7 美味
7 美味
「おはようございます、武文様」
「ああ、おはよう」
もうすっかり日は高く、全くお早い時間では無いのだが、アワレは気にも留めずにこやかに笑う。
「今日も、武文様のお世話を出来ることを誇りに、そして幸せに思います。今日も一日、武文様にとって、素晴らしい一日である事を祈っております」
いつものように、そう跪く。
「ん……」
軽く頷きだけ返し、食事がしたい旨を伝える。
「はい、ご用意出来ております。どうぞ食堂の方へ」
そう言ってアワレは、そそくさとキッチンの方へ向かっていった。
柱時計が鳴り響いた。
11を半分に分かつ短針と12を分かつ長針。鐘の音が11、屋敷に広がっていく。
アワレがこの家に届いて、もう2週間になる。日常会話なんてうとましいだけだと思っていたのに、実際にこうして過ごしてみれば、心によく馴染む。
哀しみと怒りを知らないせいか、あいつは本当によく笑った。むしろ、アワレと言う名前をつけてしまったのを、哀れだと思ってしまう程に……。
――もっと、ちゃんとした名前にしてやりゃよかったかな……。
食堂へ向かう最中、窓の外で庭師が庭の植木の手入れをしている。
俺が外へ出ないからか、庭師だけは外部の人間の手を入れている。絶妙なセンスなどは既存の機械ではやはり補えないらしく、人の手の凄さを改めて感じると、電話口に父さんが言っていた。そんな本人の知らぬ所で絶賛を集めた職人は、今は枝葉が伸びてしまった庭の樹を丸く刈り込んでいる。
昔は、この庭でよく遊んだものだ。
父さんと、母さんと、天気のいい日にお弁当を広げたりしたものだ。
庭の隅にある桜の樹は、まだ今もあるんだろうか?
西の塀の裏に書いた落書きは、今も残っているのだろうか?
窓から目を離し、食堂のドアを開ける。すぐに中から香ばしいパンの匂いが鼻を擽る。
「お待ちしておりました。武文様、どうぞお席へ」
促され、椅子に腰掛ける。座ると、アワレが首にナプキンを掛けてくれた。
「なんだ、今日は撥ねるものなのか?」
「念の為で御座います。本日のブランチには、クリームシチューに、トマトとレタスのサラダ。それと鶏のソテーを少量ながら盛らせて頂きました。フランスパンも用意しておりますので、どうぞお召し上がり下さい」
配膳されたクリームシチューには、仄かに湯気が立っている。一口啜ると、クリームのまろやかさがじんわりと広がる。
「うん、美味い」
感想を述べると、アワレは満足そうに頷いた。
「それはようございました。きっと調理した者達も喜んでおります」
「作ったのは調理ロボットだろ? 喜んでいるわけがないだろ」
そう返すと、アワレは少しだけ声を神妙にして答えた。
「いえ、武文様。私には確かに感情と言う機能がございます。ですが、他の者達もまた同様に、自分で思い、考えると言う機能は無くとも、喜びや哀しみを感じると言う機能は持っている筈です。武文様がそうお思いになるだけで、皆の者が救われるのでございます。言葉として聞けば、その喜びはひとしおで御座いましょう」
「何だか、よくわからないのだが……」
「アワレめは言語能力の初期設定が低いのかもしれませんね。上手くお伝えできずに申し訳ございません。ただ、武文様が美味しいと感じているのであれば、他の者も喜んでいる事と思います。表情には出せなくとも、私にはわかります」
「そういう、もんかな?」
今まで当たり前に感じていた不味くは無い食事を、美味しいと口に出すだけで、相手に喜びを与えられるものなのだろうか?
だが、アワレが俺が美味いと言う度にニコニコと笑うもんだから、思わず何度も言ってしまう。他の調理ロボットの代わりに、アワレが笑っているのだろうか?
「お食事の後、宜しければお庭へお散歩に参りませんか? 今日はいい天気です、木々に小鳥が囀っている事でしょう」
「庭師がまだいるだろう?」
「庭師の方は午前中でお仕事を終えられるようです。ですから、食後の紅茶をお済ませになった後、午後からでしたら如何ですか? このアワレめもご一緒させて頂きますので」
前に外に出たのは、いつだっただろう?
確かに庭師が帰ってしまえば、庭なら誰に会う事も無い。促される事が今まで無かっただけで、外に出ることが嫌になった訳ではない。
「ああ、けど、どうせなら紅茶は少し待とう。外で飲んだ方が、きっと美味い」
少し照れくさかったが、そう言ってみた。
「はい、畏まりました。茶葉のご指定等はございますか?」
「いや、任せるよ」
「でしたら、先日ダージリンの茶葉が届いたばかりですので、そちらをお持ちいたします」
アワレの顔は、まさに秋晴れのような、突き抜ける程高い笑顔だった。つられて、俺の頬にも笑みが浮かぶ。穏やかに過ぎ行く時を愛しく思える時がくるなんて、あの頃には想像も出来なかった。
今日は、比較的頭痛も軽い……。
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