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 ×月×日


 if(イマジナリーフレンド)という言葉をふと耳にした。

 それは心理学や精神医学の分野で使われる言葉だ。

 主に幼少期の子供が作り出す、架空の人格であり、それは俗に言う二重人格とは似て非なる存在であり、イマジナリーコンパニオンやPOなどといった呼ばれ方もしている。

 名前の通り、それは架空の友達として振る舞うそれは、時折成人になっても姿を現すという。

 実態の無い人格。

 常に伴侶的な振る舞いをするもう一人の誰か。

 その存在は一見厄介な存在にも思えるが、考え方を変えるとそれはある意味理想的な存在なのかもしれないとふと思ってしまった。

 もしそんな誰かが昔の自分のそばに居たのなら、多分僕は少しだけまともになれていたのかもしれない。

 聞く分には確かに異常だ。

 だけど、今の異常が心の底まで否定され続けてきた結果だとしたら、架空でも、存在しなくとも、ずっとそばで肯定してくれる存在が居れば何かが違っていたのかもしれない。

 そう思わずには居られないのだ。

 理解してくれとは言わない、認めてくれとも言わない。

 ただ否定しない、暴言を吐かない、そんな存在をあのときの自分は確かに求めていたのだから。

 光が失われ、時計の音だけが嫌に響く部屋の中。

 暖かい布団の中で必死になって目を閉じるいつものルーチン、その一端で僕はそんな事を考えてしまう。

 そして、そんな時だからこそ、誰にも宛てる事の無かったその思いは、不定型な気配に受け止められる気がしたのだ。

 だけど、やはりそれ以上の反応は無い。 

 ただ否定を含まないそれが頭の中に居る、そんな気がずっとしている。

 例えば眼鏡のレンズに付いた僅かな汚れや、あるいは水の中にごく少量溶かされた添加物の様に。

 明瞭な姿は無い、ただいつもとはなんとなく違うと言う感覚だけは確かにそこにあった。

 その正体が一体何なのか、あえて言葉にしなくとも判っている。

 そしてソレも、あえて言葉にしなくとも、筒抜けで僕の考えを理解してくれてる筈だ。

 だってそうだろ? 君は何時だってそこに居るのだから。

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