第2話

 オサのところに行ったヤマトの奴らは、夕暮れの前にはまた偉そうに帰っていった。腰のあたりにつけていた飾りがちゃらちゃらと鳴っていた。

 野草を摘んでいる時に通っていくのを見た。後ろから石を投げてやりたかったけれど、剣を持っている相手にそんなことをしたら殺される。それに戦を吹っ掛けられてもまずい。それぐらいのことは私だってわかる。

 とにかく連中は何もせずに帰っていった。それだけで私はうれしかった。また、何年も来なければいい。遠くから来る奴らは病気を持ってくることもあるし、あまり近寄りたくない。

 けれど、その日の夜。私がおかあ、おとう、おばあの三人とごはんを食べている時のことだった。

 オサに仕える下働きの女が私のイエに来た。

 下働きはこう告げた。オサが里の大人はできるかぎり集まるようにと言っていると。

「私は大人でいいの?」と私は下働きに尋ねた。

 それから、下働きが何か言う前に「十二だけど」と付け足した。

 下働きは「だな」と短く言うと、隣の家へと焦り気味に向かってしまった。

「あれは戦だな」そう、おとうは言った。「風の流れでわかる」

 私は戦の覚えはほとんどないから、戦になる風のことはわからないが、悪いことが起こる風だなというのはわかった。


 私たちはおばあを残してオサのタチのほうへと坂を登った。

 オサのイエはほかのイエよりずっと大きくて広いので、特別に「タチ」と呼ばれていた。ただ、さすがにタチに里の大人をすべて入れるわけにはいかないから、その前の広場に火を焚(た)いて、私たちは並んだ。

 もう、ずいぶんと人が集まっている。オオムロの里は端から端まで歩くとくたくたになるほど広い。端のほうの奴らには早くから声がかかっていたんだろう。

 私たちの前、タチの入り口のところには、オサの一族がずらりと座っている。

 その中にテオシベもいた。

 馬を洗ってやっている時と違って、美しい首飾りをつけていたし、今日見たのとは違う櫛も差していた。

 ふっと、テオシベと目が合った。

 私は笑いかけた。そうすれば、いつもテオシベも笑ってくれるから。私が笑っているのがテオシベの体にも伝わって、笑いが返ってくるのだ。

 なのに、その時、テオシベはとても寂しそうな顔になった。

 どうして? そんなよくないことが起こるの?

 でも、テオシベは話すには遠すぎるところにいたし、私が出ていったりするその前に、杖をついたオサがタチから現れた。

 オサはたしか今年で五十三のお婆さんだ。頭の冠が火の光を跳ね返して輝いている。麻の衣の肩のところには複雑に編み込んだ領巾(ひれ)をつけている。衣には血のように赤い紐が何本も垂れていた。杖を持ってはいるが、それは偉さを示すためのもので、なくても歩けるのを知っている。

「我が美しきオオムロの里の子供らよ、よく聞いてほしい」

 くたびれたオサの体からは考えられないような張りのある声が響いた。

「皆も気づいていたと思うが、本日、ヤマトの使いがやってきた。かの者たちは我らの屈服と、我らのカミを捨てることを要求してきた」

 ざわめきが起こる。

 当たり前だ。どうしてあんな奴らに従わなきゃならないんだ。

「私は使いのところから席を立ち、タチの二階にてカミと話し合った。そして、ヤマトには従わないことに決めた。そう伝えると、使いは近いうちにオミやハイバラの里の者たちとともに攻め上がることになろうと言い残して、帰っていった」

 どこからともなく、「戦だ」という声が上がった。さらに「大戦(おおいくさ)だ」という声も上がった。

 そう、まだオミやハイバラだとかの里と争うだけなら私も知っている。あいつらは西のほうの里で、東の私たちとの小競り合いは何度だって起こっている。

 けれど、ヤマトが戦を仕掛けてくるということは、いくつもの里が集まって押し寄せてくるかもしれないということだ。

「オオムロの民たちよ、あまり思い悩まぬように」

 よく通るオサの声がどよめきを静めた。

「勝ち目のない戦だとは思っておらん。ヤマトの兵がすべて集まれば我らも何もできぬであろう。しかし、ヤマトからこのシナノの土地は遠すぎる。スワやイナに住まう者たちすらろくにシナノにやってこぬのはよく知っておるだろう。使いがオミとハイバラという里の名を出したということは、直接向かってくるのはその二つの里、それにせいぜいヤマトの加勢がいくらか含まれるだけのことよ。地の利も考えれば、十分に勝機はある。なにより――」

 蹄(ひづめ)が大地を蹴る音がいくつも響いた。

 あっという間に、馬たちが私たちをぐるりと取り囲んでいた。

「――我らには馬がいる。これほど多くの馬を有する里はない。馬一頭で敵の兵十人はやすやすと蹴散らせる。負けはない!」

 おとうが立ち上がって「そうだ、そうだ!」と声を上げていた。

 その風を受けたように、大人たちは皆、同じように立ち上がり、同じように叫んでいる。

 ああ、おとうも戦に出るのだな。

 私は当たり前のことをやけに強く感じた。

「ただ、私も老いてしまった。戦ともなれば、オサが指揮もできねばまずかろう。ちょうどよい機会よ。オサを替えるツドイの場を設けたいと思う」

 オサの言葉が終わると、さっとテオシベが立ち上がった。

 それから一歩、前へと歩み出た。

「次のオサには馬の扱いにもたけておる孫のテオシベを考えている」

 私にはテオシベがふるえそうになるのを耐えているように見えた。

 いや、それは何かの間違いだ。テオシベが次のオサになれるのだ。こんな素晴らしいことはない。テオシベがオサになって里がよくないところに進むなんてありえない。

「言うまでもなく、最後にお決めになるのはカミであるがな」

 カミという言葉が頭に引っかかった。

 カミ――昼間が最も短くなり、やがてまた長くなりだす頃にやってくる大きな者。藁(わら)を頭にかぶっているが、顔は見えない。よくオサにカミガカリして、道を示してくれる者。

 オサを選ぶのもカミがすることなのか。

「まだ峠はどこも雪が深くて、ヤマトの将軍だって入ってはこれまい。戦になるのはしばらく先だろう。それまで剣や槍の備えをして、待っておれ。新たなオサが決まれば、またお前たちに伝えよう」

 火のぱちぱちというはじけるような音も、大人たちの歓声でかき消される。それはまるで戦に勝った時の宴の声みたいだった。

 なのに、その中に私は冷たい風を感じていた。

 きっとテオシベが素直に笑えていないからだ。

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