Schwalbe343

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