第11話 どっちが好き?

「そ、それじゃあ今日はこれで失礼しますわ……」


 桜井は決して俺と目を合わせることなく、終始頬を真っ赤にしたままそう言って、俺の家を後にした。結果的に、俺はプライドと引き換えに豚箱行きを回避することに成功した。


 これで本当に良かったのかはわからないが、あまり深追いをすると、とんでもないことに巻き込まれそうな気がしたのでやめた。


 彼女の閉めたドアをしばらく眺めてから部屋に戻ると、そこにはテンプレのようにお玉を持った日向が立っていた。


「ご主人さま、ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも私にしますか?」


 と、彼女はそんなことを冷静な顔で平気で言ってのける。


「ちなみにお前にするって言ったらどうなるんですか?」

「歯を食いしばって、悔しそうにご主人様から顔を背けながら、されるがままになります」

「なんでお前は隙あらば、俺を権力を振りかざすゴミ屑野郎に仕立て上げようとしてくるんだよ……」

「違うのですか?」

「違いますよ?」


 この女は根本的に勘違いをしている。むしろ、そういうのが嫌でこのおんぼろアパートで生活をしているんだ。


「風呂に入るよ」

「なるほど、二番目と三番目を両取りするつもりですね」

「一人で入るんだよっ!!」


 と、答えると日向はちっと舌打ちをしてキッチンへと戻っていった。どうやら彼女は俺の弱みをさらに増やしたいらしい。この女と一緒に風呂なんかに入ったら、録画でもされかねん……。


 俺は狭い脱衣所に入ると、服を脱ぐ。風呂場に入るとそこには既にお湯が張ってあり俺は一番風呂が頂けるようだ。


 なんだかんだ言いつつメイドの仕事は完ぺきにこなす彼女に感謝しながらお湯につかると「ふぅ……」とため息を吐く。


 長い一日だった。いや、長すぎる一日だった。俺は整理できそうにない情報量の多い一日を振り返る。


 まず、日向が転校してきたこと。これがもっとも驚きだった。いや、その後の桜井未菜瀬拉致監禁未遂事件の方がマズいか。が、さっきも言った通りこの件について俺は深入りはしないと心に誓った。


 が、冷静に考えてみると思うのだ。


 どうして日向は桜井未菜瀬を縛るロープと猿ぐつわを持っていたのだ? 桜井未菜瀬を誘拐するために買ったのか? いや、少なくとも彼女が転校してきたのは今日だ。放課後のわずかな時間であんなものを用意できるとは思えない。となると、前からもっていたということ……。


 何のために?


 俺を縛るためにっ!?


 暖かいお湯に浸かっているのに、何故だか体が芯から冷えていく。


「お湯加減はいかがですか?」


 と、そこで風呂の外から急に声がしたので俺は「ひゃっ!?」と情けない悲鳴を上げる。風呂のドアのすりガラス越しに日向の姿見えた。


「あ、ああ、ちょうどいいよ……ありがとな」


 と、答えるとガラガラと風呂場のドアが開いた。俺は慌ててタオルを股間に当てて大事な部分を隠した。


「な、なんだよ……」

「いえ、ご主人様からお背中を流してほしいという電波をキャッチしたので」

「なんか電波障害が起きてるみたいだな。それは誤情報だ」


 と、言ってみるが、日向は有無を言わさず浴室に入ってくる。どうやら彼女は本気で俺の背中を流すつもりらしく、袖を捲り上げている。


「おい、俺は背中を流せなんて言ってないぞ」

「うるさい」

「うるさいってなんだよっ」

「とにかくお背中を流しますので、そこに座ってください」


 と言って彼女は風呂用の椅子を指さす。


 どうやら俺に拒否権はない。俺はタオルで前を隠しながら浴槽から立ち上がると、椅子に腰かけた。すると、彼女はタオルにボディーソープを付けると本当に俺の背中を流し始めた。


 気持ちいい。もちろん、気持ちいいよ。そりゃ女の子が背中を流してくれているんだもん。だけど、俺は他人にこんなことをさせて平気な顔をしているほど、人間ができていないのだ。


 が、俺の背中をタオルで擦っていた彼女が、不意にタオルを持つ手を止めると、指先で俺の背中をなぞった。


「な、なんすか……」

「この傷は……」


 どうやら彼女は俺の背中に伸びる大きな傷跡に気がついたようだ。結構目立つ傷なので日向も知っていると思っていたが、よくよく考えてみれば日向の前で裸になったことはさすがにこれが始めてだ。


「まだ痛みますか?」

「痛くないよ。十年近く前の傷だし、見た目が仰々しいだけだよ」

「そうですか……」


 と日向はそう言ったっきり何も答えない。日向のことだから『傷口広げましょうか?』ぐらいの提案をしてくるかと思ったが、彼女は傷を撫でたまま黙っている。


「どうかしたのか?」

「え? いえ、なにも……」


 と、日向は日向らしくなく、歯切れの悪い返事をすると、それからしばらく俺の背中を流した。



※ ※ ※



 背中を流してもらい、またしばらく湯船につかってから風呂を出ると、すでにちゃぶ台には晩飯が並んでいた。日本の家庭らしく、焼き魚や煮物が並んでいる。どうやら彼女は最近日本料理に凝っているらしく、本棚には日本料理の本も並べられている。


 ホント、ドSなところ以外は完璧なんだけどな……。


 俺は急いで髪を乾かすと、ちゃぶ台の前に腰を下ろした。


「美味そうだな」

「ご主人様、女ことをそのように表現されるのは――」

「いや、飯の話だよ……」


 と、ショートコントを終えると、俺は箸を持って手を合わせると食事へと手を伸ばす。そんな俺のことを日向はじっと観察するように眺めていた。


 うむ、美味い。


 舌にはあまり自信のある方ではないが、彼女の料理の腕は日々進化しているような気がする。特に味噌汁は、最近は出汁にこだわっているようで、汁を口に含んだ瞬間、よく出たグルタミンが舌の奥を刺激する。


 が、彼女が不意にちゃぶ台に置いたエロ漫画を見て俺は味噌汁を吹き出した。


「ゲホッ!! ゲホッ!! な、なんだよ突然……」


 ちゃぶ台に置かれた漫画には『ドスケベ令嬢今宵もオークの待つ森に向かう』とタイトルがでかでかと書かれており、オークに羽交い絞めにされて喜ぶ金髪碧眼の令嬢のイラストが描かれている。


「いえ、特に深い意味はありません」

「深い意味もなく、そんなものをちゃぶ台に置くのは止めていただけませんか?」

「いえ、おかずを一品足しただけです」

「言っておくけど、上手くとも何ともないからな」

「そこまではっきりと美味しくないと言われると傷つきます」

「いや、お前のギャグセンスのことだよ……」


 そうツッコむと彼女はじっと俺を見つめた。


「なんだよ」

「ご主人様はこういう女の子が好きなのですか?」

「はあ?」

「いえ、ご主人様はこの漫画に出てくるような金髪碧眼の少女が好みなのかと思いまして。それにこのオーク、どことなくご主人様に似ておられますし」

「おうおうとんでもねえ暴言だな。おい」


 え? 俺、そんなにオークに似てる?


 と、ツッコんではみたものの少し不安になってくる。が、彼女は俺の不安をよそに話を続ける。


「ご主人様は、この漫画とこちらの漫画、どちらの方が好きですか?」


 と言って日向は今度は『メイド様と奴隷様』をちゃぶ台に置く。


「いやだからそういうのちゃぶ台に――」

「おかずを一品――」

「いや、もうこのくだりはいい……」


 と無限ループに入りそうなところを何とか止めて、俺はエロ漫画に目を落す。


「ご主人様はメイドにイジメられる漫画と、令嬢をイジメる漫画どっちが好きですか?」

「なんでそんなこと聞くんだよ」

「…………」


 なんだこの拷問は……。が、日向はじっと俺を見つめるだけだ。


 どうやら彼女は俺に恥ずかしいことを言わせて悦に浸りたいらしい。が、俺はそんな彼女のいじめに屈するつもりはない。


「答えるわけないだろ」

「そうですか。では六法全書の中に隠しておいたカメラを――」

「メイドです。メイドの漫画の方が好きですっ!!」


 俺はあっさり屈した。


 俺の言葉に日向はしばらくまた俺をじっと見つめていたが、彼女はそんな俺の性癖に呆れたのか「ふぅ……」とため息を吐くと味噌汁を啜った。

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