第34話 贖罪の十字架 その1


 夏祭り前日。

 この日も、柚希と早苗は紅音の家に来ていた。


 柚希は書斎で明雄と話をしている。

 そして早苗は、紅音の部屋にいた。




「では……参りますよ、早苗さん」


 晴美の声がして、扉が開いた。


「おおおっ!紅音さん、やっぱかっわいいー!」


 扉が開き、晴美に促されて部屋に入ってきた紅音に、早苗が歓声をあげた。


 紅音は明日、夏祭りに着ていく紺の浴衣を身に纏っていた。


「さ、早苗さん……そんな、あんまり見ないで下さい……恥ずかしいです……」


 紅音が頬を赤らめ、恥ずかしそうにうつむく。


「いやいや紅音さん、そのリアクションは柚希の時に取っとかないと。私相手にそれするのって、何か勿体無いから」


 早苗が冷静に突っ込みを入れる。


「で、でも……」


「むふふふっ。お嬢様、これで準備は整いました。明日は柚希さんを、是非仕留めてくださいませ」


「ええっ?は、晴美さん、変なこと言わないで下さい」


「紅音さん……」


 早苗が静かに紅音の前に立ち、肩を掴んで言った。


「私……今日ほど女に生まれたことを後悔した日はないわ……」


「え、それってどう言う……」


「私の嫁になって!」


「きゃっ」


 勢いよく抱きついてきた早苗に、紅音が思わず声を漏らした。


「もう、早苗さんまで……」


「あはははっ、でも本当、紅音さん可愛いよ。柚希も明日、この姿を見たらきっとそう思うよ」


「柚希さんにこの姿を……」


 紅音が改めてそう意識して、再び顔を真っ赤にした。


「浴衣姿の美女二人、これで何も感じなかったらあの馬鹿、今度こそ本当にチョークスリーパーで落としてやるんだから」


「やだ早苗さんったら、ふふふっ」


「あはははっ。でも楽しみだね、明日」


「はい。私、早苗さんと柚希さんには本当に感謝してます。私が夏祭りに行けるなんて。それもお友達と一緒に……こんな日が来るなんて、夢みたいです」


「大袈裟だなぁ紅音さんは。こんなの普通だよ普通。これから、もっともっと楽しいこと、三人でいっぱいするんだからね」


「早苗さん……」




「最近、胸の調子はどうだね」


 書斎で葉巻を吸いながら、明雄が穏やかな瞳を柚希に向けて言った。


「はい。おかげさまで、軽い運動ぐらいなら問題なく出来てます」


「運動……かね」


「はい。と言っても少し早歩きで街を回ったり、家で筋力トレーニングをするぐらいなんですが」


「何か、心境に変化でもあったのかな」


「そんな大袈裟な物じゃないんですけど……色々なことに少しずつ挑戦していこうと思いまして」


「いいことだよ。これまでしなかったことに挑戦するってことは、そう思うだけでも価値がある。今ある殻を破ろうとしているんだからね。ただし……無理は禁物だよ」


「はい、気をつけます」


「明日は紅音のこと、よろしく頼むよ」


「はい。でも、先生は本当に行かれないんですか、夏祭り」


「ああ、私も紅音ほどってことはないんだが、正直人ごみは苦手なんでね。それに私も、そこまで野暮じゃないよ」


 そう言って明雄が小さく笑った。


 一瞬意味が分からなかったが、少し考えて明雄の言葉の意味を理解すると、柚希は顔を赤くした。


「はっはっは。まあ兎に角、若い者同士で楽しんできたまえ」


「はい。花火があがる前には戻ってきますので」


「晴美くんと待ってるよ」


「それで先生……最近の紅音さんの様態はどうなんでしょうか」


「紅音……かね」


「はい。その……例の豹変してしまう能力のことです。先生は僕に話してくれた時に言われました。感情をコントロールしていても、月に一度程度の割合で起こっていたと」


「……」


「あの日、僕の怪我のせいで紅音さんの能力が暴走して……今、紅音さんの状態がどんな物なのか、僕は知っておきたいんです」


「……君は本当に紅音によくしてくれている。正直紅音の真実を君に伝える時、私はこれで君と紅音が会うことはなくなるのではないかと思っていた。

 だが君は変わらなかった。それどころか、今まで以上に紅音のことを見守ってくれている……だから私も、君にだけは本当のことを伝えたい」


「……」




「――今の紅音の状態は、明らかに以前より悪くなっている」




「え……」


「紅音が豹変する回数は、増えていってるんだ」


「そんな……どうして」


「今の紅音は、投薬量を減らしたこともあり、おおらかに感情を出せている。親としてこんなに嬉しいことはない。しかしそれは、あの症状を引き起こしやすくなる、と言うことでもあるんだ……だから私は恐ろしくて出来なかった。例え人形の様でもいい、生きてさえいてくれたら……そう思っていた。


 しかし君と出会ってからの紅音は本当に幸せそうだ。自分がしてきたことに疑問を感じるほどにね……だから私は、以前も言った通り、君に託してみたいと思った。


 確かに薬の量をもっと増やせば、その危険は少なくなるのかもしれない。しかしそれは同時に、今の紅音を、また以前の様に感情を抑えこんだ状態にすることになってしまう。柚希くん……これは私のエゴなのかもしれない。だが私は、もうあの頃の紅音に戻って欲しくないんだ」


「先生……」


「紅音の症状は今、三日に一度の割合で出ている」


「……」


「皮肉なものだ。紅音が人間らしさを戻せば戻す程に、症状もまた出てくる」


「そんな……」


「柚希くん、君にはこれまで通りに、紅音と接して欲しい。勝手な物言いだが、私の心からの願いだ。勿論、紅音に何かあれば私もすくに駆けつける」


 明雄の言葉には、覚悟とも取れる強い決意が感じられた。


 柚希はその思いを受け止め、そして静かにうなずいた。


「分かりました。僕が……僕が紅音さんのこと、きっと守って見せます」

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