第4話

 その日、学校から帰った僕は着替えもせずにベッドにダイブした。


「もうおしまいだぁぁぁ………………」


 枕に顔をうずめて嘆く。

 やってしまった。

 過程はどうあれ、女子にいきり立ったイチモツを押しつけてあろうことか逆ギレまでかましてしまった。

 羞恥しゅうちと困惑のせいで正しい判断が出来なかった自分をひたすらにいましめる。

 謝罪文は送った。LINEのメッセージでだ。

 当然小峰こみね個人のLINEなんて持っていなかったため、クラスのグループLINEから友達登録して送った形である。

 だが、渾身の長文謝罪は未だに既読がつかない。

 そのことがより一層僕を不安にさせた。

 それと同時に、子供じみた言い訳が頭に浮かんでくる。


 ――仕方ないだろ。だって。


 めっちゃ柔らかかったし。良い匂いしたし。太ももで股間刺激されてたし。

 男として、これで興奮しない方がおかしいというものだ。

 しかも、あの行為にいたるまでの経緯がまったくわからない。

 僕は普通に話していたのに、急に向こうの様子がおかしくなって、乳ドンアレだ。

 わけがわからないが、起きてしまった事実はくつがえしようがない。


「どうしてこんなことに……」


 さっきから考えるのはそればっかりだ。

 それに別れ際の小峰のあの顔。


 ――本当にごめん。


 そう告げる彼女の表情は、背筋が凍るような冷たさがあった。

 もしかしたら次登校したときには、もう僕が女子にわいせつ行為を行ったと噂が広まっているかもしれない。

 生徒会長の座も下ろされるかも……。

 そんな懸念けねんがさっきからずっと渦巻いていて、僕はなにもかもやる気になれなかった。


 カチコチカチコチと、時計の秒針が過ぎていく。

 現時刻は午後6時12分。

 いつもならとっくに買い物に行って夕飯の支度をしている頃合いだ。

 にもかかわらず、こうしてベッドの上で悶々もんもんと時間を浪費している。

 現在、我が家には両親がいない。

 母さんは昔から身体を壊すことが多く、現在は入院中。いつもは一週間や二週間で退院してくるんだけど今回は結構長引くらしい。

 父さんは元からいない。僕が生まれてすぐ、外に別の女をつくってかすみのごとく消え失せたそうだ。

 そんなわけで今この2LDKの賃貸マンションに住んでいるのは僕と姉さんだけ。

 とは言っても母さんの病気の関係で、数年前からうちのことは基本的に僕たち姉弟がやっていたので、大した不都合はなかった。

 姉さんが働き、僕が家事をやるというのが片桐家の日常なのだ。

 だがついさっき、僕が尋常じゃない落ち込みようで帰って来たら姉さんは、


「大丈夫ユウくん⁉ お顔が真っ青よ! いいわ、今晩はゆっくり休みなさい。晩御飯の支度はお姉ちゃんがやってあげる!」


 と、気を利かせてくれた。

 その時は僕も「ああ良かった……。今日の姉さんはだ……」と安心してキッチンを任せたのだが、


「ユウくーん! お弁当買ってきたよー!」


 玄関の方で姉さんの声がする。

 僕はゆっくりと身体を起こして、ダイニングに向かった。

 姉さんは短大時代一人暮らししていたから簡単な自炊くらいはできるだろうと思っていたのだが、とんだ検討違いだった。

 焼けば焦がすし、味の加減もめちゃくちゃだし、炊いたお米はべちゃべちゃだ。

 結局、涙目になって「お、お姉ちゃん外でなにか買ってくるから……」と家を飛び出してしまった。

 仕事はめちゃくちゃできるのに、なぜ自分の身の回りのことになると途端にポンコツになるのだろうか。

 こんなんで将来嫁に行けるのだろうかと心配になる。

 だが、そういうことを口に出すとまた面倒なことになるので姉さんには直接言わない。

 具体的には、「お姉ちゃんはユウくんと結婚します」と返される。割と真面目な顔で。

 やめてほしい。大人になってからも、あんなスーツを着た幼稚園児みたいな人につきまとわれるなんてまっぴらごめんだ。


 と、そんな感じで少々面倒な姉ではあるが――


 今日ばっかりは、僕は姉さんに心の底から感謝をした。



     *



 めしを食って風呂で身体をさっぱりさせると、大体の悩みは薄れていくものだ。

 さっきまでは不安でなにもする気が起きなかったが、今はなんとなく大丈夫。

 根本的な問題が解決したわけじゃないが、こういう後につらいことが待っている時というのは、「もうダメだぁ……」ってなるターンと、「案外平気なんじゃないか」ってなるターンが交互にやってくる。

 現在は後者。気持ちはプラスに向かっている。


「……28……29……はぁ……はぁ……30……」


 そんなわけで、僕はとりあえず日課にしている筋トレを行っていた。

 こういう地道な努力が、男らしい身体をつくっていくのだ。

 部屋の壁に飾られたしょに目を向ける。

 二年前の冬、決意をあらためるべく書きしたためた「ちから」の一文字。

 雄々しく、力強く書けた力作だ。僕の基本理念は、あの頃からなに一つ変わっていない。

 順々にトレーニングメニューを消化していく。

 腕立て伏せをしていると、かたわらに置いていたスマホが震えた。


『お話があります。明日午後3時に、○○駅前のファミレスに来てください』


 ――ひゅっ。


 息が止まるかと思った。

 今までに見たどんなホラー映画のワンシーンよりも怖い一瞬だった。

 LINEの送り主になっているのは、もちろん小峰だ。

 僕は腕立てを中断してスマホの画面を食い入るように見る。

 なんで敬語なんだ。威圧感が隠しきれてないじゃないか。

 なんでわざわざ休日に呼び出すんだ。そんなんもうボコられるの確定じゃないか。

 急激に気分が盛り下がる。「もうダメだぁ……」のターンがやってくる。

 やっぱり、小峰はあの時のことで怒っていたんだ。

 話、というのは十中八九じっちゅうはっく、僕に対する非難だろう。

 謝り倒すにしてもどうしたら許してもらえるのだろうか。

 必死に考えても妙案みょうあんは浮かんでこない。

 とりあえず『了解』と返事を打つ。

 前に送った謝罪文は全く既読がつかなかったのに、その返事は一瞬で既読がついた。

 この際もう一度LINEの文面で謝ろうと思ったが、やめた。

 文面で謝罪するよりも直接謝った方が良い気がしたのだ。


「許してもらえるといいけど……」


 僕は憂鬱ゆううつな気分を引きずったまま、筋トレを中断し眠りにつくのだった。

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