本編

プロローグ

プロローグ

 小峰こみね明日香あすか

 そんな噂を聞いたのは、放課後の生徒会室でのことだった。


「ガチってどういうことだ?」


 僕が訊き返すと、友人の横山よこやま誠司せいじはデスクから顔を上げて言う。


「そりゃーお前、ガチ百合ゆりだよ。レズビアン。女の子と女の子で百合の花園を築いてんの」

「ああー……」


 僕はなんとなく内容を理解して頷いた。


「まあ僕も、小峰が後輩の女子から言い寄られてるって話は聞くけどな」

「だろ? C組の女子もコクったっていうし」

「でも、それだけで小峰が同性愛者ってことにはなんないだろ。単に好かれてるだけかもしれないし。そんなこと誰が言ってたんだよ」

「柴田がテニス部の先輩の友達から聞いたって」

「信憑性ゼロじゃんか……」


 僕は呆れてため息をついた。


「あんだよユウ。やけに小峰さんの肩持つな」

「肩を持ってるとかそういうんじゃない。ただ『誰々から聞いた』ってだけの情報で個人の趣味を決めつけるのは良くないだろ」

「またまた~。ユウちゃんったら、本当は小峰さんに気があるんじゃねえの?」

「はいはい。無駄口叩くのは仕事終わってからな」


 そんな感じでダラダラと世間話をしながら、二人で仕事をこなしていた。

 僕が学外活動の報告書を作成していると、


「お、噂をすれば」


 いつの間にか背後に立っていた誠司が、窓の外を見て声を上げた。

 つられて僕もそちらを向く。

 グラウンド脇に設置された水道でたむろする女子バレー部の面々。

 その中に一人、文字通り頭一つ飛び抜けた人影があった。


「相変わらずデッケ―な、小峰さん」


 窓枠に顎を乗せながら、誠司が言った。

 小峰は僕たちのクラスメイトで、いわゆる女子からモテる女子というやつだ。

 凛々りりしく中性的な顔立ちに、女子にしてはワントーン低い声、隙のない立ち振る舞いと、「かっこいい系女子」の要素は大体網羅もうらしているのだが、とりわけ目立つのは――


「185㎝あるらしいぜ。女子のくせに俺より10㎝以上デカいとか、もはやバグだろ」


 これである。

 彼女は僕たちのクラスで、男子を含めても一番背が高い。

 男子でもここまで大きいやつは限られてくるが、女子でこの高さとなればもはや異次元、モデルとかスポーツ選手とか、そういう世界である。

 実際、小峰は女子バレー部で無双級の活躍をしていた。それがさらに彼女の人気を後押ししている。

 哀れなのは僕らクラスメイトの男どもだ。

 青春を謳歌おうかしたい男子にとって、彼女は目の上のたんこぶだった。


「クッソー! 俺も小峰さんみたいにモテモテの高校生活を送りたかったぁー!」

「うるさい誠司。さっさと仕事しろ」


 僕がボールペンの先端で脇腹をつつくと、誠司は「あっひょ」と気持ち悪い声を出してしぶしぶデスクに戻る。


 ――それにしても。


 僕はキーボードを叩きながら、あのタッパのあるクラスメイトのことを思い浮かべた。

 さっき誠司は、僕が小峰に気があるんじゃないかと勘繰かんぐった。

 素直に答えたらからかわれると思って返答は濁した。

 だが、この問いに対する僕の答えを出すとするならば。

 それはたぶん、「YES」になるんだと思う。

 決して異性として好きとかそういうわけじゃない。

 だが、気になるかどうかと言われたら、気になる。

 なぜなら――


「あ、やべ。そういや俺、物取るために立ったんだった」

「ったく。すぐ脇道に逸れる癖直せよな」

「へーへー……っと。ユウ、穴あけパンチどこやったっけ?」

「取っ手が欠けてるやつ?」

「そそそ、まだ捨ててなかったろ」

「ああ。たしかこっちに……」


 僕も席を立って誠司の探し物に付き合う。

 デスクの傍に設置された棚の上に、それらしき物が入っていそうな段ボール箱を見つけた。置き場に困っていたガラクタをまとめて放り込んで置いていたのだ。

 僕はそれを取ろうと手を伸ばして、


「ふぐっ……んぎぎぎぎ……」


 届かない。

 棚の上に置かれていたとは言え、平均的な男子高校生だったら余裕で届く位置だ。


「ぐぐぐ……」


 だが届かない。

 僕がつま先立ちで粘っていると、視界の端から手が伸びた。

 ひょい、とそれを取った誠司は中を漁り、「お、あったあった」と相好そうごうを崩す。

 そしてこちらに向き直って、


「サンキュー、チビ会長」

 ポン、と僕の頭に手を置いた。

「チビって言うな!」

 僕はその手を振り払いながら叫ぶ。


「なんだよー。お前いっつも自分で自分のことチビっつってるじゃんかよー」

「自分で言うのと他人から言われるのは違うんだよ!」

「じゃあ言い方変えるわ。今日からよろしくな、ミジンコ会長」

「もっと悪いわ!」


 こうして彼と向き合うと、なおのこと自分の小ささに愕然がくぜんとする。

 僕――片桐かたぎりゆう――の高校2年生現在の身長は、155㎝だ。

 背の順はクラスの男子でダントツの先頭。

 それどころか、僕より小さい男子をこの学校で見たことがない。

 この身体のせいで、僕は今まで散々な扱いを受けてきた。

 女子にはさっぱりモテないし。

 通りすがりの中学生には「お前どこ中?」って言われるし。

 近所のおばさんには未だに〝ちゃん〟付けで呼ばれるし。

 生徒会長選挙で僕の他に対立候補がいなかったにもかかわらず、「チビすぎて頼りない」と危うく落選しかけるし。

 男として耐え難い屈辱を何度も味わってきたのだ。


「やーいやーい。悔しかったら俺の背ぇ抜かしてみろってんだ」

 ……こんな風に。


「クソ……お前だって大して高い方じゃないくせに……」


 小馬鹿にしたような踊りで挑発する誠司。

 ちなみに彼はこんなんでも我が校の生徒会副会長を務めている。世も末だ。……まあ推薦したの僕なんだけど。

 そんなこんなで戯れていると、最終下校時刻10分前を告げるチャイムが響いた。


「やべぇ! 俺まだ仕事終わってねぇ!」

「ああもう、誠司がふざけるからだろが」

「助けてくれユウ! お前は俺たち生徒会の頼れる会長だ!」

「この野郎……」


 調子の良いことを言う誠司のデコをピンと弾く。

 そして僕は彼の仕事を手伝い、事なきを得たのだった。



     *



「ん~疲れた~……」


 廊下を歩きながら、伸びをして凝った肩をほぐす。こういったささやかな動作にも、身長が1mmでも伸びますようにという祈りは欠かさない。

 外はもう夕闇に染まりつつあった。

 チカチカと電灯に照らされた玄関で靴に履き替える。

 片足立ちでかかとを起こしていると、前方にエナメルバッグを肩に掛けた女子三人組が歩いているのが見えた。

 さっきグラウンドにいた、バレー部の女子たちだ。

 小峰は真ん中を歩いていた。すらっと伸びた後ろ姿ですぐわかった。

 両サイドの二人が標準サイズだから、はたから見ると漢字の「山」みたいになっている。

 彼女たちはかしましく会話に華を咲かせて玄関口から出て行った。

 その様子を眺めながら、僕は独りつ。


「ま、小峰を羨ましく思うのは僕も同じだけどさ」


 小峰は女子にモテる女子だ。

 そこいらの男よりも大きい。

 だからこそ――

 男のくせにチビでモテない僕は、彼女のことがどうしても気になっていたのだ。

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