2 武文

  2 武文


『おい、皆藤、ちょっと金貸してくれよ』

『近づかないでくれない、気持ち悪いんだけど』

『てめぇ、何生意気にこっち見てるんだよ!』

『あんた、本当に死んだ方がいいよ』

『てめぇは俺たちに殴られる位しか価値がねぇんだからよ、しっかりサンドバッグやれや』

『お前がいると、なんかくせぇんだよな』

『なぁ皆藤、お前もう学校来るなよ』

『皆藤君……、ごめんね』


 ――……ハッ!

 目が覚めた瞬間、体中が酷く濡れている事に気づき怯えるが、すぐに自分の汗だと気づき安堵する。そしてそのあまりの下らなさに吐き気を覚えてしまう。

 目元を拭うと、目からも沢山の汗をかいている。

 ギリギリで保たれている細い細い糸のような自我を何とか寸での所で受け止めている、自分でも自覚する程のあまりにも下らないプライドが、俺の全てだった……。

「またか……」

 弱い自分に、思わず毒づく。

 あの白い牢獄から離れて2年。俺は、まだあの時のトラウマを引きずっていた。

 窓の外は暗かったが、明かりを付けて着替えを探す。ちらりと見た時計には3時少し前の表示、鳴り止まない頭痛も、頭を強く突き刺す。

 胃薬と鎮痛剤を枕元の水で流し込み、タンスの中から替えの下着とパジャマを取り出す。寝汗の付いたパジャマを放ると、刹那、水浸しにされた制服がフラッシュバックする。下らない連中のしたり顔に嫌悪感を覚え、たまらない吐き気を何とか押さえ込んで、俺は再びベッドの上に倒れこんだ。

 頭痛は一向に治まらない。毎日毎日、痛みを少し抑えるだけの為に強い薬を飲む。だが、痛みが消えた事は、この2年間一日たりともなかった。

「頼むから、出てこないでくれ……」

 漏れ出る声が、自分の物かと思う程弱々しくて、それがさらに情けなく感じて、声を殺して涙を零した。

 いつもの事だ。

 そのまま目を瞑り、眠りにつこうと努力をする。勿論、すぐに眠れた訳でもない。時計が5時をさしたところまでは、記憶に残っている……。


 昼過ぎ、居間に下りると、昨日のメイドロボットが掃き掃除をしていた。見た目は普通の人間となんら変わらない。先月出たばかりの最新型よりも更に高性能のようだ。また父さんが、金に物を言わせて試作段階の零号機でも奪って来たのだろう。力がある事は素晴らしいが、会社を私物化するだけでは下品なわがままにしか映らない。例えそれが、俺の為であったとしても……。

 俺のため息に気付いたのか、メイドはこちらを向いた。

「おはようございます、武文様」

 メイドはロボットとは思えない快活とした声で、きっぱりと挨拶をした。可愛らしく微笑んで見せたりもする。

「……ん」

 頷きで返すと、メイドはその場で跪く。

「今日も、武文様のお世話を出来ることを誇りに、そして幸せに思います。今日も一日、武文様にとって、素晴らしい一日である事を祈っております」

 そう恭しく傅くメイドに、何だか無償に苛つきを覚えた。

「お前さ、本当にロボット?」

「はい、内部をご覧になりますか?」

「いや、いらない。朝から掃除なんかして楽しいか?」

「はい、部屋が綺麗になる事は、とても気持ちのいい事でございます。それに、武文様のお役に立てることが、私には至上の幸せでございます」

 これ以上の幸せは無いと言う笑顔でそう言われると、さっきまでの苛立ちはすっかり虚しく感じ、逆に他に幸せは感じないと言うようなこのロボットを可哀想だとさえ感じてしまった。

「哀れだな、お前」

「はい、あなたのアワレでございます」

 そう言いながら、そいつはもう一度傅いた。そう言えば、こいつにそんな名前をつけた事を、今の今まで忘れていた。まぁ、どうでもいい……。

「飯、出来てるの?」

「はい、食堂にご用意しております。今ご案内しますね」

 なんだか、疎ましく感じた。

「いや、いいよ。掃除好きなんだろ、掃除してな」

 皮肉を交えてそう言いながら、そいつの前を通り過ぎると、背中に声が掛かった。

「武文様はお優しゅうございますね。ごゆるりと、お食事をお楽しみ下さい」

 衒いの無い声に、自分の汚さを浮き彫りにされたようで、俺はそいつを睨んだ。だけど、そいつはあっけらかんと笑っているだけで、他意など無く、心から俺を優しいと思っているような表情をしていた。

 言い返すのも馬鹿らしいと感じ、俺は踵を返して、食堂に向かった。


 食堂に行くと、調理用のロボットが用意しておいてくれた料理を、B7型のロボットが運んできた。。

 今日のメニューは、クラブハウスサンドにコーンクリームスープ、それに鳥モモ肉のソテーとエスプレッソ。すっかり昼食仕様のブランチを、手短に済ませ、ポケットから鎮痛剤のカプセルを取り出し喉に流す。

「ふぅ……」

 一息付くと、定期的に訪れていた頭を殴るような痛みが、潮が引くように一時的に穏やかになる。無論消え去った訳ではなく、水平線の近くまで身を潜めただけで、しばらくすると再び現れる厄介なものだ。

 頭痛薬や鎮痛剤を飲むこと自体が、頭痛を増長させると言う事は分かっているが、飲まずにいれば頭が割れんばかりの痛みにまで増幅し、日常生活に支障をきたすので、已む無しの選択だった。

 こんな生活を2年も続けていれば、望む望まないに関わらず、自ずと慣れてくる。だが、最近薬の効きが弱くなったのか、頭痛の勢いが増してきたのか、痛みが増してきている。昨夜も夜中に悪夢に魘される程だ。

「武文様、お食事は御済ですか?」

 エスプレッソを傾けている時、さっきのメイドロボットが入ってきた。

「ああ、何だ、ここも掃除か?」

「いえ、次は洗い場の清掃でございます。もし宜しければ、食器をお下げさせて頂きたく存じます」

 にこやかに笑うロボットの手に、食器を手渡してやる。

「ありがとうございます」

「なぁ、お前さ、最新型って言うけど、従来のタイプと何が違うの?」

「はい、今まで市販に出回っている一般的なHR‐B7型と私の大きな相違点は、人工知能AIを標準装備している箇所でございましょう」

「AIを標準装備? 何、お前感情あるの?」

「はい、さようでございます。武文様のような優れた五感の機能までは備えてはおりませんが、花を美しいと思い、風を爽やかだと思う、人間で言う所の『感情』を備えております」

 その時、俺は複雑な気分だった。ロボットごときが、人間と同じ感情を持ったと言う事実が、何だか腹立たしかった。

「じゃあさ、俺が無茶苦茶な要望とか出したら、お前はストとか起こして、仕事放棄する可能性もあるって事なのか?」

「それはありません」

 メイドロボットは断言した。

「私どものAIに標準装備されている感情は、人間で表すところの喜びと楽しみだけでございます。怒りや哀しみと言った感情は予め排除しております為、いつも楽しんで仕事を遂行する事が出来ます」

 ――怒りや哀しみが無い?

「じゃあ、お前は、負の感情に左右される事はないって事なんだな」

「はい、その通りでございます」

「そうか……」

 俺はまた呟いていた。

「哀れだな……」

 結局、人間の都合で余分な感情を排除された出来損ないの人形だ。引っかくからと言う理由で猫の爪を指ごと切り落としたり、儲かるからと言う理由で意味も無く樹を切り倒したりする、人間のエゴの果てに生まれた存在なのだろう。

「はい、あなたのアワレでございます」

 だけど、俺がこいつにそう言う度に、こいつは恭しく傅き、自分は俺の物だと宣言する。

「こんなにも早くお名前を覚えていただけて嬉しく思います」

 人間と遜色無い笑顔でそう言われ、妙な違和感を感じた。

「ああ、分かった。作業に戻っていいぞ」

「ありがとうございます。それでは、失礼致します」

 洗い場へと向かうそいつに向かって、俺はもう一度声を掛けた。

「なぁ、お前の資料みたいなもんは無いのか?」

「設定資料のような物は企業秘密となっておりますので、申し訳ございませんが、武文様へもお見せ出来ません。ですが、私と共に同封されました取り扱い説明書でしたらございます。いかが致しましょう」

「ああ、じゃあとりあえず、それを後で部屋まで運んでおいてくれ」

「畏まりました。では、失礼致します」

 そう言ってにこやかに去っていくメイドロボットを見て、ぼんやりと思った。

 ――本当に、ほとんど人間と変わらないんだな。

 何だか、薄ら寒く感じた。

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