第31話 運命【愛実視点】
愛実は、去っていく智仁の背中を見つめることしかできなかった。
夜の風が、金色の髪をどこかへさらってくれればいいのにと後悔しても、もう遅い。
「あいつ、いいざまだな」
そんな愛実の隣に、先ほどまで抱擁を交わしていた男、夢見賢太郎が並ぶ。
「これでいいんでしょ?」
愛実は賢太郎を睨みつける。こんなこと考えつくなんて、こいつ相当性根が腐っている。人間性がひん曲がっている。
「そんな顔を俺に向けていいのか? この程度ですませてやってんだぞ俺は」
賢太郎は冷めた笑いを浮かべながら、愛実の髪の毛を鷲掴みにし、前後に揺さぶる。
「……はい。ごめんなさい」
愛実は下唇を噛みしめる。
この人の性根を腐らせたのは、人間性をひん曲がらせたのは、紛れもなく山吹愛実という人間の行いのせいだ。この人を恨む権利は、自分にはないのだ。
「そんな顔をした罰だ。ここにまだいろよ。いいもの見せてやるから」
愛実の肩をぽんとたたくと、賢太郎は高笑いを上げながら去っていった。
「智仁。ゆちあ……ごめん」
愛実が今日、智仁にここに来るようメッセージを送ったのは、賢太郎に脅されたからだ。
――僕が愛実ちゃんを守るから。
幼いころ、智仁が言ってくれた言葉を思い出す。
お父さんの死を受け止められず固く冷たくなっていた愛実の心は、智仁のその言葉のおかげで、柔らかさと温かさを取り戻した。
愛実が智仁に恋をしたのは、きっとその瞬間だと思う。
その日から愛実は、智仁と一緒に人生を歩んでいくのだと、信じて疑わなかった。
だけど高校の合格発表の日、受かったことに浮かれた愛実は自ら智仁の手を離して、掲示板の前に向かってしまった。
才能が二人を壊したのではなく、自分の奢りと慢心が二人を壊したのだ。
「ゆちあ、お父さん。せっかく……ごめんなさい」
疎遠になった智仁とまた近づきたい。
そう思いながら過ごしていると、ある日、ゆちあという女の子がやってきた。
その子のおかげで、智仁とまた昔みたいに話せるようになった。
ただ、そんな幸せも、自身の身勝手な正義感によって手放さざるを得なかった。
結局、本当に願いを叶えるための最後のピースは、祈りでもなく、炎でもなく、死者でもなく、自分自身の行いだ。
他人がどれだけ頑張っても、協力してくれても、最後は自分がどうするか。
あの雨の日。
智仁の家にゆちあを初めて連れて行った日に、すべてを話していればこの未来は変わっていただろうか。
ゆちあがいるのは願いの灯のおかげなんだよ、なんて非現実的なことを言えば、智仁は取り合ってくれないと思った。
誘拐じゃないかと疑ってきた智仁の話に合わせたおかげで、智仁が昔と同じ優しさをまだ持っていることを知った。
山吹愛実という人間にその優しさを向けてくれることを知った。
ゆちあの真実を言わなくてもこうして昔みたいに戻れたから、昔以上の関係になれた気がしたから、あえて仲違いの可能性になるようなことを言わなくてもいいやって、そう思ってしまった。
「私のせいで、また智仁を」
愛実は公園のベンチに座り、夜空に向けてつぶやいた。
「ゆちあ、智仁、ごめん」
さっきから謝ってばっかりだ。
視界が滲む。
智仁ごめん。
ゆちあごめん。
おかーさんは、どうやらおかーさんになりきれなかったみたいです。
それから、どれだけ時間がたったかわからない。
「おい、さっきのやつが言ってたのって、この女か?」
突然前の方から声がして、愛実は顔を上げる。
あれ、いつ私は夜空を見上げるのをやめて俯いたたんだろう。
そんなどうでもいい思考は、人間の防衛本能が一瞬にして吹っ飛ばした。
「そうじゃね? 金髪だし」
「へぇ、意外といい女だな」
いやらしさたっぷりの声が聞こえた途端、体が固まる。
金髪ロン毛、パンチパーマ、剃り込みの三人衆が近づいてくる。
その三人ともが、油を垂らしたかのようにギラギラと目を光らせていた。
やばい、逃げなきゃ……。
愛実の細胞全てが危険信号を発していたが、体は全く動いてくれなかった。
動け、おい動けよ!
必死で太ももをさするが、足は一センチたりとも動いてくれない。
「おいおい、そんなに怯えなくって大丈夫だぜ」
「なぁ、こいつであってるんだよな?」
「もはやそんなのどうでもよくね?」
愛実は体を震わせながら、目の前で立ち止まった下衆三人衆を見上げる。
三メートルを超える巨人に詰め寄られているかのように感じた。
絶望が腹の奥底から湧き上がってくる。
「なんですか、あなたたち」
最後の力を振り絞って、愛実は彼らを睨みつけて威嚇する。
屈伏してはダメだ。
毅然とした態度で三人と対峙し、この場を乗り切らなければ――
「そんな怖い顔するなよ。ほら、俺たちが遊んでやっから」
金髪ロン毛に手首を掴まれた瞬間、反抗しようとする心がぽっきりと折れてしまった。
「すばやさなんかさがりませーん」
というパンチパーマのボケを聞いて、けらけら笑う他二人を見て、後悔と諦めが心の中に広がっていく。
ああ、これが、身勝手な正義感を振りかざした報いなんだ。
愛実は抵抗することをやめ、そっと目を閉じた。
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