外套と青空 坂口安吾

ノエル

青空のもとでの大胆なセクス。それが、あのひとから逃れられる契機となった。

庄吉さんは、わたしが14のときに水揚げを済ませた旦那さんで、それはそれはもう、大事に大事に可愛がってくれたひとだった。その甲斐もあってか、わたしはお茶を挽くことがなかった。引きも切らず、お客さんはわたしを目当てにやってきたし、ナントカ日照りに泣くなんてこともなかった。そんなだったから、女将さんに褒められこそすれ、叱られることなんて一度もなかったわ。

わたしは日に日に殿方たちの人気の的となり、男のひとの何たるかを身をもって覚えて行った。どんなふうにすれば男の人が喜んでくれるか、どんなことを言えば嫌われるか、殿方たちの秘めたる欲望の燃えるさまをひとつひとつ覚えて、自家薬籠中のものとして行った。それもこれも、みんなあのひとが身を尽くして教え込んでくれたおかげだった。

そしてとうとう辛抱堪りかねたのか、あのひとはわたしを大枚はたいて身請けし、一緒に住もうということになった。つまりは、夫婦になることで、わたしを独占しようと思ったのでしょう。あのひとはますます働き、どんどんお金儲けをして行った。いわゆる分限者というのになった。銀座では知らぬひととていないほどのひとになっていたわ。

ところが、ある日のこと。どうしたわけか、殿方にとって大事なところが急に言うことを聞かなくなってしまった。あのひとが50を過ぎて、一年も経っていない頃だったかしら。本当に夫婦のことができなくなってしまったの。あのひとは悲しんだわ。それは見るも、無残なくらいだった。

その頃にはもう、わたしは二十歳を超えていて、生身の女というのかしら、女としての喜びがどんなものかを知り始めていた。ときには、お酒に身を任せてやり過ごそうとしたときもあったわ。身体の芯が疼いて、我慢できない夜は何度もあった。頭ではわかっていても、身体がそれを許してくれないの。

しまいには、誰だっていい、男のひとでありさえあれば、どんなひとだっていいと、そんな風に思って輾転として眠れない日もあったくらいよ。いまにして思えば、天性というのかしら、生まれつきこんな身体になるように植え付けられていると言っていいのかもしれない。

そんなわたしを知っているだけに、あのひとにとっては、わたしの苦しむのが不憫で見ていられなかったのでしょうね。あのひとは、いつしか自分の代わりに「これは」と思う男性を連れてくるようになった。もちろん、さりげなくよ。あからさまにそれとして連れてくるのではなしに、自然とそうなるように仕向けるの。

だから、一度目は、いわば仲間内の顔合わせといった雰囲気で、色んなひとたちとわいわいがやがや、飲んで騒ぐといった格好で互いに親しくなっていく。そうなってみると、自然と暗黙のルールっていうのかしら、適材適所的に各自がタイミングを見計らうようにして、みなが協力して二人の間を取り持ってくれるようになる。

あとはもう、自然の流れ。どんな殿方だって、わたしの思い通りになるわ。自分で言うのもなんだけど、こんなわたしに虜になるって言うのかしら、みんな表向きでは拒否しているのだけれど、身体がそれを許さなくなってしまうの。それをあのひとは「キミコ・マジック」と呼んでいるのだけれど、これまで一度だって、わたしの手に墜ちなかったひとはいなかった。

なぜか、あのひとの選んでくる男のひとは大抵、いわゆる落ちこぼれで、夢を持ちながらも大成しなかったひとたちばかりなの。たぶん、これはわたしの想像だけれど、自分より豪かったり、優れていたりすると、わたしが離れていくと思ったのだと思う。

たとえば、太平さんだけど、あのひとも一端の作家を気取っていても、精も根も使い果たした単なる三文文士だったし、大したものも書いていなかった。それが、あのひとの唯一の救いだったかもしれない。あのひとは気の弱いひとだった。商いには長けていたけれど、男を見る目はあまり持ち合わせていなかった。わたしが卵を産む鶏だとすると、太平さんはわたしに卵を産ませるための餌だった。

あのひとは、鶏にえさを与えることには、なんの痛痒も感じていなかった。

わたしが卵である微笑みのひとつもあのひとに向けてあげるだけで、あのひとはそれを金科玉条に諾々として受け容れた。何をしても叱らなかった。わたしは向きになって、あのひとの前でそれらの男たちに電話をしては、ちょっとしたパーティをやらかした。

どんちゃん騒ぎのあと、酔いつぶれた男たちをよそに、お目当ての男を青々軒に行くように促した。それらもすべて、あのひとには織り込み済みだった。

いい卵を産むためには、栄養のある餌が必要だった。わたしは、あのひとのために美味しい卵を産むための器械だった。

わたしが乱れればみだれるほど、男たちが溺れればおぼれるほど、あのひとは美味しいおこぼれがもらえたので、わたしの言いなりだった。歳が30いくつも離れていては、もう若いわたしを手放さないためには、餌を連れてきて与える以外になす術はなかった。わたしが男と気を遣っている姿を想像しては、自らもその気になることでしかあのひとの生き甲斐はなくなってしまっていた。ときに嫉妬に狂ったようなそぶりを見せても、わたしにはわかっていた。あのひとはもう、わたしには逆らえない。

「こんな女にしてしまったのは、わたしだ」とあのひとは言うけれど、「そんな老人にしてしまったのは、わたしのほうだ」と、いまははっきり思う。これまで、そんな気苦労を懸けているのが心苦しくて、なんでもない、ただの餌と心中してこの世から「さようなら」しようと思ったことが、何度かあったけれど、もう、わたしは男にも、あのひとの力にも頼らずに生きて行こうと思う。

だから、太平さん、手紙こそ書かないけれど、わたしはひとり生きて行くから、わたしのことはもう想わないで。外套を着たまま、あなたと交わったのは、あのひとの想像の目からその姿を見せまいとしたからなの。その最中にあのひとの目を想像するだけで、わたしは心が萎えてしまうのを知っている。

あのひとに見せるのではなくて、ほんとうにその腕に抱かれて気を遣るには、あの物々しい外套が必要だった。家の中での行為は、窃視のお膳立てのようなものに過ぎなかった。

だけど、あの青空の下での情欲行為は紛れもなく、わたしがこころから望んだものだったわ。

周りを見渡しても、ひろい河原ばかりがずうっと続いていた。人影もなく、小さな叢だけがわたしたちを人目から遠ざけていたわ。わたしは仰向けになって、あなたを待ちうけた。ひとの目の届かない、無限に打ち広がる青空の美しさを見上げながら、熱に浮かされた者のように、かつえた女のように、わたしはあなたを求めた。

そこにはもう、あのひとの姿はなかった。あのときが、わたしが初めてあのひとから逃れられる契機となった。青空のもとでのセクス。それがわたしが一人で生きていく転機になったの。だからもう、あなたはわたしを忘れていいわ。さようなら、三文文士さん。あなたは最後に、ひとつだけいいことをしたわね。


出典 https://www.honzuki.jp/book/221609/review/261541/

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