北極グマ

 いたたまれなかった。家族を養う事が出来ないのに、なぜ私は彼女をめとったのだろう。私は北極ギツネのように美しい妻と、北極ウサギのように可愛い娘の命を奪ってしまった。最低の男だ。

 生きていく資格なんかない。

 私は妻を丁寧に庭に埋葬し、家を出た。


 ひたすら歩いた。このまま死んでしまおうと思った。

 降り続いていた雪は次第に強くなっていて視界が悪い。遠くに海が見えているような気がした。

 不意に獣の匂いと共に殺気だった気配を感じ、私の全身の毛が逆立った。


 異様な気配とほぼ同時に、わずか五メートル程前方で大きな白い塊が立ち上がった。

「ゴァー!!」

 腹の底から絞り出したような太い唸り声が響き渡った。

 私はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。

 北極グマ。氷の王者。幼い頃から畏怖の念を抱き続けていた生き物。こんなに近くで見たのは初めてだった。

 私はひざまずいた。

「どうかひと思いに殺して下さい」

 こんな死に方が出来るなら本望だ。


 立ち上がったシロクマは再び四つん這いになり、ゆっくりとこちらに向かってきた。

 大きい。物凄い威圧感。

 私の目の前まで来たかと思うと、頬に平手打ちが飛んできた。

 私は成すすべもなく、十メートル程吹っ飛んだ。顔から赤い物が滴り落ちた。


 私は地面にはいつくばったまま、シロクマを睨んだ。シロクマは殺気だった顔ではなく、穏やかな顔をしていた。私が幼なかった頃にシロクマに殺された父親の姿が重なった。

「ビゾ、おまえにはまだ、あの世に行く資格は無い」

 そう言われた。

 そのシロクマが本当に喋ったのか、私は気を失って夢を見ていたのか分からないが彼は続けた。

「おまえはまだ、何も分かっていない」

「学べ。考えろ。命の事を。猟師のあるべき姿を。この地で生きていく為に必要な事を」

「おまえの父親も、妻も子供も無くなってしまったたわけではない。姿は消えてしまっても、その魂は引き継がれる。それを引き継いでいるのは人間とは限らないが、何かの中で生き続ける事が出来る。おまえにはそれが少しだけ見えていたはずなのに、理解出来ていないのだ」


 雪の中で目が覚めると、そこにはもうシロクマはいなかった。

 氷の王者、何て強くて美しいんだ! これまで持っていた畏怖の念が沸騰しそうだ。頬に手を当てるとべっとりとした感触と共に手が赤く染まった。

 私は震える脚で立ち上がり、何度も転びながら必死に、何とか家迄たどり着いた。

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