第7-2話


 聞こえるはずだった発砲音を遮ったのは、扉を蹴り破る大きな音だった。

 次いで、パンッ、パンッ、と破裂音が聞こえて、レオは視線を上げる。

 ガーマンの肩と太股から、真っ赤な血が流れていた。わなわなと体を震わせて、額に脂汗をかいているガーマンは、幽霊でも見るような顔で喚き散らした。


「な、なんだ貴様らァア!」

「見れば解るだろ、オッサン。アンタの敵だよ」


 あ、と声が漏れたのは、扉から入って来た三人が、よく知る顔ぶれだったからだ。

 入って来た内の一人であるライエルが、レオを見て口角を吊り上げる。


「生きてるか、レオ」

「な、なんで」


 此処に来ることは誰にも告げていない。それに、とライエルの後ろにいるレミエルを見た。

 彼は、一体誰に向かって拳銃を構えているのだろう。

 レミエルは裏切り者なんじゃないのか。だって彼の指示で此処に俺たちは来たのに。

 理解が追いつかないままでいるレオを余所に、ライエルが手際よく拘束を解いてくれた。それと同時に素早くノクスの上から退けば、いつも通り冷静なノクスがレオを見ていた。彼の顔はガーマンに殴られたせいで所々赤くはなっているものの、少しだけ安堵しているように見える。


「ノクスさん、生きてます?」

「ああ、問題ないよ」

「あーあ、顔腫れちゃってるじゃないですか。だから止めようっていったんですよ、こんな作戦」

「作戦……?」


 何を言っているのか解らない、とレオが口を挟めば、ライエルは驚いた顔をしてこちらを見た。何度かノクスとレオの顔を交互に見てから、あれ、と声を上げた。


「ノクスさん、レオに今回のこと言ってなかったんですか?」


 拘束を解かれて自由になったノクスは、殴られたのがウソみたいに冷静だ。

 襟元を正して立ち上がると、スーツの裾を払いながら涼しい顔で頷く。


「ああ。言ったらレオは顔に出る」

「まあ確かにそうですけど」

「どういうことだ! 何だこの状況は! あのバカ共はどうした! レミエール、どういうことだ!?」


 今まさにレオが言おうとしていた事を、さっきまであんなに勝ち誇った顔をしていたガーマンが口にした。

 その顔には焦燥と絶望がありありと見てとれる。優勢だった立場をものの見事に逆転されて、思考が追いつかないのだろう。豚の肉のように縛り上げられて、彼が良く座っていたであろう豪勢な椅子に縛り付けられている様は、とても滑稽だった。汚い唾を飛ばしながら、アイツらは何処だ、と喚いている。

 話を振られたレミエールは何も答えず、ただ真っ直ぐにガーマンを見ていた。手には拳銃が握られていて、その銃口はガーマンを捉えている。その瞳に宿るのは、傍目からでも解る程の憎悪だ。一体どういう状況だ。レオは思考が追いつかないまま、ただ彼らを見る。


「見ての通りだ。アンタの仲間は全員俺たちの仲間が殺った」


 ガーマンを縛り上げた張本人のガランが平然と答えた。

 ばかな、と音にならない声を発したガーマンは、顔をどんどんと青くしていく。ガーマンを取り囲んだ、ライエル、ガランとレミエル、そしてその中心に立つノクスを、少し後ろから見る。一歩下がったレオの位置からは、ノクス以外の三人が殺気立っているのがよく見えた。


「さて、ラグーナのボスであるガーマンさん」


 わざとらしい言葉でライエルが言った。

 ヒッと喉を引き攣らせた無様な男に構うことなく、言葉は続いていく。


「貴方は何をしたか、貴方自身が一番お解りですよね? そうです。ボクたちの大事な大事なボスであるノクスさんを、執拗に殴りましたね? それが死に値するとお解りですよね?」


 ライエルが椅子の背もたれに長い足を掛けて、ギイと鳴らす。後ろからはライエルがどんな顔をしているかを見る事は出来なくても、想像に容易かった。きっとずっと前にレオに見せたような、背筋が冷える何の感情も見せない笑みを浮かべている。


「ライエル、それは今はどうでも良いよ」


 そんなライエルを諫めたのは、ノクスだ。

 ライエルの肩に手を掛けて、少し下がらせるとガーマンを見下ろした。


「単刀直入に言う。レミエルの妹を、お前は殺した。そうだな?」


 ノクスの言葉にバッとレミエルを見遣る。

 未だに彼は銃口をガーマンに向けていた。


「お前は、僕たちの組織に上手くレミエルを潜り込ませたと思っていたんだろう。二年ほど前までは、確かにそうだった。でもレミエルが教えてくれたよ。お前に、人質として妹を取られて逆らえないでいる、と。レミエルは交渉術にとても長けているから僕は、仲間になってくれ、と彼に頼んだ。妹を助けてくれるなら、と彼は了承してくれたよ。だからライエルや他の諜報に長けた仲間に調べさせた。そして、解った。お前は約束を反故にして、既にレミエルの妹を亡き者にしている、と」


 彼が纏う憎悪と、彼の行動の意味を唐突に理解する。

 スパイだと思っていたレミエルが、ノクス側に付いていたからこそ、この作戦が立てられたのだろう。ノクスから見れば、レオがレミエルから手紙を受け取ることは織り込み済みだったというわけだ。眉を顰めたものの平然とそれを受け入れたことも、裏で既に動いていたとすれば、納得がいく。

 そして、レミエルの瞳に映る憎悪はレオもよく知るものだ。

 肉親を殺された。

 当然その事実は、レミエルにも伝えられていた筈だ。それを知ったときのレミエルは、一体どんな気持ちだっただろう。その場に泣き崩れただろうか。それとも大声で泣き喚いただろうか。真実は解らないし、そのどちらでもないかもしれない。だが、それをほじくり返そうとは思わない。

 肉親を誰かに殺されたあの見えない激痛と、喉を絞められて全身を引き裂かれるような苦しみが、レオにも良く解るから。


 ふっ、と吹き出したのはガーマンだった。


「フハハハッ! ワタシが殺したから何だって言うんだ? ワタシがボロ雑巾のようなコイツとコイツの妹を、わざわざ拾って生かしてやったんだ! どうしようがワタシの勝手だ。お前に口出しされる覚えはない!」

「そうだとしても通すべき義理はある筈だ」

「義理ィ? そんなものが何の役に立つと言うんだ。金にも飯の足しにもなりはしないだろ! バカが!」


 もうどうでも良くなったと言いたげに、馬鹿にしたようなガーマンの高笑いが部屋に響く。咄嗟に見たレミエルは、今にも血が滲んでしまいそうなほど唇を噛んでいた。


「だいたいな、騙される方が悪い。せかせか働いたのはワタシのせいか? 違うだろう? コイツがバカだから、ッグホァ!」

 

 ゴキッ、と骨が割れるような音がして、下卑た声は止まった。

 贅肉に塗れたガーマンの頬を殴り飛ばしたのは、他ならぬノクスだった。レミエルのように目に憎悪をほとばしらせる事はないが、深い緑の瞳は静かに怒りの炎を灯していた。


「騙される方が悪い? 違うよ。いつだって悪いのは騙す方だ。馬鹿なのはお前だろう、ガーマン」


 そう言い放ってから、ノクスは興味を無くしたように視線を逸らして足先の向きを変えた。


「コイツどうします、ノクスさん」

「好きにして構わない。責任は僕が持つ。――レミエル」


 一度足を止めたノクスは、レミエルへと声を掛けた。

 もう彼は銃をガーマンに向けてはいなかった。ただ体の横にぶら下がった両手と同じように下げていた頭を、ゆるゆると持ち上げたレミエルの目は、光を無くしている。息を呑んだレオとは裏腹に、ノクスは言った。


「お前の妹を救えなくて、すまなかった」

「っ……! いいえッ、俺こそすみませんでしたっ」


 深々と頭を下げたレミエルから、ぼろぼろと雫が落ちるのが見えた。彼が履いているいつも光沢を放っている革靴が、落ちてきた雫を弾いている。それが止むことはない。その様子を見てもノクスは深く追及することなく、ゆったりと開いた扉の方へ歩を進めていく。


「おい、何ぼーっとしてんだ」


 ぽん、と肩を叩かれて振り返ると、ライエルが呆れたような顔をしていた。言われた意味がわからなくて、首を傾げると、背中をグッと押されて体がバランスを崩す。思わず出した利き足で踏ん張って、ライエルへ目を向ける。


「お前はノクスさんの番犬だろ。早く行け」

「……、番犬はライエルだろ」

「俺はやることがあるからな。じゃあ頼んだぞ」


 番犬であることは認めるのかよ、と思いつつも口には出さない。ちらりと見遣ったレミエルは、まだ頭を下げていた。タッと駆け出して、ノクスを追いかける。一応扉は閉めておいた。

 きっと今から、ガーマンは死よりも酷い苦しみを植え付けられることになるんだろう。

 なんたって、彼らはギャングだ。彼らの良い部分の顔しかレオは見ていなくても、ギャングにはギャングなりのやり方があるし、筋の通し方というものがある。ガーマンに関しては同情する余地もない。

 レミエルの心が、少しでも晴れると良い。

 そんな事を思いながら、ノクスの背を追いかけた。



「ノクス」

「……ああ、レオか」


 普段と変わらないしゃんと伸びた背中に声を掛けると、ノクスはやっとその足を止めて振り返った。彼の顔には真新しい小さな傷がいくつもあって、所々腫れている。今すぐにでも冷やした方が良いと思うのに、ノクスは気にする素振りもない。


「顔、大丈夫か?」

「心配ない。昔はもっと酷い傷を作ってたこともある」


 驚きだ。傷なんて無縁、とでもいうような綺麗な顔をノクスはしていると思う。現に彼が殴られるところ見たのは初めてだし、ガスで眠らされる前に見た反応速度も状況判断力もズバ抜けているように見えた。そんな彼が本当に昔、顔に傷を付けていたのか甚だ疑問だ。


「なんだその顔。僕だって傷ぐらい出来るさ」

「全く信じられない」

「ははっ、それは褒め言葉かな」

「うん。そうだな」


 別に褒めるつもりはなかったけれど、結果的には彼の力に感心している訳だし言葉は間違っていないな、と思いながら肯定する。すると今度はノクスが驚いたような顔をした。

 

「なんだよその顔」

「いや、レオも随分と素直になったと思ってね」


 ほら前ははぐらかすことが多かっただろう、とノクスは少し嬉しそうに言った。確かにそうだった、かもしれない。出会った当初は随分と自分はひねくれていた自覚があるし、レミエルが言っていたように態度も相当悪かった。全てを生い立ちのせいにして、そこから抜け出す努力も考えを改める事もしなかった。数ヶ月前のそんな自分を思い出して、あー、と思わず声が出る。


「それは、うん、まあ、アンタとかライエルとかのお陰だと思う」

「……素直になりすぎじゃないか? もしかして自白剤飲まされたのか?」

「何でだよ! 素直に礼言ってんだろ!」

「ふっ、冗談だよ」

「……アンタのは冗談に聞こえないんだよ」


 まさか彼から冗談がでようとは。いつも本心しか出さないような物言いをしているから、こんなところで冗談が出てくるとは思わない。

 コツコツと二人分の歩く音が廊下に響く。

 ガランが言った通り、所々に人が転がっているものの、起き上がる様子が無い。それを見るに彼らの言う通り、ボスであるノクスがされたことにテミスの面々は相当怒り散らしたのだろう。敵に回すと本当に末恐ろしいが、仲間として認知されているとこうも心強い。


 そこではたと思い出す。

 そういえば、ノクスには己の素性が知られてしまったのだった。

 モルテに恨みを持つ者は多い。きっとテミスの中にも、恨みがある人はいるだろう。それを、彼に知られてしまったのだ。


「なあ、ノクス」

「なんだ」

「さっきの……、ガーマンが言った事、覚えてるか」


 こんな形で知られることになるなら、自分から言っておけば良かったと後悔した事。

 ノクスはああ言ってくれたけれど、ノクス以外のテミスの面々がそういうとは限らない。もしも、出て行けと言うのなら、それに素直に従うべきだとも思っている。

 それでなくてもレオの生い立ちの所為で、ノクスに無用な怪我を負わせているのだ。

 これ以上、ノクスに迷惑をかけたくなかった。


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