29 熊坂

 29 熊坂


 煌びやかな照明や楽しそうな街の人々が、窓の外を次々と流れていく。店頭に並ぶクリスマスツリーには本物の雪が降り積もり、数えられない程のサンタが街を歩いている。皆が楽しんでいる真っ最中が一番の稼ぎ時であろうサンタの群れは、せっせと仕事に勤しみ、今日を楽しんでいる人達へと笑顔を手向け続ける。

 アワレは俺の隣にちょこんと座っている。ドレスのまま飛び出そうとしたアワレに、見てる方が寒くなると無理矢理一枚コートを着せた。母さんが昔使っていた赤のロングコートだが、どうせ恐縮するだろうから持ち主は明かしていない。

 運転席には誰も居ない。

 カーナビに住所を登録すれば、自動で連れて行ってくれる、文字通りの自動車だ。これも父さんの会社で開発したもので、介護施設や老人ホームの送り迎えなどで成果を発揮しているらしい。

 街中の大通りを一つ曲がると、空気は一気に冷めた。

 先程までの喧騒や温もりが嘘のように、薄暗い住宅街には冬の空気が満ちている。

 見慣れた景色が、懐かしい記憶とリンクする。うろ覚えだった風景が、一つ一つ輪郭をはっきりとさせて行く。

 暫く走ると、熊坂の家の最寄駅に着いた。ここの商店街にも、クリスマスイヴの彩りが花を咲かせていた。

 熊坂の家は近い。

 今は薬も程よく効いている所為か、頭痛はそれ程強くない。横にアワレが居ると言う安心感も手伝っているのだろう。

 商店街を抜け路地を曲がると、見知った家が目の前に現れた。

 車が止まる。目的地に到着した。

 外に出ると、冷気が容赦なく肌に刺さった。熊坂の家には、居間に明かりが点いている。無人では無いことにホッとするも、誰もいない方がよかったのではとの、後ろ暗い思いも脳裏を過ぎった。

「武文様、参りましょう」

 アワレがそう言って俺の手を引いた。ドアの前に立ち、呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばすが、どうしても躊躇ってしまう。

「アワレ、お前が押してくれ……」

 アワレは首を縦に振り、俺の横からスッと手を伸ばした。あっさりと押されたチャイムが、家の中に音を広げる。少しして玄関の明かりが灯り、ドアの向こうからは武文のお母さんらしき人が出てきた。

「夜分にすいません。こちらは、熊坂様のお宅で御座いましょうか?」

 アワレの声に、お母さんは大して反応を示さない。その代わりに、俺の顔を驚いたように見つめている。

「……もしかして、あなた、皆藤君?」

 そう言われて、今度はこちらが驚いた。以前ここに来た時も、家に居るのは熊坂だけだった。つまり、俺と熊坂のお母さんは初対面のはずだ。

「あ、そうです……。あの、どうして分かったんですか?」

 お母さんは少し考えるような仕草を取った後で、折角だから上がって行って下さいと、あっさりと俺達を招き入れた。その姿が、あの夏の日の熊坂に重なって見えた。


 部屋の中は、クリスマスイヴだと言うのに、薄暗い空気のままだった。

 部屋の隅に、熊坂の写真が飾られた仏壇を見つけた。お母さんに許可を取り、蝋燭をつけて、線香を焚く。仄かに上がっていく煙を暫しぼんやりと眺め、手を合わせた。

「急にお邪魔してしまい、申し訳御座いません」

 アワレがお母さんに頭を下げたので、俺もそれに倣った。

「いえ、一人で寂しかった位ですから」

 お母さんは奥からお茶を三つ持ってきて、卓袱台の上に置いた。そちらに行き、腰を下ろす。

「それで、今日は?」

 卓袱台を挟んで、向かい合ったお母さんにそう聞かれ、俺は言葉に詰まった。

「たまたま近くを通りましたので、熊坂様に、お線香の一本でもと、武文様が申されまして、寄らせていただいた次第でございます」

 アワレの言葉に、お母さんが目を細める。

「そうですか、本当にありがとうございます」

 その目に薄っすらと光る涙に、胸が痛んだ。

「あの、どうして、俺の事を?」

「ああ、そうよね。保から、よくあなたの話は聞いていたの。あなたが描いた梅の花をこっそり持ってきたりして、私に自慢していたの」

 あの日、美術室から消えていた俺の絵は、どうやら熊坂がこっそり持ち出していたらしい。

「あの子は、とても優しい子だったから……」

 そう呟くお母さんに、当時の状況を尋ねてみた。

「保のお父さんとは、当時から喧嘩が絶えなくてね、保にも随分と辛い思いをさせたわ。だけど、保が居たから、どうにかやって来れてたんだけどね……。あの子が、まさか、いじめを受けていたなんてね、全然、話してくれなかった……」

 お母さんがさめざめと涙を流すのを見て、アワレがすぐにハンカチを差し出した。

「ごめんなさいね、歳を取ると、涙脆くなってしまって……」

 お母さんの気持ちも、涙の理由も痛いほど分かる。言ってしまえば、自分達がきっかけで熊坂を追い詰めてしまったようなものだ。だけど、もしかしたらお母さんは、熊坂の自殺を、いじめを苦にしたものだと考えているのだろうか。自分達の離婚が原因だとは、知らないのかもしれない。そっちの方が、幾分かは幸せなのだろうか。

「皆藤君には、本当にお礼を言わなきゃいけないわね。保と、仲良くしてくれて、あの子を守ってくれて、本当にありがとうございました……」

 お母さんは卓袱台の向こうで、手をついて頭を下げる。

「止めて下さい! 俺は、結局何も出来なかったんですから……」

 涙ながらに頭を下げるお母さんに、堪らなく胸を締め付けられる。少しして、お母さんはようやく頭を上げてくれた。

「俺こそ、あいつに何もしてやれなかった……」

「そんな事ないわ。あの子は、昔から口下手でね、家でも絵ばっかり描いていた所為か、友達も出来なくてね。皆藤君、一度家に来てくれた事があるんですってね。あの子とても喜んでいた。家に誰かが来るなんて、ほとんど初めての事だったものね」

 熊坂の事を思い出しているのか、お母さんの瞳には涙が光りつつも、その口元は綻んでいる。

「だけど、結局……。俺もですけど、うちの父親が……」

「そんな事言わないであげて」

 俺の声は、すぐにお母さんの声に遮られた。

「あなたのお父さんはね、あなたの事を一番に考えた上で、あの行動を取ったの。やり過ぎな部分はあったかもしれない。だけど、それもこれも、全部あなたの為なの。だから、他の誰がお父さんを責めても、あなたはお父さんの味方になってあげて欲しいの」

 そう笑いかけるお母さんに、俺は思わず、はい、と返事をしていた。

「よかったら、保の部屋も覗いて行って。あの子、皆藤君を部屋に入れればよかったって、後からぼやいてたから」

「熊坂の部屋?」

「あの子は、いつも部屋に篭って絵を描いてたから」

「武文様、お邪魔させて貰いましょう」

 アワレに促されたのもあり、俺達は熊坂の部屋にお邪魔させてもらう事になった。

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