第11話 お見送り

「じゃあ、おかーさん学校に行ってくるから」


「うん。いってらっしゃい」


 服の裾をぎゅっと握って、ゆちあは泣くのを我慢している。


 俺はその隣で、誰かが出かけるのを見送るようになるなんてな、と感慨にふけっていた。


「ごめんね智仁。ゆちあのことまかせちゃって」


「いいよ。愛美を休ませるわけにはいかないし」


 これからのことをどうするかはすでに決めてある。


 とりあえず日中は、引きこもっている俺がゆちあの面倒を見る。


 当然だ。


 もし俺が引きこもりでなくたって、俺が学校を休む選択をしたと思う。


 凡人が天才の邪魔をしてはいけない。


 愛美は俺が到達できない高みを目指しているのだから。


 ――でも。


 俺たちはこれから先、ゆちあをどうしたいのだろう。


 愛実はこの子のことを必要以上に喋ろうとしない。


 どこから誘拐したのかだけでも知りたいと愛実に聞いても、あいまいな答えしか返してくれなかった。


 言えないことを無理に聞いても仕方ないので、ゆちあの件についてこれ以上俺からは聞かないようにしている。愛実が話してくれるまで待とうと思った。


 まあ、愛実から聞かなくたってゆちあがどういう境遇ので育ってきた子かくらい、想像はつくけど。


 愛実が誘拐した方がいいと思うくらいだから、ゆちあは育児放棄とか、もっと悪いと虐待とか、そういう子供なのだろう。


 昨日の夜、俺は何度もスマホでネットニュースを検索したが、ゆちあのことはちっとも出てこなかった。朝食後も同じだった。つまりゆちあの両親は警察に連絡していないということだ。


 そんな残酷な現実を知ってしまったからだろうか。


 俺はゆちあにできるだけ愛情を注いでやりたいと思うようになった。


 ゆちあが本来の両親に見向きもされていない子なのだとしたら、どこかで偶然会ったのだろう愛実のことを『おかーさん』と呼んでいるのだって、考えられなくはない気がする。


 ゆちあにとって、初めて自分に優しくしてくれた大人が愛実だったのだ。


 だからあんなに懐いているのだ。


「とりあえず、学校帰りに必要なもの買ってくるね」


「ポテチは絶対に頼む」


「一袋だけだからね」


「サンキュ」


 俺の返事を聞いた愛実は呆れたようにため息をついてから、しゃがんでゆちあと目線を合わせる。


「おかーさんが帰ってくるまでおとーさんと待っててね」


「うん。ゆちあ昨日約束したもん。おかーさんとの約束守る。おかーさんたちもう困らせないよ。偉い?」


「もちろん。偉い偉い」


 愛実がゆちあの頭をなでる。


 ゆちあは昨日の夜駄々をこねていたのが嘘のように素直だ。昨晩ずっと一緒にいられたことで満足したのだろうか。ゆちあの言葉を借りるなら、おとーさんおかーさん成分をいっぱい吸収できたということが。


 この調子なら、今日の夜は愛美が自分の家に帰っても大丈夫そうだ。


「ゆちあ。おとーさんがいるから寂しくないよ」


 えへへ、と俺を見上げながらゆちあが足に抱き着いてきた。ほんと可愛いなぁ。


「なら安心だね。じゃ、いってきます」


 玄関タイルでローファーをトントンしてから、愛美は家を出て行こうとして、


「あ、そうだっ! 今日の夜!」


「どうした? 見たいテレビでもあるのか?」


「違うよ。晩ご飯。智仁はなにが食べたい?」


「なに、が……って」


 そんなこと急に聞かれてもすぐには思い浮かばなかった。ってか正直に答えるのなんかこっぱずかしいな。


「別になんでもいいよ」


「その答えが主婦には一番困るのよ」


「お前主婦じゃないじゃん」


「もう主婦みたいなものでしょ?」


「だったらゆちあの好きなものでいいよ」


 そう答えると、愛美は首を横に振った。


「それじゃあダメ。智仁の食べたいもの作るから」


「ゆちあもおとーさんが食べたいものがいい」


 そこまで言われると断り切れないし、そもそもこれ以上言い争っていると愛美が遅刻してしまう。


 でも……食べたいもの、か。


 食事なんて単なる生命維持活動の一つでしかなかったから、そんなことを考えるのは久しぶりだ。


「じゃあ餃子とか、食べたい、かな」


「だと思った。智仁好きだったもんね、餃子」


「なら聞くなよ」


「智仁の言葉で聞きたかったの。それに私、餃子が一番得意だし。智仁好みのすごいおいしいやつ作るから、感動してまた泣かないでよ」


「泣くかよもう」


 そう強がってみたものの、正直言って、泣かない自信はなかった。

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