第4話 非日常へ

 一瞬のようにも永遠のようにも感じた5時間労働を終えて、スタッフルームでちんたら着替え、関係者以外立ち入り禁止のドアを内側から抜けると、自分がさっき補充したジュース商品棚から一本手にとって、レジのおばちゃんに百数十円渡してシールを貼ってもらう。


 仕事後にジュースを飲むのは、サラリーマンがビールを飲むのと同じくらい疲労が一気に回復するのだが、この時ばかりはいつもの強炭酸飲料は飲めそうにないから、体に良さそうなポカ○スエットにした。


 理由はもう言わない。誰だって察してくれる筈だ。


 深夜帯にシフトを入れたおばちゃんに「あら。珍しいねぇ」と言われて「ちょっと疲れちゃって」と苦笑いを返したが、上手く笑えたか、自信がない。


 だってこれから、もっと疲れる事が起きるから。


 何を隠そう。この後、つまりバイト後に、神宮寺の言う「我が組織」のアジトとやらに行かなくてはならなくなったのだ。


 数時間前。


 廃棄処分のおにぎりやサンドイッチをカゴに移していた時に、

「今日仕事終わったら、先輩を組織にご招待いたします」

と、万遍の笑みで言われて、思わず鮭おにぎりを落っことしてしまった。廃棄じゃなかったらどうするつもりだよ。


 「来てくれますか?来てくれますよね?」と下の棚を担当していた神宮寺から、いわゆる上目遣いで聞かれたが、無論キュンとはしなかった。心臓が止まるかとは思ったが。


 もちろん僕に「YES」or「はい」以外の回答など用意されているわけがなく、がくりと首を項垂れたら神宮寺はますます笑顔になった。


 パートのおばちゃんから小銭を受け取ると、「お疲れ様」と言われる。レシートを横のレシート入れに入れて「お先に失礼します」と返す。


 自動ドアが開くと同時にペットボトルのキャップを開けて、店前でグビグビ飲む。


 毎日、少しずつ少しずつ暖かくなって、今は夜だけど、日中は少し温か過ぎる。気温差で病気になりそうだ。


 クールビズじゃ無いけど、制服が指定されてる中学高校は、着てくる服の種類では体温調節ができないから、少し可哀想だと思う。最近では小学生も制服指定の学校があるから、近頃の子供は窮屈そうだ。大学はその点服装自由だから、楽と言えば楽だ。制服指定にならないことを願う。


 まぁ何が言いたいかと言えば、夏が来るらしい。当たり前だけど。


 5月の下旬だってのに雨はよく降るし、たまにスズムシが空気を読まずに鳴いている。ぼーっとしてれば夏なんてあっという間に過ぎてしまうかもしれない。


 思い返せば充実した夏休みというものを、一度も経験してこなかったのではなかろうか。


 マンガやアニメみたいな、海とかプールとか、花火大会のような夏らしいイベントを。


 別に無人島バカンスみたいな事を期待するほど、僕は夢見るピュア少年じゃないけれど、せめて「楽しかったな」と思えるような夏にしたい。


 夏休みなんて、小学生の頃は習い事とテストの補修をしていたし、中学生の頃は毎日部活動。高校時代はアルバイトの掛け持ちでバリバリ働いた。


 もしかしたら僕の夏休みは一度も休んでいないのでは?そういえば大学生活で二度の夏休みを、僕は短期アルバイトの研修に当てていた気がする。だとすると、今年もそうなのでは?


 やめだやめだ。遠くて近い夏休みを想像し、勝手に絶望するならしないほうがいい。過去を振り返っても未来を見据えても意味なんかない。大事なのは今だ。


「……………………………………」


 僕、これから後輩に連行される予定。


 あれ?今も結構辛くない?もしかして八方塞がりってやつ?涙出てくるんだけど?


「お待たせでーす。…………何やってんですか?」

「人生に絶望してる」


 コンビニの前でうずくまる姿は一昔前のヤンキーのようだ。最近は不良と言った方が伝わるかな?僕はどっちも違うけど。


「…………そうですか。じゃあ行きましょう」

「…………神は残酷だ」

「神様ですか、いいお世辞ですね。さぁ先輩、思う存分崇めたてていいですよ。お供物の無料キャンペーンも開催中です」

「……………………………」


 たしかに、霜のような反応はしないと思ったけどさ、モブさんとの回答とこれだけ違いがあるんだ。神宮寺さん心配の「し」の字も知らないのでは?


「無料キャンペーンほど高いものはねぇよ」

「てか先輩珍しいですね。ポ○リとは」

「悪いかよ」

「悪くはないですが、先輩の好きなやつって……、これですよね?」


 神宮寺はカバンから何かを取り出してうずくまる僕の頭の上、正確には見上げている僕の額と髪の毛の境界線に、神宮寺はペットボトルを置いた。先輩を物置棚にすんな。


 置かれたのはよく見るパッケージの、僕がいつも買う炭酸飲料だ。しかし、今日ばかりは浮気したのだ。


「お前も好きなんだな、それ」

「はい。私も好きですよ」


 神宮寺はなんだか嬉しそうに微笑むが、その微笑みの次に待っているのが謎組織の入団になるのだから、この笑顔が怖い。


 頭の上の炭酸飲料を首を傾けて落とし、右手でキャッチ。立ち上がるついでに、凝り固まった体をほぐすように大きく伸びてついでに腕も伸ばす。


 僕の最高到達点にまで吊り上げられた炭酸飲料を、僕より背の低い神宮寺が取れるはずがないのだが、神宮寺は膝を曲げた大ジャンプで僕の手からペットボトルをひったくる。


 もちろんバイト後は制服を脱がなくてはいけないため、今の神宮寺はパンツ脅迫事件と同じ制服姿であり、すなわちスカート。


 そんな状態でジャンプすれば誰でもわかるけど、パンチラの確率がグンっと上がるのだ。


 トラウマを持つ僕はフワリと膨らむスカートとに向かって、


「何すんだお前ッ!!!」


 近所迷惑なレベルで叫んだ。


 幸い風が吹いていない無風状態で、思いの外空気抵抗が少なくパンツトラウマの再発は免れた。


 心臓に悪いどころの話じゃない。心臓発作とか気絶とかしてもおかしくなかったぞ。近所迷惑で済んだのは逆に奇跡。


「はぁ……お前さ、ちょっとは常識身につけたほうがいいぞ」


 どう考えても年頃の女子がやる事じゃない。パンツ脅迫はもっとだが。


「いや常識も何も、先輩に取られたんで取り返しただけですよ?」

「…………そっちじゃない」

 あとジュースはお前が勝手に乗せたんだろうが。

「…………一ついいか?」

「何ですか?」

「………………さすがに、履いてるよな」


 自分でもビックリするほど常識のない質問をした。


 もし先程のジャンプでスカートがめくれて、あろうことか最終防衛壁パンツすらなかったら、こいつを嫁にする未来ができてしまう。


 今後、何かのはずみで第二次スカート事故が勃発したら、その日のために僕は目をつぶす覚悟をしなくてはならないのだから。


 珍しく神宮寺が眉をハの字にして顎に手を当てる。


「ん?…………………あ、なるほど」


 頭上で豆電球が光ったリアクションをして、顎についていた手が外れて。


 そのまま手が伸びて、スカートの裾をつまんで広げるから、僕は頭を抱えた。


「確認してみます?どうします?」


 そのまま捲り上げて、パンツが見えるか見えないかのラインまで引き上げるから、僕は目をつぶす覚悟をした。


「あっ!それとも前みたいにプレゼントしましょうか?」

「……………それをプレゼントと言い張る自己評価の高さには称賛するよ………」


 もう新手のテロだよ。


 スカートをめくる変態な後輩が、「ほれほれ〜」と腰を左右に振るごとに、僕の脳みその前頭葉あたりが擦り減ってるのを感じた。

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