第4話 動き出す世界 その1


「今朝は随分と楽しそうだね、紅音」


 朝食を食べながら、桐島医院院長、桐島明雄が紅音に言った。


「あ……はい、お父様。今朝はとっても気分がよくって」


「何か、いいことでもあったのかな」


「はい、実は私……」


 紅音は一口紅茶を飲むと、カップを置いて言葉を続けた。


「お友達が出来ました」


「友達……」


「はい。昨日コウと散歩している時、小川で知り合った方なんです……何でもその方、つい最近こちらに越してきたばかりらしくて……色々お話させてもらっている内に、友達になりませんか、そうおっしゃってくれて……」


「そうか、友達が……よかったじゃないか紅音」


「は……はい!」


 父の反応に紅音が安堵の表情を浮かべた。


「お嬢様、よほど嬉しかったようですよ。それにその方のこと、かなりお気に召されたご様子で」


 明雄のカップにコーヒーを注ぎながら、桐島家で給仕をしている山代晴美が言った。


「お嬢様のスケッチブックに、その方のデッサンがありました」


「え?え?晴美さん、見たんですか」


 動揺する紅音を見て、少し意地悪そうに笑いながら晴美が答えた。


「はい、お嬢様のベッドを整えている時に」


「え?え?嘘、嘘」


 紅音が顔を真っ赤にしてうつむく。

 その反応、仕草を待っていたかのように、晴美は紅音の側に小走りで行くと、そのまま後ろから紅音を抱きしめた。


「きゃっ!晴美さん」


「むふふふっ、これで今日も一日、しっかりお嬢様にご奉仕することが出来ます。あ、でもお嬢様、誤解なさらないでくださませ。私、何もお嬢様の部屋を物色してた訳ではありませんので。ベッドを整えていたら『たまたま』スケッチブックが机の上に開かれてあったものですから」


「はっはっは。それで晴美くん、紅音の友達と言うのはその……どんな方なんだね」


「はい、それはもう何と言いますか……理知的で凛々しく、お美しい殿方でして」


「ん?男……なのかね」


「はい。確かにこの土地にない雰囲気を持った方です。お嬢様の欲目も随分と入っているとは思いますが、それを差し引いても優しい、聡明な方とお見受け致しました」


「そうか……紅音、ちなみに何と言う方なんだね」


「あ……はいお父様……柚希さん……藤崎柚希さんと言う方です」


「藤崎柚希……ああ、確かにその人なら最近ここに越してきたばかりだね。確か循環器系の疾患を持った人だ。先月、その人のお父さんが挨拶に来ていたから覚えているよ」


「そうなんですか」


「うむ。月に一度ぐらいは検査したほうがいいと言われていた。近々うちに来るかもしれないね」


「柚希さんも言われてました。生まれつき、心臓が悪いと」


「そうか、これも何かの縁なんだろう。紅音、また柚希くんと会うことがあれば言っておいてくれないか、一度顔を出して欲しいとね。父君からもお願いされていると」


「はい、分かりました……それでお父様、実は今日もその……柚希さんとお会いする約束をしてまして……」


「じゃあ彼に伝えておいてくれるかな。頼んだよ紅音。それと……」


「……?」


「最近具合はどうだね」


「はい、問題ありません」


「感情が高ぶったり、記憶があいまいになったりすることは」


「はい。大丈夫です、お父様」


「そうか、ならいいんだが……お前は生まれつき色素の薄いその体質が、色んな所に影響している。私が処方している薬をしっかりと飲んで、規則正しい生活をしている限り心配ないのだが、くれぐれも無理をしないようにね。環境や感情の急激な変化も大敵だ」


「はい。私、自分の病気のことをよく分かってはいませんが、お父様が診てくださっているので安心してます。お父様のいいつけは守りますので、どうか安心してください」


「その為にお前を学校にもやらず、この家にずっと閉じ込めている……おかげでお前には友達もいない。そのお前が初めて自分から友達を作った。これにもきっと意味があるんだろう。お前の反応を見ている限り、その青年は、きっといい人なんだろう。大切にするといい」


「じゃあお父様、これからも柚希さんと会って構いませんか」


「ああ。今度是非、私にも紹介してくれないか」


「はい、ありがとうございます、お父様」


 紅音はそう言って、嬉しそうに笑った。




 朝食が済み、紅音は部屋で読書をしていた。


 紅音が去ったリビングで、明雄のカップにコーヒーを注ぎながら、晴美が言った。


「旦那様、本当によろしかったのですか?お嬢様のこと」


「心配かね?」


「はい……あんなに嬉しそうなお嬢様を見るのは初めてで、そのことは本当に嬉しいのですが……」


「最近では……いつだったかな、紅音の症状が出たのは」


「一ヶ月ほど前だったかと……」


「私も、心配していないと言えば嘘になる。でもね、晴美くん……子供はいつか巣立っていくものなんだよ」


「……」


「命ある物には皆、運命と言う物がある。そしてそれは、どれだけ周りが抑えようとしても抑えきれないものなんだ。彼と出会ったこともきっと、必然なんだろう。それがどう言う結末を迎えようとも、それもまた、紅音の人生なんだと私は思う……勿論そうなったら、私も見ているだけではない。全力であの子を守るつもりだよ」


「旦那様……」


「確かに今の生活を続けていれば、ひょっとしたらあの子はこのまま、穏やかに生きていけるのかもしれない。

 しかし紅音が柚希くんの話をしていた時の、あんな嬉しそうな顔を見てしまったら……親として反対できないさ。それにひょっとしたら私は……その柚希くんに期待しているのかもしれない。紅音の運命を変えてくれるかも、とね」


「私も、何があってもお嬢様をお守り致します。私はこれからもずっと、旦那様とお嬢様にお仕えする給仕なのですから」


「ありがとう、晴美くん……」

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