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 ×月×日


 表計算ソフトの片隅に表示された『IF』という関数。

 それはその名前の通り、『もしも(IF)』という区分けで情報を整理する機能を持つ。

 『もし数字が5よりも多ければ○を、それ以外なら×を』、『もし数字が5で無ければ×を』といった具合に情報をふるい分ける。

 そしてその機能には二重三重と同じ問いを繰り返し、『Aでも無ければBと、しかしBの中で一定の条件を満たせばCを、更にそのCの中でも――』と言った具合に、より複雑な処理を行うことも出来る。

 だが、一見すれば万能にも見えるその機能だが、その機能はいわば磁石で砂鉄を集めるのと同じ行為だ、一定の条件を満たす物を拾い上げることは出来ても、その他を細かく見分ける事が出来ない。

 例えば砂の中の砂鉄を集めることが出来ても、砂の中のその他に混じり込んだ塩や土、樹脂の粉などといった素材を事細やかに分けるには膨大な量の問いかけが必要になり、ヘンペルのカラス通じない存在に対して、何の抗力も発揮しないのだ。

 これは、人間の認識でも言えることだろう。

 問いかけの代わりに人は名という唯一無二のハッシュタグと、実像というIPアドレスを用いる。

 では、実像を持たぬ虚像は存在すると言えるのだろうか。

 「そもそも、実像という物は人の生み出した虚像であろう」

 誰かに向けて投げた問いかけでは無い、だが、作業の合間にふと湧いたそんな問いかけに対し、聞き慣れた『聞こえない声』が背後から投げられた。

 「また難しい事を言うね」

 「そうか? 一応お前の為にかみ砕いてやったつもりだがな……いや、私の語彙力は所詮お前の持つそれの範疇だ、これ以上難しく奏でるのも無理な話ではあるが。

 兎にも、人は目に見える物に頼りすぎているからそんな陳腐な疑問に足を掬われるのだ。

 前提条件としてお前は自分の目を過信しすぎだ、そもそも全ての物が見えていないというのに、見えている物が全てだという阿呆な考えをしすぎなのでは無いか?」

 如月の言葉通り、人の目には見えない物が多い、いいや、見えない物の方が多いと言えるだろう。

 例えば紫外線などと言った不可視光線や、丹念に磨かれたガラスなど、物理的に見えない物は多いが、その他にも人が無意識に見ていない物だってある。

 道端にゴミを捨てる人間は街路に咲いた美しい花を見ないし、大勢の人間がいる最中では、目的の相手しか認識しない。

 それは単に意識していないだけとも言えるが、捉え方を変えれば当事者に取ってそれらの余計な情報は存在していないと言っても過言では無い。

 その裏を返すと、通常認識できない存在や、そもそも存在すら持たぬ虚像ですら当事者の意識一つで目に見える形になると言えるのだ。

 どこかのオカルト信者がオーラだのエクソプラズムだのと呼ぶ偶像や、宗教に於ける神や、そして如月の様な存在や。

 「人にとって物の見方とは、常に変化する物だとは思わないか?」

 僕自身よりも先に僕の思考を覗き見た如月は、どこか達観した声で小さく語りかけた。

 「虚像の私だが、少なくともお前の視野を広げる位の力は持っておるぞ。

 こんな考え、お前一人の視野ではこんな考え出来なかったであろう?」

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