13 「え~嫌ですぅ、私ウェズに会いたいですもーん」


「ゲール様! 申し訳ありません、劇場の前で座り込んでしまって……!」

「良いのよ、そんな事! それよりどうしたの? 何の騒ぎ?」


 自分と話すゲールの口調に隣の女性は一瞬ギョッとしたような表情を浮かべたものの、ゲールが駆け寄って来る前にこそっと自分に尋ねてくる。


「ゲールってここの支配人のゲール・アップルソン氏?」


 ジェシカはこんな事も把握しているのかと内心驚きつつ「はい」と小さく返した。数秒後近くまでやって来たゲールを見上げる。今日もこの人の髪はきちんと梳かれており、着ているジャケットの仕立ても良かった。


「何かあったの?」

「実は元デヴィッド様の屋敷の近くの青果店で買い物をしようと思ったら引ったくりに遭いまして……一緒に居たジェシカ様と引ったくり犯を追い掛けてここまで来たのですが、先程あそこでつまづいて転んでしまい、足を挫いてしまいまして……」


 話に耳を傾けてくれていたゲールの表情が、次第に驚き慌てた物に変わっていく。


「リタさんの友達のジェシカ・パイクと申します。かの有名なアップルソン氏にお会い出来て嬉しいですわ。……リタさん見ての通り歩いて帰れませんから、今から辻馬


車を呼びに行こうと思っていて」

 自分の話を引き継ぎジェシカは続ける。ゲール相手だからか、ムソヒの方言を口にする事はなかった。


「あらっ、じゃあ……私これから出かけるのだけど、一緒に乗ってく? ウェズの屋敷に帰るのよねえ? 帰りあっちの方に行くから、送ってってあげるわ。辻馬車なんて、そんな! お金が勿体ないじゃないっ! 遠慮しなくていいわよ、私もウェズの顔が見れる口実が出来て嬉しいもの~」

「えっ? ……良いんですか?」


 思ってもいなかった提案に瞬くも素直に嬉しかった。ジェシカは辻馬車代を気にしないかもしれないが、知り合いの馬車に乗せて貰えるのならそっちの方がずっと楽だ。ゲールはメイドを雇う側の人間なので、本当は遠慮した方が良いのだろうが、本当に主人の顔が見たいに違いないので、断る方が逆に悪い気がした。


「勿論よっ。ジェシカもそれで良い?」


 赤毛の男性の視線がジェシカに向けられた時、劇場の入り口から聞き覚えのある声が響いた。


「どうした?」


 鋭く厳かな低音に、自分は勿論周囲に居た二人の表情もハッとしたのが分かった。気を抜くと俯いてしまいそうになる視線を持ち上げ、声がした方に顔を向ける。


「ハイディ伯爵!……こんにちは、良くお会い致しますね。観劇帰りでしょうか?」

「ここから出たのだ、当然よの。ふむ、知った顔ばかり揃っておる」


 六十代なれど姿勢の良い白髪の男性は、この街の領主に相応しくメイドや従僕を何人も従えていた。護衛も兼ねているのだろう。従僕の一人は鋭い目付きで周囲を見渡している。


「こんにちは、伯爵っ! 今日も贔屓にしてくださって有り難う御座います、ねえ、この子……デヴィッドの元メイドのリタちゃん、ご存知?」

「ああ、今は孫のウェズリー・キングのメイドだろう」

「さっすが、良くご存知で! で、リタちゃんさっき足を挫いちゃったのよ。この足じゃウェズの元に帰れないから、私の馬車に乗って行く? ってお誘いしてたところなの。私これから出かけるお仕事があるから」


 ふむ、と唸るハイディに、未だこちらを心配そうに見ているジェシカが視界の隅に映る。


「さっ、行きましょうかリタちゃん。女は少しの時間も無駄に出来ないのだからね。ねえ、馬車を持ってきて頂戴っ!」

「あ、有り難うございます……」


 主の命令に、従僕達は慣れた様子で馬車への搭乗の準備を始めていた。


「待て、ゲール」


 支配人が差し伸べてくれた手を取ろうとした時、ハイディにふと話しかけられた。ゲールの瞳が伯爵に向けられる。


「伯爵? なあに?」

「リタを送るのは私が代わろう。お前は仕事に打ち込み、些事は老人に任せておけ。リタとて仕事前の人間に着いていくよりも、そっちのが気楽だろう?」


 えーと……、と言葉を濁す。二人の立場を考えると少々贅沢すぎる選択だ。自分が悩んでいる事を察したのかハイディは、突然のプレゼントを貰って戸惑う村娘を諭す紳士のようにふっと目元を緩めてきた。


「リタ、気にしなくていい。お前は一人の女性として扱われてろ」


 きゃっ! と後ろに居るジェシカが喜びの声を上げるので、ハイディの言葉に少しの照れを覚えつつ、窺いを立てるようにゲールの顔を見上げる。と、支配人は酷くつまらなさそうに唇を尖らせた。


「え~嫌ですぅ、私ウェズに会いたいですもーん」


 背の高い男性が拗ねて物を言うと、苦笑いが自然と零れてしまう気がした。ハイディも同じ気持ちなのかふうと深く息をつき、カツカツとこちらに近寄ってきて自分とゲールの間に割って入るように立った。


「ウェズリー・キングとは週末に会えるだろう? 私はお前の仕事の心配もしているのだぞ? ……ここは私の顔を立ててくれ」


 え~、とゲールはもう一度拗ねていたが、表情の変わらないハイディを見て諦めが付いたようだった。段々有り難さよりも申し訳なさが勝ってきて肩が縮こまる。


「……伯爵がそこまで言うなら仕方ないわねえ。じゃあ今回は譲ってあげるわっ。もう、伯爵ってば若い子好きよねっ?」

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