31 リミット

 31 リミット


 窓の外を流れていく景色。時間が夜10時を回った所為か、先程までの華やかさは随分と落ち着きを見せていた。ショウウインドウは電気を消し、サンタの数も随分と減った。飲み屋やレストランなどはまだ明かりが灯っているが、クリスマスイヴが終わりに近い事を意識すると、やはり寂しく感じる。

 後部座席に座る俺とアワレの間には、熊坂の絵が置かれている。

 熊坂のお母さんが、是非持っていってくれと言うのを、断り切れなかったのだ。

 アワレが機械である事を告げた時、お母さんは改めて父さんと会社の事を褒めた。先日父さんの会社へ挨拶に来てくれた時には随分と気後れしたらしいが、アワレの丁寧な物腰に好感を覚えたのか、こういうのが増えれば世の中平和になるかもしれないね、と目を細めた。そして、本当にお父さんにそっくりね、皆藤君と言われ、何だか複雑な気持ちになった。

「また好きな時に来てちょうだい。あの子も喜ぶから」

 熊坂の父親の事、この家の事、懸念した事はいくつかあったが、それを聞いたところで何か出来るわけではないし、何よりも、対峙した事で、お母さんの強さを感じた……。

 帰りの車内、静かに流れていく時間の中、微かではあるが頭痛が響いた。だけど、熊坂のお母さんに会った時には痛まなかった事を今更ながらにぼんやりと思い出し、今も奥底で遠慮がちに刻まれるビートが、むしろ心地よくさえあった。

 具体的に何かが変わったわけではない。

 人は決意では何も変わらない。行動で、未来を変えていくものだから……。

 家に帰り着くと、アワレはすぐに台所に消えて行った。

 俺は一度部屋に戻り、熊坂の絵を置いてすぐさまアトリエに向かった。熊坂の絵を飾る、額を探すためだ。それと、ついでにもう一つ、アワレの絵を入れる額も必要だ。


「武文様、お疲れ様でした」

 俺が部屋に戻った時、アワレはすでに湯気の出るマグカップを用意して、部屋で待機してくれていた。

 似合っていたドレスはいつものメイド服に戻っていて少し残念だったが、この姿もよく似合っていると思い直した。

 マグカップの中に用意されていたのは、あったかいココアだった。受け取り、口に少しだけ含む。甘さと温かさが口の中に広がり、優しい気持ちになれる気がした。

「うまいよ、アワレ」

「それはようございました」

 ちゃんと声に出して褒めてやると、アワレはいつものようににこやかに笑った。

 マグカップを机に置き、持ってきた額を熊坂の絵にはめる。豪奢なものは避け、それでも安く見えすぎないように、木目調の額縁を用意した。扉の横、ベッドから真正面で見える位置に飾る。再びしっかりと、二人の背中を眺める。自然と暖かい気持ちが胸の中を満たした。

 もう一つ持ってきた額に、アワレの絵を収めた。少しだけ煌びやかな、銀色の額。

「アワレ、お前、これ欲しいか?」

 絵を手に、本物と見比べながら聞くと、アワレはにこやかに笑った。

「頂けるものでしたら。ですが、それは確か、アワレめから武文様へのプレゼントになるはずでは?」

 それに、と続けたアワレの言葉が、引っかかった。

「アワレめは、それ程長い時間武文様といられる訳では御座いません故、是非武文様にお持ちいただきたく思います」

「それ程って……、どこかに行ってしまうのか?」

「いえ、そう言うわけでは御座いません。以前私の設定資料をお読み頂けたと思うのですが、そこにも記載されております通り、私どもHR‐C7型のメモリー機能を司ります内部電池には、容量に限りが御座います。ですが、ご心配は御座いません。活動限界が近づいた際にはきちんとご報告をさせていただきますので」

 その言葉に、全身の熱が急速に冷めていくのを感じた。

「内部電池って、後どれ位もつんだ?」

「まだ大丈夫でございますよ」

「いいから! 答えてくれ……」

 自然と声量が増す。ほとんど怒鳴るような形になってしまった事に、自分でも驚いた。動揺が全身を廻る。

 アワレは分かりましたと呟くと、そのまま目を閉じた。30秒程して、アワレは再び目を開ける。

「内部電池の活動残り時間は、後114時間、48分前後で御座います」

「114時間?」

 咄嗟に頭が回らなかったが、必死で頭をフル回転させて計算をする。

 一日24時間。114を24で割る……。あまった部分を戻して、足してを繰り返して、頭の中ので算盤を弾いた。

「後……、5日?」

「そうですね、48時間を切りましたらもう一度ご報告をさせて頂きますので、そうしましたらカスタマーセンターに……」

 その声を遮るように、俺は思わず、アワレを抱きしめていた。

「武文様? どうなされたのですか?」

「何で、もっと早く言わないんだ……」

「48時間を切りましたら、ご報告をさせて頂きますようプログラミング……」

 アワレはそこで言葉を止めた。

 そのまま、アワレはゆっくりと俺の背中に手を回した。

「武文様、このアワレめの為に、泣いて頂けるのですか?」

 アワレの声を止めたのは、俺の涙だった。

「……おい」

「何でしょう?」

「電池だけを変える事は出来ないのか?」

「性質上、交換は不可能で御座います」

「その電池を充電する事は?」

「取り出す事が不可能ですから」

「電池が切れると、お前はどうなるんだ?」

 アワレの、クスリと言う笑い声が聞こえた。

「分かりません。何しろ、私共がHR‐C7型の初の実用機ですから」

 身体を離して、アワレの顔を見つめた。

「お知らせしておかずに申し訳御座いません。私がプロトタイプで御座います故、通常よりも実験的な性能が随分含まれております。ですので、内部電池の消費が従来よりも早くなっているのかも知れません。ですが、今は研究も更に進んでいると思われますので、私の次に来る者は、恐らくはもっと長期間の活動が可能でしょう」

「次?」

「はい、私のデータを更に引き継いだ後継機が、恐らく御座います。ですので、武文様の生活には、何の支障も御座いません」

「アワレ、それは駄目だ……」

「駄目、とは?」

「お前じゃなきゃ、駄目だ……」

「……武文様」

 頭の中の算盤を、再び必死に弾く。

「このアワレめは、本当に果報者で御座います。ですが……」

「ですが何だよ! 何か、何か方法があるはずだろう!」

 自然と声が大きくなる。

「そうだ、父さんに言ったら何とかなんないか?」

「私どもの機体に関しては、ウィンテルでは生産と量産のみを受け持っております故、難しいかと……」

「じゃ、じゃあ! そうだ! お前らを作ったっていう、何とかって博士!」

 確か父さんとの会話にも出てた。あの資料の中にも書いてあった。確か……。

「数藤秀介博士の事ですか?」

 アワレの声で、頭の中でピントが合う。

「それだ! その人なら、きっと何とかなる! 行こう!」

「お待ち下さい」

 コートを片手で引っつかんだ時、アワレに呼び止められた。

「今日はもう、時間も時間で御座います。本日はお休み下さい」

「何言ってんだよアワレ! こんな話聞かされて……」

 アワレは、俺がいつの間にか落としてしまっていた、自分の描かれた絵を大事そうに拾い、持ち上げた。その光景に、不意に胸が痛む。

「武文様のお気持ちは、私の身には余るもので御座います。ですが、本日はもう、本当に遅い時間です。博士もきっとご就寝でしょう。それに、博士のお住まいは、私どものデータにも御座いません。もしお伺いするとしましても、旦那様にご連絡をしてからでなければ、目的地が分かりません」

 アワレから紡ぎ出される正論に、俺は高ぶる心を何とか落ち着けた。気づけば、頭痛の声が随分と大きくなっている。

「……分かった」

 そう返事をすると、アワレはにっこりと笑った。そして自分の絵を、梅の樹の横にそっと飾った。

「武文様のお気持ち、このアワレには勿体無いものばかりで御座います。本日は、本当にありがとう御座いました。では、ごゆっくりお休み下さいませ」

 いつものように、アワレはこちらへ向かって傅いて、そのまま部屋を後にした。

 やり場の無い感情を少しでも晴らすため、ベッドを殴りつけた。霧が晴れた筈の頭に、再び薄い靄がかかる。

「……そんな、嘘だろ」

 一人呟く声に、返す者は誰も居ない。

 今夜は、眠れそうになかった……。

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