第27話 念の為

「昨日は本当に助かった。ありがとな」

「礼には及ばない。またいつでも泊まりにおいで」


 その言葉に甘えて住み着くやからがいるから、僕は間に受けない。お荷物認定されるのはごめんだ。


 あの後、少し調子が戻った神宮寺とやはり不機嫌な美彩と、相変わらずレベルが高い針ヶ谷ディナーを頂いた。望月にも声をかけたが、体調が優れないらしく不参加で、逆に絶好調の折坂さんは仕事帰りに、大量の酒を買ってきて飲み始め、僕は飲まなかったがその晩酌相手に抜擢され、12時近くまでそれに付き合い、酔い潰れて寝てしまった折坂さんをソファーに放置して、客間に敷かれた布団で寝た。


 正直言っていつもと違う環境では寝付きが悪く、1時間近く悶々としていたが、なんとか眠れた。


 朝起きるととてもいい匂いがした。焼き魚、卵焼き、納豆、漬物、味噌汁。日本人の理想的な朝食を贅沢に早食いし、僕はアジトを後にした。今日は1限目に授業があったし、その前に寄るところもあったからだ。


「それにしても帰れて良かったね」

「なんで部屋主が締め出されてるんだって話だけどな……」


 LINEは悶々とした夜中に気づいたが、妹は持ち逃げした鍵を、僕が上がった後のバイト先に届けていた。事情も知らずに受け取った、例の年上後輩が妙な勘違いをして「あんなごっつ可愛い女捨てはったん?それで彼女んに転がり込むって、大人しい顔して女ったらしやなぁ」とか「案外隅に置けまへんなぁ」とか言い出したので炭酸飲料を一本彼に奢らせて。


 鍵を調達し自宅に戻り、パソコンや教科書を持って大学に行き、授業を受けたその帰りに服屋に寄って、下着と寝る時用の服と、それとバスタオルを購入して、現在に至る。


 少々ハードなスケジュールだったが、早起きも相まってまだお昼時だ。


「………………………………」


 そんなお昼時なら、中学生は学校で授業か給食を食べている時間だろう。普通の中学生なら。


「……………下に鍵なかったからなんとなく察してたけど針ヶ谷、今日学校休み?」

「休み………と言うより、休んだが正しい。用事があってね」

「用事?」

「そう、用事」


 この会話で何かに気づいた針ヶ谷は、一瞬口籠もり、少し目線を落とした後、もう一度僕の目を見て、


「だから決して、不登校とかではないよ。学校には、ちゃんと行ってる」


 はっきりと、そう言った。妙な勘違いを避けるため、と言った具合に。


「当たらずとも遠からず。………その心配は、穂乃佳ほのかにして欲しい」

「望月に?」

「うん」


 なぜ望月に心配をしなくてはならないのか、僕は後々痛感することになるが、今の僕にはわからないこと。


「特別急いでるわけじゃないが、その用事があるから、昼食は用意できない。すまない」

「いや、そこまでご馳走になるつもりは……僕もこれ届けに来ただけだし」


 昨日みたいに何かあった時用に、買ってきた下着とジャージの入ったビニール袋を、少し持ち上げる。泊まる度に折坂さんのお下がりジャージを着るわけにはいかない。


「そうか。帰ったら閉まっておくよ」


 そう言って手を伸ばしてくれたから、有り難く、その小さな手にビニール袋をかける。そんなに何枚も下着や寝間着を買ってはいないが、彼女が持つと少々重たそうだ。


「……その用事って買い出しか?なら、僕も手伝う。いつも世話になってるし」

「ん?あぁ、いや。たしかに、帰り寄ってくつもりだけど、それだけじゃないんだ」

「そっか」


 そう思ったのは針ヶ谷の服装だった。


 いつもの部屋着ではなく、かと言って見窄みすぼらしくは決してない、落ち着いた色の大人びた、小洒落た格好だった。ダボっとした服が最近の女子中学生の流行りなのか、はたまた個人的好みなのか知らないけど、とても似合ってるのは確か。


「……………………………」


 この時期にしては少し暑そうな格好ではあるが、わかっているから、何も言わないが。


 その視線に気づいたのか針ヶ谷は、服の裾を少し引っ張り、


「やはり変だろうか。僕はファッションに疎くてな。………友人の家にお邪魔するのに、この格好は失礼だろうか?」

「そんな事はないぞ針ヶ谷。似合ってる」

「いや、気を遣わないでくれ。今は、客観的な意見が欲しい」

「…………………………」


 と、言われましても……気を使ってるつもりはないのだが……。


 僕も流行にはそんなに敏感じゃないし、ファッションに興味があるわけじゃない。服なんて周りと浮いてなければなんでもいいと思うタチだから、派手な服装は嫌うが、そうでなければどれも変わらないと思う人間だ。


 ファッションデザイナーでもモデルでもないから、服の良し悪しなんてわからない。だが、その人に似合ってるか否かなら、何となくわかる。似合っているという、酷く主観的な意見だが。


「僕もそんなに服に詳しい訳じゃないが、本当に似合ってると思うし、すごくお洒落だと思う」

「…………………オシャレ……?」

「あー、いや……そのっ………可愛いっつーか、似合ってるって言うか………」

「……………………お兄さんさぁ……」

「……………本当ごめん」

「そんな謝らなくても……逆に傷つくよ………」


 自分の貧弱なボキャブラリーを呪いたくなる。


 針ヶ谷は「まったく……」と呟き、隠れた口を尖らせ、軽く咳払いをする。


「………穂乃佳の家までそこそこ距離があるんだ。道中に痣を見られる可能性があるし、ちゃんとした服を着た方が注目も集めにくい」


 なるほど。


「え?望月の家行くのか?」

「そう。穂乃佳の家に行く」


 言ってなかったっけ?言わんばかりに小首を傾げる針ヶ谷。


 そうか、望月の家に行くのか。何処に住んでるか知らないけど、そこそこ距離があるなら気をつけて……


「そうだ。お兄さん、今日はこれを届けにきただけなんだよね?」

「まぁ、そうだな」

「この後急ぎの予定はあるかい?」

「特に無いけど」

「少し時間をくれないか?ちゃんと礼はする。頼む」

「…………………………?」


 意図がわからず、僕も小首を傾げる。礼なら僕がするべきだと思うが。


「大したことじゃない。ちょっと付き合ってくれるだけでいいんだ。穂乃果の家まで」

「へ?」


 春が終わり夏が始まる前の梅雨空は、ほこりみたいな灰色の雲が膨れ上がって、とてもジメジメしていて、洗濯物を干す場所に困る。

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