37 あなたのアワレでございます【最終話】

 37 あなたのアワレでございます


 それからの話を、少しだけ語らせてもらう。

 父さんに頼み倒して、俺は数藤博士の助手として働いている。当の本人はと言うと、特に頓着することなく、気軽に俺を受け入れてくれた。

 博士の助手を勤めながら、改めて理系の分野を勉強し続ける日々を送ることとなった。博士の話に必死でくらいつこうとするも、まだまだ涼しい顔でぶっちぎられているのは否めない。

 そうそう、アワレと同型の、HR‐C7型の量産プロジェクトの進行がスタートした。生産ラインを一気に増やし、内部のメモリー電池も、一年までは持つように改良を加え、より長く、より人に寄り添えるようにとの願いが込められた代物だ。博士の開発したコンパニオンロイドの需要も広がっており、それらの量産もウィンテルで引き受けるようになった。そのおかげで開発事業部はてんやわんやだが、その賑やかさが不思議と俺には嫌じゃなかった。これも、あいつの遺してくれたものなのかもしれない。

 量産型は、あの日父さんが言ったように、AIは標準装備していたが、感情を全て廃した作りになっていた。だけれども、事情が少し変わった。

 博士がこっそりと作っていた、感情表現を可能にするオプションプログラムを別売りで売り出そうと言う事になったのだ。家庭用なら楽しみの、業務用なら喜びのチップが、よく売れているらしい。

 感情に深みが出るからと、俺がそれらしい事をでっちあげ、近い内に『哀』のチップが発売される事が決定した。一般に受けるかどうかはまだ実験段階だが、哀しみの共感によって、癒される人々も、きっといるに違いない。

 量産型の見た目は、アワレの姿とは随分異なるものになった。

 髪の短い活発なものと、優雅な佇まいの髪の長いものと2種類発売されたが、どちらもアワレの見た目とは似ても似つかない作りだった。マーケティング部の持ってきたデータの統計をベースに、デザイン開発部の連中が試行錯誤を繰り返して作り上げたものだ。今更俺が文句を言える筋合いがあろう筈も無いが、ほんの少しだけ寂しさを感じる権利くらいはあるだろう。

 かくして、プロトタイプとして作られたアワレは、唯一無二のオリジナルとなった訳である。

「妻に似せて作った訳じゃあ無い。たまたま、僕の理想を当てはめたら、妻に似てしまったんだ」

 そう笑う博士の話では、奥さんを亡くした事で、人型のヒューマノイドロイドを作ろうと決意したらしい。博士が意識して奥さんの姿を模り作ったのか、それとも本当に全くの偶然だったのか、そんな事はどっちでも良かった。だけど、俺と博士の女の趣味は、間違いなく、よく似ているだろう。そう思うと苦笑いが込み上げてくるが、それと同時に、誇らしいと思える程度には、俺は博士を尊敬していた。

 研究室の片隅にある硝子ケースの中で、今もアワレは眠ったままだった。研究室に行く度に挨拶をすると、あの日のアワレの姿が目に浮かび、優しく返事をしてくれる、ような気がした。

 ――今日も一日、武文様にとって、素晴らしい一日である事を祈っております。

 そう言ってくれている気がした。

 今にも、目の奥から赤い光を放ちながら目を覚ますような気さえした。それ程までに、アワレの姿は、あの日と変わらないまま、優雅で、清楚だった。

 ある夜、研究所に一人残って作業をしていた時、前々から試してみたかった事を、行ってみた。

 作業用のパソコンに、アワレのAIチップを差込んでみたのだ。

 どうにかなるとは思っていなかったが。だけど、もしかしたらと言う、淡い期待もあった。

『アワレ、分かるか?』

 テキスト画面上に、そう打ち込む。

 しばらく待っても返事は無い。だけど、俺は久々に、アワレと話をしている感覚になっていた。

『俺、あの日から随分と進んでいるよ。博士は変なところも一杯あるけど、確かに天才だし、仕事も辛いことも一杯あるけど、とても充実してる』

 あの日から、アワレに話したかったことが一杯あった。

『お前がいっつも部屋の隅で見てくれてるから、どんなに辛く苦しくても、また頑張ろうって気になれるんだ』

 アワレにお礼を言いたい事が一杯あった。

『だから、本当に感謝してる』

 時折後ろにいるアワレを見つめながら、俺は再び画面に向かいキーボードを叩いた。

『世界中に、お前の後輩達が旅立っている。みんなに感謝されて、役に立ってる。お前のお陰なんだって、俺とお前の、あの時の生活のデータが、世界中の人に、喜ばれてるんだって』

 傍らのティーカップに口をつける。中身は、イヴの日にアワレが淹れてくれたのと同じ、ジャスミンだ。

『だけど、それはあくまでデータだけの問題だからな。アワレと過ごしたあの時間は、俺だけのものだから』

 あの日に嗅いだ絵の具の匂いが、ジャスミンと共に鼻の奥を刺激する。それと共に、柔らかな熊坂の笑顔が、アワレの穏やかな笑みが不意に蘇ってくる。

『お前との、あの時の穏やかな生活は、俺が独り占めしてもいいもんなんだもんな。アワレは、俺だけのものなんだからな』

 そう打ち込み、俺も思わず笑顔になった。

 後ろに佇んでいるアワレの姿をもう一度、矯めつ眇めつ眺める。あいつはきっと、こんな俺の主張を、全部ありのまま受止めてくれるだろう。俺が過ごしたアワレと言う名のメイドは、そういう奴だ。

 その時突然、背を向けていたパソコンから、ピーッと言う電子音が聞こえた。エラーでも起こったかと慌てて振り返ると、俺が打ち込んだテキストの一番下に一行、文章が増えていた。


『はい、私は、あなたのアワレでございますもの』

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あなたのアワレでございます 泣村健汰 @nakimurarumikan

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