第13話

「それで仕事終わりに彼んちに行って、初エッチを済ませたわけね」友人の美雪はさほど声の大きさを変えずに言った。

 真夏の飲食店は冷房が効いていて快適だった。外では口数の少なかった美雪も、いまや饒舌だった。

 わたしは、隣の区にある大型ショッピングセンターで久しぶりに会う友人と、ランチを楽しんでいた。ここは既婚者だった彼と映画を見た場所でもあり、うかつに近づかないようにはしていたが、平日の昼間ともなればサラリーマンである彼が来ることもないだろうと、わたしはのこのこと、ここへやってきた。


「声が大きいってば」わたしは周囲を見渡して聞き耳を立てていそうなお客さんがいないか観察した。幸いにも美雪の言葉に反応した人は居なさそうだった。


「中学生じゃあるまいし、気にしすぎだってば。かなえはいつもそう、元カレのときだってそうじゃん。かなえの相談を聞いてあげてるときも、周りに聞かれてるんじゃないかって、おろおろしてたよね。別に値上がりする株の銘柄について話してるんじゃないんだし、誰も得しないって」美雪は、泡の立ちのぼるドリンクをストローで吸い上げ、グラスを空にした。


「わたしは損得を気にしてるんじゃないっ」美雪の話しが煩わしくなりスマホを手に取った。また始まったとわたしは呆れる。


 美雪は彼氏の影響を非常に受けやすい女性だった。 

 株の知識もないのに投資ファンドに勤めている今彼の影響か、株についての用語をここぞとばかりに会話に組み込んでくる。

「結局さ、元カレのときだって私が、『先もない既婚者なんてさっさと別れなさい』って損切させたから深手を負わなくて済んだんじゃない」あれで精神的な負担は減ったよね、と得意げな表情を美雪は見せた。やはりというべきか、これが彼女なのである。

 美雪の前の彼氏は外科医だった。そんな彼のことを当時美雪は、「彼、外科医だけど、いま私が患ってる病気を治せないのよ。そんなんじゃ、まだまだ一流とは呼べない」とわたしに冗談めかしていた。美雪が罹っていた病気というのも、癌や特定疾患といったものでなくむしろ生活習慣病に近いといえる、『恋煩い』だ。

 しかし外科医の彼は美雪の病気を完治させた。いともあっさりと、ほかの女性と二股交際をして。メスも麻酔も必要なかった彼の治療は超一流といって良いものだろうが、美雪の心は深く傷ついた。けれど、恋人に影響を受けやすいところまでは、治らなかったみたいだ。


「わたしは誰かに広斗くんのことを聞かせたいわけじゃないし、自分の胸の内に秘めておきたいの」

「いいじゃない、お互いに幸せを共有してさ、盛り上がろうよ」と美雪はテーブルの上に身を乗りだした。「かなえは、今、幸せ?」

「まぁね」

「もう恋なんてしない、なんて言わなくてよかったよね」

「あったり前でしょ。いつとは考えなかったけど、あいつよりも良い人に巡り会ってやるって、そう思ってた」

「でもさ、お相手はお金のないフリーターさんでしょ。将来が見通せないよね」と美雪は心配そうな顔を見せた。なによりも第一に相手の収入を気にする彼女だ。コンビニ店員がロボットに入れ替わってたとしても、何食わぬ顔でレジに並ぶに違いない。

「お金で買えない価値だってあるんだから。夢とか希望とか」

「夢も希望もお金で買える時代なんだって」

「小説家になるには、お金じゃ買えない」

「お金があれば、働いてる時間も執筆活動が出来るじゃん。質のいい小説が書けそうな気がするけどね」

「そんなの傲慢」とわたしは憤った。広斗くんはフリーターであっても小説を書き続けた。

 わたしが読んだ作品の中にも光るものは確かにあった。時間を掛ければもっと良い作品に仕上がるかもしれないのは、事実だ。けれど、小説というのは花火のような、自分の内面にため込んだ色んな感情を一気に爆発させる、瞬間的な芸術作品に近い。大輪が咲いた写真を見つめていても、感動は伝わってこない。


「そんな彼といつまでも付き合えるわけ? まだ付き合いはじめて日が浅いから冷静に判断できてないんだって。好景気だった頃の日本と同じ、日本中が浮かれてて、みんな気付かなかった。バブルがはじける前兆に」と講釈らしいことを美雪は述べた。大学の経済学なら梅雨知らず、これもきっと彼の受け売りに違いない。


「いいの。夢に破れたって、傍にいたい。そう思える人だから」


 お店を出てわたし達はウィンドショッピングを楽しんだ。「かなえは色気がないよね」と過去に言われたこともあり、それ以後、自分なりにファッションというものを研究した。

 美雪のファッションは露出が多く、男性の目を引くような服装だった。わたしの方といえば、ブラウスに薄手のジャケットを羽織り、デニムジーンズを履いていた。このアイテムで上品な色気を醸し出すには、洋子さんのような容姿が必要だった。


「元カレとはこうやってブラついてたりしてたの?」海外のアパレルショップの前で立ち止まり美雪は物色を始めた。

「全然、デートらしいデートなんてしたことなかった」わたしには興味が無かったので美雪の後をついて歩いた。

「何が楽しくて付き合ってたわけ」

「騙されてただけだよ。こんなわたしでも好きになってくれる人がいるんだ、って浮かれてた」

「それはあんた、浮かれてたんじゃなくて卑屈になってただけでしょ」美雪は麦わら帽を鏡の前で合わせ、ポージングを取った。とても自然な身のこなしに女のわたしも目を奪われる。

「やっぱり、そうかな」

「昔っからそうだよね。かなえは可愛いよ。女の子らしさがあって大人って感じじゃないけど、ほっとけないタイプのイメージ?」美雪は頭から麦わら帽を外してわたしの頭へと被せ、鏡の前にわたしを立たせた。「いくら外見を磨いたところで、かなえには敵わないなって、ずっと思ってたんだよ。かなえの心は、純粋で、まっすぐで、ぶれてなかった。今でもそれは変ってない」わたしの両肩に手を乗せて、鏡越しに美雪が囁いた。

「そんな褒めても、帽子は買ってあげないからね」

「これ、たったの二万だよ。安いね」値札を確認して美雪は驚いた。その言葉にわたしも驚いた。

「だったら彼におねだりして」わたしは帽子を取り、棚へ戻した。

 ショッピングモールをあてもなく歩き始め、わたしは過去の思い出が段々と薄れていくのを感じた。あれほど近寄りがたかった映画館でさえも、公開作品のラインナップを眺め広斗くんと一緒にみるならどれにしよう、と思い悩むくらいにスッキリとした気持ちになっていた。

 過去を変えることは出来なくても、過去に捉われることまではしなくていい。自分を愛してくれるような人に巡り会えたのであれば、わたしはその人を全力で愛せばいい。かなえの心は、純粋で、まっすぐで、ぶれてなかった。美雪が言ってくれたとおり、わたしは自分を変えることなく広斗くんを想えばいいんだ。


「スタバでなんか奢ってあげる」唯一美雪にしてあげられることは、これくらいまでだなとわたしは心の中で舌をだした。

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