7

 ×月×日


 『名は体を表す』そんな言葉がある。

 体があるからこそその姿に見合った名が与えられ、名こそ物に与えられた唯一無二の座標なのだと。

 ではもしも、体を持たぬ物に名を与えれば、どの様な事が起きるのだろうかという疑問があった。

 そしてその問いの答えは、存外直ぐに与えられた。

 「……」

 その出来事が起きたのは、なんてことの無いごく当たり前の平日だった。

 如月が明瞭に言葉を紡ぐ様になった日、爾来如月との会話はごく当たり前の物になりつつあった。

 だが、言葉だけは流暢なその陰が姿を見せることは無く、常に自分の背後、耳の直ぐ側で囁く様、風音にかき消えない明瞭な声だけがその存在を確固たる物としていた。

 「何黙って見てるんだ、これは見世物じゃ無いぞ」

 本棚とベッドフレームの隙間、人一人やっと入れる程度の隙間に、一糸纏わぬ状態の人間と思われる存在が居た。

 何故『人間と思われる』なのかは、僕はその存在を直ぐに如月自身だと認識した上で、如月を人間と呼んで良いのか判断に迷ったからである。

 「何故こんなところにした、これでは動けないでは無いか馬鹿者が、じろじろ見るなとは言わないからせめて手伝え……いや、まだ触れる事は出来ないか」

 一人ぶつくさと何かに納得した如月は、人一人分の間隙でひとしきりもがいた後、無理矢理その隙間を這い出てきた。

 そのとき、本棚が全く揺れなかった事を確認し、僕は一人如月が存在しないと再確認していた。

 「如月か?」

 「左様だが、あえてその問いをする意味を教えてくれ」

 そう言い、如月はベット脇に腰掛けて呆れた表情をする。

 足の付け根まで伸びた真っ白な髪に同じく雪の様に白い肌、そして現実にはあり得ない血の様に赤い瞳。

 その姿は新雪に血を溢した様のその体には、筋肉も脂肪も殆ど付いていないが為に肋骨がうっすらと浮き出ており、元々設定されていない性別を示す情報は一切付随していなかった。

 「いや、なんだかイメージ通りだと思って」

 「相変わらずお前は馬鹿だな、何を当たり前の事を。

 それよりも、体の設定するまでは良いが、ついでに服まで設定してくれると助かったのだが。

 まぁ良い、まだ外気を感じる事は出来ないし、誰かに見られる事が無い以上恥じらう必要も無いのだが……それでもお前の頭の悪さ故の事だと思えばちと腹が立つ」

 自重が無いが故に一ミリも沈まないベッドの上、如月は体の様子をしげしげと見つめたのち、口を開いた。

 だがそれと同時にその姿は一瞬にして消え、声だけがベッドの上から響く。

 「まだこの位が限界か、安心しろ、これが今のお前の頭の悪さの象徴だ」

 「姿が見えないのは僕の認識力不足だと?」

 「その通りだ、安心しろ、また直ぐに姿が見れる様になるし陰も濃くなってゆくはずだ」

 どこか勝ち誇った様な中性的なその声に、僕は『何故安心する必要があるのか?』と反論しようとして刹那に言葉を飲み込んだ。

 何故なら、そう口にしたところで如月には言葉が嘘偽りだと見抜けるからだ。

 そんな僕の胸中を全て見透かした上で、如月は小さく笑うと続けた。

 「安心しろ、私はお前に一切の危害を加えるつもりは無い、そしてお前が拒まぬ以上ずっと側に居てやるさ。

 何故かって? 私はお前だから当然だろ」

 全てを見透かして、全てを理解して、全てを受け入れたその言葉は、空気を震わせる事も無く僕の頭に響いていた。

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