32 数藤博士

 32 数藤博士


 翌朝、始業時間の9時になった瞬間に会社に電話をかけ、父さんに引き継いでもらった。博士の連絡先を訪ねると、父さんにどうするんだと聞かれた。今更隠す必要も無いので、アワレの状況をありのまま話した。

『……無駄だと思うぞ』

「分かんないだろ」

『……お前が家を出ようと思う程、あのロボットのことが大事なんだな』

「ロボットって言わないでくれよ」

『ああ、悪かった。いや、嬉しいことだ』

 秘書に変わると言われ、数秒の内女の人の声に変わった。父さんの秘書から聞いた連絡先をすぐさまカーナビに登録し、アワレを呼んだ。

「武文様、昨夜はお休みになられなかったのですか?」

「いや、寝たさ。少しだけ、寝つきが悪かっただけだ」

 目の下の隈をもっと見咎められるかとも思ったが、アワレはふっと小さく笑った。

「お弁当代わりに、サンドウィッチをお持ちしました」

 アワレはそう言ってバスケットを持参していた。

「ピクニックじゃないんだぞ」

「ですが、お出かけですから」

 柔らかいアワレの笑顔に、胸が締め付けられる。


 カーナビの指示で車が向かった先は、街の郊外だった。都会的な街並みも、30分もすれば緑が多くなる。信号の本数も減り、空も高くなっていく。

『数藤博士は、あまり家から出ることをなさらない方ですので、こちらにご連絡が無い以上、恐らくはご自宅にいらっしゃるでしょう』

 秘書の人の言葉を思い返しながら、隣のアワレに目線を移した。穏やかな顔をしながら、窓の外の風景を眺めている。

 どんな場所でも60キロ以上は出ないこの自動車は、こんな時はその安全運転ぶりにやきもきする。たっぷり一時間半かけてから、やがて車は一軒の屋敷の前で止まった。

 その家は、全体をぐるりと高い塀に囲まれており、塀の内側には沢山の樹が所狭しと立っている。今は季節柄、枝に葉っぱが無い為すっきりと見えるが、夏になれば鬱蒼とした森に変わるだろう。周囲に民家は疎らにしか無い為、その様相でも、それ程不自然に感じない。

 車を降りて、申し訳程度についている門を押す。錆付いた音を立ててゆっくりと開くと、石畳の向こうに屋敷の入り口があった。

 近寄り、インターホンを探すが見つからない。ドアの正面についていたライオンの口を動かし、ノックする。

 暫し待ったが、反応は無い。

 もう一度鳴らそうとした時に、何の前触れもなくドアが開いた。

 ドアから顔を出したのは、眼鏡をかけ、白衣を着た男の人だった。端正な顔立ちをしているが、銀縁の眼鏡に白髪交じりの頭、それに疎らに伸びた無精髭の所為で、随分老けて見える。勿論、実年齢を知らないので、この印象が歳相応なのかもしれないが……。

「あの、数藤秀介博士ですか?」

 彼に向かって話しかける。だが、彼はどこ吹く風で俺の後ろを見つめている。そう、アワレを見ている。

「プロトタイプか……」

 そう呟くと、一度頭をぼりぼりと書いてから、俺に目を向けた。

「じゃあ、君が皆藤社長の息子さんだ」

「そう、です」

 博士は、俺を見定めるように全身に目線を動かした。

「どうぞ。散らかっているが、コーヒーの一杯でもご馳走しよう。入りなさい」

 そう言って、さっさとドアの奥に引っ込んで行ってしまった。

「武文様、参りましょう」

 後ろからのアワレの声に頷き、俺は数藤邸に足を踏み入れた。


 博士の家の中は、窓が大きいせいか、明るくて広々としていた。

「意外と片付いてて驚いただろ?」

 部屋の中を眺めていた俺に向かって、博士は見透かすように言った。

「やっぱり、博士もこいつみたいなのを使ってるんですか?」

 アワレの方を見ながら言うと、博士は首を横に振りながら笑った。

「いや、うちにはまだいない。ここは、妻の領域だったんだ。私の研究部屋は奥にある。とてもでは無いが、そちらは客人には見せられないのでね」

 そう言うと、コーヒーを淹れて来る、掛けていてくれ、とソファを薦められた。

 部屋の奥に消えていった博士を暫し眺めた後、俺達は指示された通り、ソファに腰掛けた。

「武文様」

 アワレに呼ばれて振り向いた先には、一枚の写真が飾られていた。二人の男女が、この家をバックに並んでいる。男の方は博士。そして、女性の方はアワレによく似ていた。髪が背中程まで伸びているせいか、顔はそっくりだが、随分と大人しそうな印象を受ける。

「アワレに、そっくりだな」

「奥様でしょうか?」

「もしそうなら、アワレを自分の妻に似せて作ったって言うのか?」

 薄ら寒い気がした。

 その時、部屋の奥からお盆にカップを二つ載せた博士が戻ってきた。

「待たせたね」

 俺と自分の前に一つずつ置き、自分も向かいのソファにどっかりと腰を下ろした。

「コーヒーには少し自信があるんだ」

 そう言って、自分でコーヒーカップを傾ける。俺もそれに倣い、一口啜った。とても苦いのに、香りが強く、いくらでも飲めてしまうような、魅きつける深さがあった。

「妻がね、私の為に美味しい淹れ方を色々探してくれたんだ。今は、その遺産の恩恵に当たっていると言う訳さ」

「奥さんって、あの写真の方ですか?」

 先程の写真を見ると、博士はその写真に近づき手に取った。

「ああ、そうだ。綺麗だろ」

 博士はそう言って、写真を眺めながら目を細めた。だけど、すぐに元の位置に置き直し、こちらへ向いた。

「さて、今日はどう言ったご用件で?」

 優雅にコーヒーを傾けながら、そう聞いてきた。後ろの窓から差し込む光が、彼の白衣を照らす。光に当てると、白衣についている汚れが悪目立ちする。

「あの、こいつの内部電池が、もうすぐ切れてしまうらしいんです。それで、居ても立ってもいられなくて……」

「うん、なるほど、それで?」

「だから、その内部電池を、交換して欲しいんです。お願いします、何とかなりませんか」

 博士は、俺の言葉など届いてないように、もう一口コーヒーを啜る。

「あの?」

 博士は俺の声には反応せずに、こちらに近づき、先程と同じように向かいのソファに腰掛けた。

 何か考えるような仕草を取った後、一つ息を吐き出してからこちらを見た。

「つまり、私の力でプロトタイプの寿命を延ばして欲しいと言う事だね?」

「は、はい。その通りです」

 拍子抜けする程あっさり話が通じた。だが……。

「結論から言おう。残念だが、それは無理だ」

 博士はまるで明日の天気は晴れだとでも言うように、あっさり死刑宣告を下した。

「ど、どうして?」

「どうして? 説明書に書いてあっただろう。メモリーの内部電池の充電、交換は不可能なんだよ」

 博士は一度眼鏡の位置を直し、俺では無く、アワレに声をかけた。

「久しぶりだね」

「はい、博士。お元気そうで何よりです」

 快活に返すアワレに、博士は更に言葉を紡ぐ。

「そんなに元気では無いが、まぁこの位が私らしくていいだろうな。元気でやっているか? 皆藤家は家が広いと聞くから、掃除が大変だろう?」

「いえ、そんな事は御座いません。私に掛かれば、どんな大きな家もピカピカです」

「それは頼もしいな。毎日楽しいかい?」

「はい、充実した日々を過ごさせて頂いております」

「そうか、それは何よりだ」

 笑顔で会話を楽しむ二人を、俺は呆然と見つめていた。

「皆藤君、君、名前は?」

「え? あ、武文です」

 急に振られた俺は、しどろもどろに名前を答えた。

「たけふみ? 字は?」

「え、武器の武に、文章の文ですけど……」

「武文君か……。文と、武。良い名だ。君は良い名を貰ったな……。ちゃんと説明をしないと、君は納得しないだろうから、簡単に話してあげよう」

 博士はそう言いながら立ち上がり、アワレの横に歩みを進め、その頭にポンと手を置いた。

「簡単な事だ。この子が機械の身体を持っている為、常識が曖昧になってしまっているだけで、同じ事を人間として考えてみればいい。つまり、活動を停止した脳を、人間の身体からどうにかこうにか取り出して、それを何とか元通りにし、再び身体に戻せたとしよう。さて、その脳の持ち主の身体は、まだ生きているだろうか?」

 あっけらかんと話す博士の姿に、愕然とする。

 脳を体内から取り出し、治療を施して再び戻す。そんな事が可能な訳が無い。だけど……。

「だったら、どうして、そんな厄介な造りにしたんですか? 中途半端に、寿命を付けたりしたんですか?」

 空中分解しそうな心を何とか繋ぎ止め、そう返す。今の博士の話を聞けば、俺にも理解できる。ただ、認めたくない……。

 博士はアワレの頭から手を離し、寂しそうに笑った。そのまま窓へと向かい外を眺め出した。溜息が聞こえてくる。

「仕方の無いことなんだ。記憶のメカニズムと、思考の制御、そしてAIを助ける働きとして、現在の設計では内部電池は欠かせない。人は、神にはなれない。永久に存在するものなど、人の手で作り出す事は不可能だ。それに、終わりがあるからこそ、命は輝く。明日尽きるかも知れぬから、せめて今日を笑って過ごす。人は長い歴史の中で、それを学んで来た……」

 博士の言っている事が、何となくではあるが理解は出来る。だが、その話を飲み込めるかどうかは、話が別だ。

「どうにか、ならないんですか? こいつは、まだ俺にとって必要なんです。お願いします!」

 思わず語気に力が入る。

 こちらを向いた博士の顔は、皮肉に満ちたような笑い方をしている。だけど、その顔があまりに哀しそうで、俺を嘲っているのでも、失望しているのでも無いと感じた。

「君は真っ直ぐだな。君のような時期が私にもあった」

 博士はそのままカップを傾け、失礼、おかわりを貰うよと、空になったコーヒーカップを片手に、再び台所へと消えていった。

 太陽が暴力的に部屋の中に入り込んでくる。

 力無くアワレを見つめると、アワレは俺の視線に気付いて、にこりと笑顔をくれた。

 この笑顔を失う事に、俺は耐えられるのだろうか……。

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