NO NAME

空草 うつを

遭遇

 きーん、という耳障りな音が響き、私は思わず顔をしかめた。

 登校途中、バス停でバスを待っている間に音楽でも聞こうかとワイヤレスイヤホンを入れた直後だった。


「この間買ったばっかりなのに、壊れたのかな?」


 誰もいないバス停で、ぶつぶつとひとり文句を垂れながら、耳に突っ込んだイヤホンを取り出した。


「げっ」


 手のひらに転がっているのは、ワイヤレスイヤホンではなかった。いつもと形が違うのにどうして入れ物から出した時気づかなかったのだ、と自分でも驚いている。肌色のいびつな形をした物体に、私は見覚えがあった。


「これ、じいちゃんの補聴器じゃん」


 よく見てみれば、入れ物だって違う。新しいイヤホンを買う前に使っていた物だ。きっと、朝寝ぼけてこちらを持ってきてしまったらしい。何故この入れ物をじいちゃんに使われているかは、この際置いておこう。


 じいちゃん、補聴器ないと困るはずだ。バスの時間を確認する。

 うん、一本乗り過ごしても走れば学校に間に合う。


 それにしても、と私は再び補聴器を耳に近づけてみる。やはり補聴器から高くて不気味な音が鳴り続けていて、よくこんな音を出すものを耳に入れていられるな、と感心した。ちょうど、その時だった。


「……ここはどこだろう……」


 私は、耳を疑った。補聴器から声が聞こえてきた。辺りを見回しても、のどかな田園風景の間にぽつんと立つバス停からは誰の姿も見えない。


「迷ったな、ぼく」


 しかし、補聴器からは確かに人の声がする。自分と同い年くらいの、若い男性の声だ。


 いったん落ち着こう、と私は深呼吸をした。勢いよく吸って、吐いたはずみで下を向く。


 ——目があった。私の前を横切ろうとしている小さな生き物と。

 見た目はイモリのようだが頭にはニワトリにも似た立派なトサカがついていて、二足で立っている。全身はスライムのようなもので覆われていて濡れていた。

 エラの張ったカエルのような顔から飛び出た丸い目は、確かに私を凝視している。


 落ち着け、私。


 その生物から目を離し、朝の風によってそよぐ緑色の稲を見渡した。いつもの風景。

 そして、もう一度足元へ視線を落とす。


 やはり、あの生物はいた。目を瞬かせ、口をぱくぱくさせてイルカのような声で鳴いている。まるで私に話しかけているようだ。


 そんなバカな話、あるか?

 私は目を逸らして、顔にかかった髪の毛を耳にかけた。


「……みません、聞きたいことがあるんです」


 ノイズと共に、人の声が入ってくる。手にしていた補聴器を耳に近づけた時だ。悪い予感がする。補聴器を耳につけて、下を見た。


「そこのお嬢さん、聞いていますか?」


 生物の口の動きに合わせて、声が聞こえてくる。予感は、当たっていたようだ。この補聴器、得体の知れない生物の言葉を拾っている。

 これは信じなれけばならない。目に見えるものを信じる、というのが私の信念だったから。


「……私?」


「ああ、ようやく気づいてくれましたか。よかった」


 どうやら、こちらからの言葉は聞きとれるらしい。私に声をかけられた、生物は安堵の顔をしている。


「実はですね、ぼくは道に迷ってしまって」


「えっと、どこに行きたいんです?」


「それが、ぼくにも分からないのです。ぼくの古い友人を訪ねてほうぼう探しているのですがなかなか見つからなくて。手当たり次第探し歩いているのです」


 古い友人とは一体何者なのか気にはなるが、友人の居場所も分からないまま探そうとしている生物の無謀さに呆れてしまう。


「申し遅れました、ぼくはユーフといいます」


 律儀に頭を垂れている様は、人間にしか見えない。私もつられて頭を下げ、腰も下ろしてユーフに近づいた。


「ユーフ、さん? の友人は、どうしてどこにいるか分からないの?」


「ぼくの友人は、旅をしていましてね」


「なるほど」


「彼の話は実に面白い。大怪獣と戦うスリル満点の冒険譚や、目を見張るほど優れた発明品の数々に、ぼくは度肝を抜かれました。いろんな発明品がありましたが、あの大きな潜水艦は立派な物でした。何度か乗せてもらったのですが、あれは本当に素晴らしい。しかし、最近めっきり姿を見せてくれず、それならぼくから会いに行けばいいと思い立ちましてね。そう、彼が行きそうな場所に行ってはみたものの手がかりもなく。ならば、彼の故郷である陸地に行こうと思ったのです。まあ、彼は陸をあまり好きではなかったので、手がかりはあるかどうか分かりませんが」


「陸地?」


「はい。あ、そうそう。ぼくは生まれも育ちも海の底でして。シーグワン族ってご存知ですか?

ぼくはそこの族長の息子なんですよ」


「そ、そうなんだ」


 海からやって来たシーグワン族という未知の生物と、私は対面で話している。しかも、意外と落ち着いている自分と、このおかしな状況に笑えてきてしまう。

 それにしても海の生き物でも陸地で呼吸できるんだ。もしや、両生類? などと勝手に解釈する。


「でも、私はユーフさんの友人を探すのに協力はできないよ。その人のこと、私は知らないし」


 ユーフは悲しそうにうなだれてしまった。感情表現の豊かな人——いや、生物——だ。


「仕方ないです。他の人間の方に聞いてみます」


 とぼとぼと歩き去ろうとするユーフを、私は慌てて制止した。そんなことをしても、きっとユーフの声は聞こえないし、こういった生物が苦手な人に出くわせば、きっと酷い目にあうだろう。


「に、人間に聞かなくてもいいんじゃない?」


「何故?」


「何故って、それは——」


「ぼくの友人は人間なのです。だから、人間に聞かないと居場所が分からないでしょう?」


 私は勝手に、シーグワン族の友人はシーグワン族と似ている種族だとばかり思っていた。なるほど、種を超えた友情というものか。そういう発想のなかった私は、反省した。

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