第46話 方か誤

 それは、口にする事すら躊躇うような言葉だった。


「………強……姦…………?」

「嘘。され慣れてるってじゃなくて、され慣れてるって言った方がいいな」

「……………………………」

「ねぇちょっとさー、そっちから聞いたのに黙らんでもらえる?ウザいから」

「……………ごめん。構えてたつもりなんだが、………………これは確かに、シラフじゃ無理だな」

「だしょ?」


 不思議と、ビールに手が伸びる。息が詰まるから、何かで洗い流したい。


「さて。……話し出したはいいけど、どっから話そっかなー。みんなはどう話してるん?」

「みんなって……やっぱメンバーは全員知ってるのか?互いに………『そういうの』………」

「その口振りからして、ほのかんも牡丹っちもあるっぽいね。……つっても吐かせるつもりもないし人伝に聞くような話じゃない。無理矢理聞く気もないんだけどさー………無理矢理聞かれたくないし」


 ため息の後に吐かれた「テメェにはほぼ無理矢理聞かれてるもんだけど」の言葉とギロっとした睨みに、僕は申し訳なくなってこうべを垂れる。


「針ヶ谷は確か、両親の話から。望月は、…………いや、僕の口からは言えない」

「…………ふーん……。やっぱ知ってんだ」

「まぁ、一応………」

「ゆーて、こーゆー話って主観だし、誇張したり隠したり何でも出来るから、信憑性に欠けるけどさ」

「それは、……まぁ、…………そうか……」

「あたしも話半分で言うし、言いたくない事は言わないし、知らない事は決め付けて話を進めるから」

「………………わかった……」


 美彩は天井を仰ぎ、「んじゃどっから話すかなー」と頭の中で話を整理しているみたいだった。


 あまり注視してると話しづらいと思ったから、僕は目線を逸らして、ビールジョッキに反射する自分の顔を見ていた。


 横に引き伸ばされ、赤いのか黄色いのかわからない自分の顔は、本当にその聞きたいのか、聞いていいのか、自問自答するには向いていない鏡だった。


 気になる。だから聞く。それは相手の気持ちを軽んじている気がする。


 だからといって、僕の手札に等価交換出来るような話は、一切ないのだけれど。


「あたしさ、男性恐怖症ではないけど、男性嫌悪症なんよ」

「……………嫌悪症?」

「そ。あたしが勝手につけた病名」


 「手出して」と言って手を差し出す美彩に、僕も手のひらを上に向けて、美彩の方に出す。


「こうやって話してても、こうやって手を握っても、不安感に駆けられたり蕁麻疹じんましんになったりはしない」

「蕁麻疹て……」

「でも苛立ちや気持ち悪さは、異常なほど感じる。今すぐ手を振り払いたいし、目の前から消えて欲しいぐらい、男が嫌い」

「痛い痛い痛い痛いイタイ」


 僕の手を握る手が、見る見るうちに強張って、手が砕けるほど力が入る。


「だから男性嫌悪症」

「…………な、なるほど」


 パッと手を離され、解放された右手を摩る。


 そうすると、新たな疑問が浮かぶ。いや、疑問がさらに濃くなる。


 ここにいる理由だ。


 自称、男性嫌悪症の彼女が、何でこんなクソみたいな男しかいない様な場所に、わざわざ来ているのか。若い女の子なら声を掛けるのが当たり前みたいな、本能でしか動いていない、煩悩だらけが集まるところに。


「なら何でこの街に、って顔してる」

「その通りだ。我ながらわかりやすい顔で助かったわ」

「それ自分で言う?」


 ケケケと笑い、再度考える美彩。


 しかし答えは決まっていたのか、


「それはねー。………殺したい程に嫌悪を感じてるから、殺してもいい様な奴らを、殺されても文句言えない環境で、女性恐怖症になるぐらいぶっ殺したいから、………こんな格好して、こんな顔して、こんな所に居るんだよ」

「………………………………」


 笑いながら言う彼女が怖かった。


 目が怖かった。


 カラーコンタクトでも隠せない目だ。


 虚ろで、殺意を宿しつつも、どこかうっとりとした、まるで恋をしている様な少女の目で、「ぶっ殺す」と言う彼女の目が。


「…………本気で言ってるの?」

「マジだよ。現に、今日もホテル誘ったジジイの言質とって、ゴミ処理場に捨ててきたし、路地裏で襲おうとしたカスを、警察さつが見える所で隙見せて捕まえさせたり」

「…………………………………」

「酒に酔ったぐらいで手ぇ出すクズは、死んでなんぼ殺されてなんぼ。あたしが直接手を下さなくても、社会的に死ねばそれでいい」


 ノリとか悪ふざけとか酔った失言とか、そうじゃないのは彼女の口調でよくわかる。


 本心だと思わざるおえないその発言を、聞いたくせに止めようとして、僕は口を滑らせる。


 あるいは虎の尾を踏む。


「……………そんな事して、親御さんは…」

「親の話はどうでもいいだろ」


 鋭い言葉と鋭い目付きが、僕の胸に突き刺さる。


「保護者気取りすんなよ。そもそもあんな奴らを親だと思った事なんて一度も…………悪い。つい……」


 突き刺さった言葉を引っこ抜き、鞘に戻す美彩に対して、聞いていいのか良くないのか、しかしその怒り方は、前の話と通ずる物があると思って、僕は恐る恐る聞いた。


「…………両親と、仲悪いのか?」


 落ち着いて、品定めをする様に、一言一句意味を噛み締める様に、その問いを巡らせて、


「良くない。仲も良くないし、どうでもよくもないわ。関係ある。ありまくるわ」


 吐き出された答えはNOでありYESだった。


 しかし白黒ハッキリとした解答の割に、次の言葉が出てこない。言わずもがな、言いづらい事なのだろう。だから。


「ショーヘーは親と仲良いん?」

「まぁ、ぼちぼち」

「ふーん」


 ジャブというかワンクッションというか、文字通り枕言葉にして美彩は口を開く。


「ウチはさっきも言ったけど、仲は良くないし、あの人らを親だと思った事なんて無い。血が繋がってても、親だとは思いたくない」


 本命で渾身の一言は、ストレートな言葉だ。


「…………………養子だったのか?」

「んなわけ。クソ親父が逃げ出してババァが再婚したんだよ。懲りもせずクソみたいな男とな」


 曲がりなりにも両親に対して、そんな事を言うものじゃないと説教したくなる。


 でもそんな言葉はあまりに無責任だ。


 世間体を押し付け、彼女の感情を無視しているのと同義だ。


「あたしはこれっぽっちも心配されてない。むしろ、邪魔な連れ子が居なくなって清々したって思ってるだろうよ。だから帰ってこいなんてメッセージは来たことがない」


 自分のスマホを突きつける美彩。開かれたトークルームはおそらく母親とのメッセージ履歴。


 見てゾッとした。


 真っ白なトーク履歴は珍しくもない。顔を合わせているなら直接話すし、メッセージのやり取りが少ないから不仲とは言い切れない。僕と親父のトーク履歴だって、報告に返事をするだけだから。


 そうじゃなかったからゾッとした。


『今日は帰って来ないで』


 人の熱を感じないそのメッセージを、情どころか道徳すらないその台詞を、僕は頭で理解した瞬間、とてつもない悪寒を感じた。


 保護するべき対象である子供に対して、そんな言葉を使うのか。腹を痛めて産んだ子じゃないのか。愛する我が子じゃないのか。


 吐き気を感じた。蹴られた時ですら吐きそうだとは思わなかったのに。


「誰があんな家に好き好んで帰るか。顔も見たくない」


 メッセージに既読をつけ画面を閉じる。


 見慣れてるのか、感情の起伏は一切ない。眉ひとつ動かない。怒りを通り越した呆れすら見えない。


「まぁいいや」


 そう言ってストローを吸って、グラスに入った白濁の液体を飲みながら、


「未成年のセックスってどう思う?」


 美彩はそう言った。


 僕は何も飲んでないのに吹き出しそうになった。カルピスにビールなんて、意味がある様に見えて仕方ない。

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