第33話 揺れる想い その4


 夕食を終えた早苗は、電気もつけずに部屋で膝を抱えていた。

 自分の中にある思いが整理できず、早苗は混乱していた。

 そして知らぬ間に、涙が頬を伝っていた。


「私ってば本当、最近よく泣くよね……」


 柚希への思いが自分の中に納まりきらず、いつ暴発するか分からないことに怯えていた。

 今日、山崎に対してその一端を垣間見てしまったが、早苗にとっての恐怖はそれではなかった。

 柚希の笑顔を見たあの時、紅音に対する言い様のない感情をはっきりと感じてしまった。



 嫉妬。



 ――私は紅音さんのことが大好きだ。それは間違いない。出来ればこれからも、ずっとずっと友達でい続けたい、そう願っている。

 そして紅音さんは自分と同じく、柚希に恋している。


 しかし紅音さんは、私の柚希への想いを知って、自らの想いを封じ込めようとした。

 私の為に柚希と二度と会わない、そんな選択肢までも浮かべていた。

 だけど私は、そんな紅音さんを叱った。

 自分の想いを殺してどうするんだ、一緒に頑張ろう、そう言って励ました。

 その筈なのに、今私は紅音さんに対して「邪魔者」の様な思いさえ持っている。



 矛盾だ。



 私はいつから、そんな人間になってしまったんだろう。

 いっそのこと、柚希のことをあきらめられたら、私は元の私に戻れるんだろうか。



 でも。



 私はやっぱり柚希のことが好きだ。

 誰にも渡したくない。

 あんな笑顔、私以外に向けて欲しくない。

 私だけを見ていて欲しい……それは、それは私の身勝手な欲求なんだろうか。

 そしてきっと、柚希は紅音さんのことを……




「早苗ちゃん?」


 襖の向こうから柚希の声がした。


「お風呂上がったよ」


「……」


「早苗ちゃん……どうかした?」


「……」


「……入っても……いい?」


 そう言って柚希が、少しだけ襖を開けた。


「わっ……真っ暗……」


 中に入り、柚希が電気をつけようとした。


「つけないで」


「え……」


「このままがいいの。電気、つけないで」


 背を向けたまま、早苗がそう言った。


「……うん」


 柚希はうなずき、静かに襖を閉めて早苗の側に座った。


「早苗ちゃん……今日、どうして来れなかったの?」


「……」


「紅音さんも気にしてたよ。多分部活が長引いてるんだろうって、言っておいたけど」


「……」


「それにご飯の時も元気なかったし。今だって」


「……」


 早苗は背を向けたまま、何も答えない。


 沈黙が続き、やがて柚希は早苗の肩にそっと手を置いた。


「ごめん、早苗ちゃんだって、人と話したくない時ぐらいあるよね。今日は帰るね……でも、もし僕に出来ることがあったら、いつでも言ってね。じゃあ、おやすみ」


 そう言って柚希が立ち上がろうとした。


 その時早苗が振り返り、そして柚希に抱きついてきた。


「え、さ、早苗ちゃ……」


「ごめん柚希、ちょっとだけ、ちょっとだけこのままに……させて……」


 胸に顔を埋め、早苗がそう言った。


 柚希の中に、紅音の家の帰り、早苗に抱きしめられた時の感覚が蘇った。


「柚希……」


「う、うん……」


「柚希の胸って、大きいね……やっぱ、男の子だね……」


「……」


「心臓がドキドキ言ってる……」


「あ……そ、それは……」


「分かってる。急に女の子にこんなことされたから、びっくりしてるんだよね……」


「……」


「私だから、だったら……どんなに……」


 その声は小さく、柚希には聞き取ることが出来なかった。


 ただ柚希は、早苗が自分に何かを求めている、そう感じた。


「あ……」


 柚希自身も驚いた。


 柚希は無意識の内に、早苗を抱きしめていた。


「早苗ちゃん……」


 早苗を抱きしめると、不思議と柚希の心は落ち着いていった。


 早苗も柚希に身をゆだねた。


「柚希……」




 しばらくして早苗が小さくうなずき、柚希から離れた。


「……ありがと、柚希……」


 暗くてよく見えないが、早苗の頬に涙の跡が残っているのが分かった。


 それを柚希が、指先でそっと拭った。


「……駄目……駄目だよ柚希……今そんなに優しくされたら、私……」


 拭う指を、また涙が濡らした。


「ごめん、柚希……もう大丈夫。明日は元に戻ってるから」


「早苗ちゃん……」


「また明日ね。私、お風呂に入ってくるよ」


 そう言って早苗は軽く伸びをすると、立ち上がった。


 襖を開けると明かりで一瞬目がくらんだ。


 柚希が再び目を開けると、もう早苗は廊下を歩いていた。


「おやすみ、柚希」


 早苗はそう言って、振り返らずに手を振った。




 僕は紅音さんのことが好きだ。


 紅音さんに告白しようとしたあの日、僕は山崎くんたちに殴られて、結局伝えることが出来なかった。

 あの時の気持が本物なら、今まで何度でも伝える機会はあった。


 しかし僕はまだ、気持ちを伝えられていない。

 あれだけの覚悟、そう簡単に出来る物じゃない、また勇気が出た時に告白するんだ、そう自分に言い聞かせていた。



 でも、それは本当なんだろうか。



 最近僕の中で、早苗ちゃんの存在がどんどん大きくなっている。

 憧れであり目標である存在。

 いつも自分を導いてくれる格好いい友達。

 でも今、僕の中での早苗ちゃんは、それだけじゃなくなっている。

 早苗ちゃんのふとした仕草に魅せられ、心が揺れる。

 あの瞳をずっと見つめていたい、あの髪に触れたい、子供の様に彼女に抱きしめられていたい……そんな思いが僕の中に生まれている。

 それが僕の望みなんだろうか……



 僕が紅音さんに告白していない本当の理由――



 僕は早苗ちゃんのことを、好きになってしまったんじゃないだろうか。



 でも僕は、間違いなく紅音さんのことを、一人の女性として想い慕っている。


 それなのになぜ……こんなこと、ありえるのだろうか。




 ――僕は紅音さんと早苗ちゃん、二人の女性のことを、同時に愛してしまったんだろうか。




 そんな不誠実で不純なことが、許される訳がない。



 枕に顔を埋め、紅音と早苗の顔を思い浮かべながら、柚希はその夜、遅くまで眠りにつくことが出来なかった。

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