第5話 処方

「ここは……?」


「しがない薬局でございます」


 男にご紹介した薬局は、この店の隣にあります。店内は薄暗く、窓の縁、床の隙間、いたるところに塵や埃が溜まっています。


「誰もいませんが」


「いえ、おります」


 男は狭い店内を見回します。店の奥に控える煤けた調剤スペースと、周囲を埋めつくす健康食品の品々が、壁面の棚一杯に乱雑に積み上げられています。


「ここは、わたしの店です」


「えっと……」男は一瞬戸惑いました。「つまり、あなたが薬剤師ということですか?」


「はい」さようでございます。一つ付け加えますと、「薬剤師の免許は持っておりませんが」


「その、要するに……」


「無免許でございます」


 男は困惑した様子でした。


「そんな、怪しげな薬を私に飲ませようとしてるんですか?」


「お客様がお嫌ならば処方は致しませんが……」


「いや」男は暫し考えを巡らせますが、「他の薬もありませんし」と、ぼそりとつぶやきました。


 なんだか、わたしがお客様を追い詰めてるようで、少し申し訳なく思いました。なので、少しでもご安心されるように話を続けます。


「ご安心下さい。無免許ではありますが、全くの素人というわけではありません。お客様と似たような症状の方に処方させて頂いた実績もありますので」


「私と似た症状! それで、その方の症状は治ったんですか?」


 男は食い気味に質問を投げかけます。


「治ったといわれると、いいえと答えるほかありません」


「そうですか……」男は項垂れました。


「ですが、改善はしております。考えてみて下さい。癌、糖尿病、心疾患、この世に完治できない病は沢山ありませんか? 風邪みたいな簡単な症状でしたら解熱剤でも服用すれば、すぐにでも治るでしょう。ですが、どうやらお客様の症状はそのような簡単なものではなさそうです。徐々に改善していくほかありません」


「そうですね……」


「共に病に立ち向かっていきませんか?」


「はい……。よろしくお願いします」


 男は藁にも縋るような目で、わたしを見つめてきました。

 そうです。それでいいんですよ。


「では、こちらをどうぞ」


 わたしは奥の調剤スペースに向かい、赤茶色に変色した古びた木箱を持ってきました。化粧板を引くと、ギギっと永年の木の歪みが蓄積された音がしました。その中から一つの錠剤を取り出し、男の目の前に差し出します。


「これは、『』を鎮める薬になります」


「気……、とは何ですか?」


「生命を司るエネルギーでございます。どうやら、お客様の症状は『気』の乱れからきているものと存じ上げます。『気』の流れが滞り、澱みが溜まり、逆上しているのです。それを鎮めていきます」


「つまり……漢方薬、ということですか?」


「いいえ。漢方薬ではありません。まあ、全く生薬を調合してないわけではありませんよ。『気』を静める桂皮けいひや、腹の虫を排出する茴香ういきょうなぞは配合しておりますので」


「この薬を服用した方はいるんですか?」


「いいえ」わたしは首を横に振ります。「お客様の症状に応じて調合しておりますので、ひとつとして同じ薬はないのですよ」


 男は迷っていました。


「どうされますか?」


「飲みます」


 そう決心されました。

 いやはや、良かったです。なにも、決して怪しい薬ではないのですが。初めてならば仕方ありませんね。


「それでは、お会計をよろしいでしょうか?」


「わかりました。幾らですか?」


「五万円です」


 お客様は「ほう」と少し驚いた顔をされました。

 きっと、料理との値段の差に安いと感じられたのでしょう。


 結構なことです。


 一週間後、再び男はご来店されました。


 今度は薬局の方にです。丁度、処方した薬が切れる頃ですから。予想通りですね。


「あれから、体長は如何ですか?」


「いいと言えば、いいんですが……、うっ!」男は急に口元を抑えました。「うううううううううううう」と喉からこみ上げてくる異物を懸命に堪えているようでしたが、とうとう堪え切れず大量の胃液を床一面にぶちまけてしまいました。


 男は脂汗を流しながら、床に膝を付き喘いでいます。


「お腹の痛みではないようですね」


「はい」男は苦しそうに答えます。


「あの薬のおかげで、腸が千切れるような痛みはすぐに治まったのですが、今度は……」


 男は言い終わる前に、再び口を押えました。ですが、間に合わず再び「げえええええええええええええええええええええええ」と先ほどと同じ量の胃液を吐き出しました。


 室内は、錆びた埃の匂いと男の胃液が混じり合い、何ともいえない匂いが充満しております。


「お客様は『すい』の毒素が症状に表れております」


「すい……?」男はぜえぜえ言いながら、わたしを見上げます。


「はい。以前は『気』の滞り、澱み、逆上が原因かと思いますが、今度は体内を巡る『水』が腐り、臭気を放ち、毒となり全身を巡っているのが原因かと思います」


「『気』の次は『水』か……」


 再び、わたしは奥の調剤室から古びた木箱を持ち出し、中から丸薬を取り出しました。


「さあ。これを飲めばすぐに楽になります」


 男は魅入られるように、わたしから丸薬をつかみ取ると一気に飲みました。

 良いことです。薬にはプラセボ効果というものがありますから。

 わたしとお客様との信頼関係が何よりも大事でございます。


 それから一週間後、男は再び現れました。

 ええ。実はですね、次の症状も分かっているのですよ。


 恐らく……。


 男は来店すると同時に目と鼻から血をぼたぼた流して、ハンカチで顔を抑えました。

 何度も同様の症状に襲われたのでしょう。ハンカチは血錆びが滲み、赤黒く変色していました。

 まずは、前回同様の質問をさせて頂きます。


「吐き気は、改善されたみたいですね」


「はい……」


 鼻をずるずるといわせて、涙目の男が小さく答えました。

 わたしは告げます。


「お客様は『けつ』が粘土のように硬度を持ち、滞った結果、血管のいたるところで固まり、とめどなく流れてくる血液によって遂には決壊したのでしょう」


「なんでもいいから、早く薬をくれ!」


 初めは、あれだけ訝しんで慎重であったのですが、今じゃすっかり催促をしてくる始末です。

 ええ。そう焦らなくてもお代さえ頂ければ幾らでも処方させて頂きます。

男は、わたしが差し出した顆粒剤を奪い取るようにして一気に服用しました。


「次から次へと、治ったと思ったら、別の症状が出てきやがるっ」


 男は前髪を乱したまま、やけくそのように吐き捨てました。

 わたしは温かい眼差しで、優しく見守ることしかできません。


 言えることはただひとつです。


「お会計は五万円になります」


 これだけです。

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