第43話 ヤニ

 元喫煙者の親父は、母と結婚する前にタバコを辞め、母が亡くなった時に、一本だけ吸ったらしい。中学生の頃に聞いた話だ。


 タバコは吸わん方がいいという親父の言葉を鵜呑みにして、僕は成人するまでは一本も吸わなかったが、大学の先輩付き合いで一本だけ、物は試しと吸ったことがある。喫煙者にならなかった結果からして、過程はお察しだろう。


 タバコをレジに通す度、銘柄を言われる度、その話を思い出す。


『ビーッ』

「…………………………」

「………何したお前」

「いや知りませんよ!」


 神宮寺がタバコをレジに通すと、エラーを知らせる音が鳴り響き、訝しんだ目線を送る。


 平日のあまり忙しくない午後10時、11時あたりの時間帯で、客も目の前の男性以外いないし、僕らももうそろそろ上がらないといけなくなる時に、また神宮寺が厄介事を起こした。


 もう一度レジに通すと、もう一度「ビー」っとエラーの音が鳴る。仕方が無いので僕は、


「申し訳ありません。こちらの商品、同じ商品と取り替えてもよろしいでしょうか?」


 と言って、後ろのタバコ棚から同じタバコを取り出し、客に見せる。


「あぁ、いっすよ」

「ありがとうございます」


 馴れ馴れしい口調だな。友達ですか僕ら。


 取り替えたタバコをレジに通すと、何事もなく追加され、合計金額が増える。


 項目にタバコが2個会計されてないか確認して、


「お会計、2434円になります」

「カードで」


 もう面倒くさくなって僕がレジを担当し、折り畳まれたエコバッグに袋詰めし、レシートを渡す。捨てるんなら受け取らんでもええやろがい。


「ありがとうございましたー」


 染み付いた笑顔で対応する。


 自動ドアが開いて閉じて、また店内が静かになると、


「さっきの何なんですか?」

「一回レジ通した商品なんだろ。レシートには入ってないけど」

「………どういう事ですか?」

「…………………………………」


 少しイラッとして説明する。


「誤って同じ商品を2回通して、料金が倍になる誤会計を防ぐ為だよ。同じ商品でもバーコードは違うからな」

「なるほど」

「前教えたはずだが……」


 今に始まった事ではないか。


 とりあえず、このタバコどうしようか。メビウスワンのタバコ。たまに「マイセン」と呼ばれるがマイルドセブンの略称で、メビウスは元セブンスターのマイルド銘柄から来てるらしい。どうでも良いけど、愛称で呼ぶのは聞いてわかるものにしてほしいと、新人の頃は嘆いていた気がする。


「……………これ、もしかして片淵かたぶちさんか?」

「誰ですか?」

「……………前、これ5箱買って、お前に唐揚げ奢った常連客だよ」

「あー」


 思い出した様だ。


 そういえば以前、購入したタバコを一箱分けて貰い、僕は吸わないので棚に戻した事があった。すっかり忘れていた。


「今度来たら渡しとくわこれ」


 捨てるの勿体無いし。


「…………私悪くなく無いですか?」

「そうだな」

「謝ってください」

「すまん」

「誠意が足りなく無いですか?」

「調子乗んな」

「ごめんなさい」


 何だこの後輩は。


 バイト服のポケットにタバコを入れるのは流石に勤務態度が悪いと思われかねないので、念のため駐車場に一台も停まってないのを確認し、客が入ってこない即ちホールを神宮寺だけにしないようにして、一度スタッフルームまで戻ってロッカーを開きリュックサックを開け、筆箱の横にでも置いておく。今日ももちろん大学で授業をした帰りだ。


 課題の締め切りが近いことを思い出しながら、ロッカーを閉める。帰ったらやらないといけない。あー、めんど。


「おっす。なんや?優ちゃんレジに立たせてサボりかいな?」

「人聞き悪い……どっちかといえば蒼だろそれ」

「せなや」


 ウケケと、何が面白いのか笑いながら入ってきたのは蒼だった。この人にタバコあげてもいいけど、銘柄の好き嫌いもあるし、そもそも前にタバコの匂いがしたってだけで、喫煙者かどうかはわからないけど。


「タバコ奢られたから仕舞ってただけだよ。蒼が処理してくれると助かるんだけど」


 ロッカーを開けて、仕舞ったタバコを取り出し蒼に向ける。


「俺も吸うけど、それやないな。一本だけ吸って箱捨てる人おるけど、封開いてへんの珍しいな」

「知り合いから貰った。だから次会ったら返すわ」

「マイセンやのうてすまんなぁ」


 ほらここにも居たマイセン派。


 何度このタバコを出し入れしなくてはいけないのだろうか。僕はもう一度タバコを仕舞い、蒼に一言かけてスタッフルームを後にする。


 レジに戻ると数名の客が来店しており、神宮寺はタバコの陳列作業をしていた。


「おかえりです先輩」

「ただいまです後輩。それ終わったら上がれ」

「了解です」


 ちなみに目上の人に対して「了解」は不適切な敬語らしい。僕もたまに使ってしまうから、さして失礼だとは思わないけど。


 店内を見回し、他にやるべき仕事は残っているか探していると、


「………………………」


 菓子やら酒やらが入った買い物カゴが、神宮寺の目の前に置かれた。言うまでもなく会計だ。


 全員分をまとめて買っているのか、同じような服装をしたの客が、何も持たず後ろに並んでいる。


「……35番………」


 35番。十中八九、タバコの事だろう。


 無口な客も、無愛想な客も珍しくはない。ただ神宮寺の手が一切動かないのは、ちゃんとした理由がある。


「失礼ですが、年齢確認できる身分証の提示をお願いします」


 彼らの風格が、14、5歳の中学生にしか見えず、また身なりも、如何にも不良といった見てくれだからだ。


 派手でダボついた服装に、ワックスで固めた金髪や茶髪、チャラチャラしたネックレスやイヤリングと、何より刃物みたいに鋭い目付き。


「チッ……」


 不良少年のうちの1人が、店内全体に響き渡る様な大きな舌打ちをする。他の少年も次第に機嫌が悪くなり、靴のつま先を何度も床に叩き貧乏ゆすりをする。


「何?お姉さん、俺が未成年に見えるって言ってんの?」

「いいえ規則ですので。例え60を超えているであろうご年配のお客様でも、私は年齢確認を致します」

「あ、ごめんなさぁい。免許証忘れちゃって、………ボタン表示してもらってもいいですか?」


 レジに1番近い少年が眉をひそめながら、広告が表示されているパネルをツンツンと、指で何度も叩く。


 流石にまずいと思った僕は割って入り、少し威圧的に口を開く。


「申し訳ありません。年齢が確認できないお客様には、お酒やタバコの提供が出来ませんので、こちらの商品だけでお会計させて頂きます」


 カゴからビールや酎ハイなどのアルコール飲料を抜き取り、タバコなんて手に取るはずも無く、お菓子だけになった買い物カゴを少年達に傾け見せる。


「っざけてんじゃねぇぞっ!!」


 いきなり大声を出し堪忍袋の尾が切れたのは、会計をしようとした最前列の少年で、中学生にしては背が高い。僕とほぼ同じだ。


 ああ、この目はダメだ。話を聞く気がない。どんなに説明しようと、姿勢を変える気がない。断固として譲らない意思と、何を言われても誤魔化す腐った性根が見える。


「お前らじゃ話にならん。店長呼べ」

「何や何や、騒がしいなぁ。揉め事かいな」


 もう沈黙を続け追い払おうかと思っていたら、スタッフルームの扉が開き、制服に着替えた蒼が顔を覗かせた。


「もうお前でいいや。35番のタバコ寄越せ」

「人に物を頼む態度やあらへんなぁチンピラ中学生。お客様は神様やけど、君らは神様や無さそうやな。さてはニコチン切れて頭きてんとちゃうか?」

「………だったら何だよ」

「生憎やけど、ヤニカスとアル中のガキに売る酒とタバコはあらへんで。仕事の邪魔やけん、帰ってくれへん?」

「………………………チッ……」


 こいつもかと言った具合いに舌打ちをして、それでも帰らない少年たちは威圧を続ける。


「さっさと売ってくれればスムーズに仕事出来て、俺らも満足して帰れんだ。もう一箱と一缶だけでいいから、つまみ要らんしレジ通してくんね?」

「はーあ。……なんも知らねぇガキンチョに教えたるわ。耳かっぽじってよぉ聞けや」


 呆れた様子で蒼は深いため息をつき、ヘラヘラとしたいつもの表情を殺し、少年達と同じような鋭い目付きで話し始める。


「未成年に対する酒やタバコの販売は、売った方が処罰を受ける。俺はお前らのダチやあらへんし、知らんクソガキの為に手ぇ染めるわけあらへんやろが」


 いつもと違う座った表情と訛りに訛った関西弁が、言葉の圧をさらに強くする。その圧は味方である僕らが怖気付く程。


「あんまりしつこいと警察呼ぶけんな。商品にお前らの指紋べったり付いて、監視カメラにもバッチリ写っとる。お巡りさん来たら一発アウトやろな」

「……………………チッ…………」


 何も言い返せなくなった少年達は苦虫を噛み潰したような顔をして、1番背の高い少年の「行こうぜ」と言う一言で、外へ向かった。


「名前覚えたからな」


 自動ドアが閉まる前に、少年は捨て台詞を捨てて帰っていったので、僕は捨てられた台詞をゴミ箱に捨ててから、


「クソみたいな残業だったな」

「ほんまな」


 蒼と2人でため息をついた。


「こっからバイトするん怠いねん。帰ってええか?」

「労働時間5分だけどな。……ってか、大丈夫か神宮寺?」

「…………………………………」

「……神宮寺?」

「………………怖かった………」

「……おつかれ。もう上がりだ」


 自分の肩を抱きしめ、うずくまる神宮寺の頭をよしよしと撫でる。災難だったなマジで。


 深夜にああいった「ヤベェ客」はよく来る。深夜帯を担当した事ない神宮寺には、些か刺激が強かったか。もう少し早く上がれるよう、店長に相談しておく必要があるかもしれない。また、今起きた事も。


 逆に深夜帯を経験した事がある僕や蒼については、日常茶飯事とまではいかないが、そこそこ経験があるから、適当にあしらって追い払うのだが。


「かんにんな優ちゃん。あの類いの阿呆には殴るのが1番早いねんけど、ほんま生きにくい世の中やで」

「殴ってもいい世界が生きやすかったらこの世も末だよ」


 トンデモ発言をする蒼を横に、なんとか神宮寺を立ち上がらせ、スタッフルームに送って帰る支度をさせる。無論一緒に着替えるなんて事はせず、神宮寺が着替え終わった後に僕も着替えてタイムカードを切る。


「ここら辺の治安も悪くなってきたからなぁ。不審者か知らんけど、昼間からお巡りも彷徨うろついてはるし」

「………補導されるかもな神宮寺」

「そっちかいな。まぁ、心配なら一緒に帰ったれや。どの道危ないやろ」

「そーすっかー」


 何にせよ1人では帰れそうにないし、途中まで送ってやるか。


「俺が送ってもええで?」

「お前といる方が不審者より危ないだろ」

「せやな」


 ウケケと笑う彼の顔に、さっきの威圧感は全く感じない。神宮寺の表情も変わっているが、こちらはスイッチが切れたというより、張り詰めた糸が緩んだと言う感じ。


 僕は神宮寺をよくヤベェ奴とか変人と言ったりするが、今日来た客もまさしく「ヤベェ奴」だったが、彼らと同類と括りたくはない。何故なら批判し、怯えているから。


 よく知りもしない人をクズと呼ぶつもりはないけど、少なくとも彼女はクズでは無い。そして弱くもない。


「私から離れないで下さいね」

「夜中トイレに行く子供かよ」

「今頼んだら寝落ち電話してくれます?」

「充電無いから無理」

「帰りたくありません」

「帰れ」

「先輩の家泊まらせてもらえません?」

「単純に嫌」


 多少は回復していて安心した。これで辞める人も多いからな。


 後日、似たような客が璃穏のバイト中に来たが、謝る気のない「申し訳ありません」の一点張りで追い払った。居酒屋バイト経験者か、元々の性格か。

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