011 雛森のマンション

 雛森ミサトの住んでいるマンションに来た。

 8階建てで、なかなか珍しいオートロックのないタイプだ。


「もしかしたら入ってるかも……」


 ミサトが不安そうに郵便受けを開ける。

 すると、中には使用済みのコンドームが入っていた。

 彼女の睨んだ通りだ。


「これは……」


 実物を目にすると思ったより精神的に来る。

 これが度々あるのだからたまったものではない。


 幸いなのはコンドームに精液がついていないこと。

 使用済みといっても指を突っ込んで伸ばしただけなのだろう。

 それでも触りたいとは思わない。


「立派な証拠になりますね」


 文香はゴム手袋を装着し、無表情でコンドームを回収した。

 それをファスナー付きのフリーザーパックに入れる。

 刑事ドラマの鑑識を彷彿させる慣れた手つきだ。


「あそこに監視カメラがありますが、あれで犯人を特定することは?」


 文香が郵便受けに向いているカメラを指す。


「あのカメラ、壊れているんです。ずっと前から。直す様子がないので、もしかしたら壊れているってのは嘘でダミーカメラなのかもしれませんが」


「元彼はそのことを知っていますか?」


「はい、知っています」


「なるほど」


 監視カメラの映像には期待できないわけだ。

 セキュリティ意識の低いマンションだな、と思った。


「こちらが私の住んでいる部屋です」


 ミサトの部屋は3階にあった。

 エレベーターと階段の両方が近くにある。


「狭いですが、どうぞお上がりください」


「「お邪魔します」」


 間取りは特徴のない約10畳のワンルーム。

 ピンクのインテリアが一つもないのに、女性らしさが感じられる。

 24歳の女性に相応しい落ち着きのある可愛い部屋だ。


 俺達は、一人で使うにしても小さすぎるローテーブルを囲むように座った。


「これが平岡の写真です」


 平岡ツトム、それがミサトの元彼だ。

 数年前に撮ったという写真を見る限り悪そうに見えない。

 どこにでもいる好青年だ。


「どうして別れたのですか?」と文香。


「彼が就職に失敗して、その後も働く様子がなかったので……」


 ミサト曰く、平岡はプー太郎だったらしい。

 仕事を探すとは口だけで、いつもこの家にいたそうだ。

 捨てられて当然である。


「なるほど、なるほど」


 文香が手帳に情報を書き込んでいる。

 覗き見ると「平岡ツトム、ジゴロの才能無し」と書いていた。


「別れる際にも言ったのですが、別れたのは私の為でもあり彼の為でもあったんです。あのままだと彼は私に甘えたきりで、駄目になっていくと思ったから……。だから働いてほしかった。別に正社員じゃなくていいんです。別にバイトでもなんでもよかった。お金なんて二人で稼げばいいのだから。それなのに、こんな、こんな……」


 ミサトが泣き始めた。

 俺はなんと言えばいいか分からず困惑する。

 文香は「お辛いですね」と無表情で言った。


「情報提供ありがとうございます。平岡さんの住所も分かりましたし、早ければ数日で証拠を固められると思います」


「本当ですか」


「断言はできませんが、私はそう考えています」


 と、文香が言ったその時だった。

 ピンポーン、とインターホンが鳴ったのだ。


「もしかして平岡か!?」


 ここまで無言だった俺が立ち上がる。


「いえ、おそらく星野さんかと」


「星野さん?」


「会社の人です」


 ミサトが早足で玄関へ行き、扉の穴から外を確認する。

 こちらに振り返り「やはり、そうです」と言ってから扉を開けた。


「雛森さん、調子はどう? 大丈夫?」


 扉の向こうには男が立っていた。

 年齢はミサトと同じくらい。

 彼が星野のようだ。


「はい、どうにか。でも……また郵便受けに」


「そうか……酷いな……」


 星野がこちらに気づく。


「あの二人は?」


 そこは「来客中だったんだね、ごめん」が正解ではないか。


「ツトム君の件で依頼した何でも屋の人達」


「何でも屋? 得体の知れない連中じゃないか。大丈夫なの?」


 星野の眉間に皺が寄る。

 俺が彼の立場でも怪訝そうにするだろう。


「大丈夫……だと思う。すごく頼もしい感じがするから。でも、私だけじゃ不安だから、星野さんもよかったら上がっていってもらえる?」


「もちろん、喜んで」


 星野は靴を脱ぎ捨て、俺達の前にやってきた。

 彼が無造作に脱いだ靴をミサトが綺麗に整えている。


(この男、育ちが悪いな)


 俺と文香は脱いだ靴を必ず整える。

 別にかっこつけようとしているわけではない。

 それが当たり前のマナーだからだ。


「君たちが何でも屋ねぇ。見た感じ子供のようだけど」


「私と彼は共に高2です」


 文香が答える。


「そんなので大丈夫なの? 遊びじゃないんだよ?」


「分かっています」


「だったらいいけど」


 俺は「なんだこいつ」と思いながら星野を睨んでいた。

 こちらの視線に気づいたようで、星野が笑いながら頭を下げる。


「別に君たちに敵意があるわけじゃないんだ。雛森さんの件は知っての通りデリケートで大変だから、俺としては変な業者に引っかかったりしないか不安でね。気を悪くしたなら謝るよ」


「いえ、気になさらないで下さい」


 文香が代わりに答えた。


「遅くなって申し訳ないですが、よかったらどうぞ」


 ミサトがテーブルにお茶を置く。

 自分のも含めて四人分。

 それだけでテーブルがいっぱいいっぱいだ。


 俺達は礼を言ってお茶を飲む。

 それから文香が尋ねた。


「星野さんとはどういったご関係なのですか?」


「同じ会社に勤めている友人です」


「ふむ、友人ですか」


 そんな風には見えないな、と思った。

 恋人と言われても納得できる。


「星野さんは会社でどういったお仕事を?」


 文香が尋ねると、星野は「おいおい」と苦笑い。


「俺を疑う気かい?」


「いえ、ただ質問しただけですが、答えにくいようであれば別に――」


「営業だよ、営業。売っているのは研磨機とかそういうの。ウチはBtoBだからね。なんならもっと話そうか? 別にかまわないよ?」


 星野がニヤニヤしている。

 その顔には「言っても分かんねぇだろ?」と書いていた。

 俺達を訝しがる気持ちは分かるが、それにしても感じの悪い男だ。


「いえ、十分です。ありがとうございました」


 文香は手帳に「星野 友人 営業」とだけ書いた。


「君は男の子なのに見ているだけでいいのかな?」


 星野が俺を見る。


 質問などないのだが、そう答えたら負けた気がする。

 妙な対抗心から、俺は「じゃあ」と質問することにした。


「どうして今日はここに来たんですか?」


「どうしてって、雛森さんが心配だからさ。平岡とかいう元彼は明らかに常軌を逸している。誰か頼れる男が傍にいて彼女を守ってあげないといけない」


「頼れる男ですか……」


 俺はニヤリと笑った。


「で、実際に守れていますか?」


「なんだと?」


「守れていないから俺達に依頼が来たように思ったのですが」


「あのなぁ!」


 星野が声を荒らげる。

 俺はニヤニヤしながら言った。


「別に敵意があるわけじゃないんです。雛森さんの件は知っての通りデリケートで大変ですから、俺としては変な男に引っかかったりしていないか不安でして。気を悪くしたなら謝りますよ。ごめんなさい」


 星野が「ぐっ……」と黙る。


 気まずい空気が流れるが、文香がすぐに対処した。


「雛森様、私達はこれから平岡さんのことを調べてまいります。また何か分かりましたらご連絡いたします」


「あ、はい、よろしくお願いします」


 星野と入れ替わるようにして俺達は退散した。


「文香、ごめん」


 マンションを出てすぐに俺は謝った。


「何が?」


「依頼人の友人を怒らせてしまった」


「ああ、星野さんのこと」


「そうだ」


「気にしなくていいよ」


 文香が前を向いたまま言う。


「むしろいい質問だったと私は思う」


「そうなのか?」


「うん」


 文香は「だって……」と俺を見て微笑む。


「あの人、感じ悪かったもん。だからスカッとした」


「文香でもそんな風に思うことあるんだな」


「人間だからね、一応」


 怒られなくてホッとした。

 さぁ、平岡の調査を始めるぞ。

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