第7-1話

<”The way you see people is the way you treat them, and the way you treat them is what they become.”>




「随分と余裕があるじゃあないか」

 徐々に開いていく意識に合わせて、瞼を持ち上げていく。

「そう見えるか?」

「そうして椅子に縛られていても、全く怖じ気づかないところがね」

 ノクスの声と、聞き覚えのある嗄れた声がして、顔を持ち上げた。

 まだ頭が重い感じがする。

 何度も瞬きを繰り返して見えたのは、悪趣味なシャンデリアが天井からぶら下がるやけに広い部屋だった。目線と同じ高さには、煌びやかな装飾が成された執務机と、その椅子に座る恰幅の良い男。その顔には見覚えがある。

「やあ、随分と遅いお目覚めだね、金の卵クン」

「お前ッ!」

 殴りかかってやりたかったのに、体に巻き付いた縄に体の動きを止められた。


 今目の前で下卑た笑みを浮かべているのは、レオの腹部に銃弾を数発撃ち込んできた男だ。


 絶対に逃がすな、と狂気じみた声を上げていた彼のことは良く覚えている。彼の元にいれば飼い殺されるだけだと思ったから、腹部の傷を顧みることなく逃げ回った。

 その結果が、ノクスに拾われることに繋がり、逃げ果せることになったのだ。

「随分と探したよ。あの日取り逃がした部下を半殺しにしてしまうくらいには、惜しい存在だったからね」

 喉を揺らしながら下品な笑いを繰り返すその男に鼻で笑ってやる。

「俺の事を殺すつもりだったくせによく言うッ!」

「殺すつもりはなかったよ。逃がすつもりがなかっただけで」

「レオ」

 ノクスの声が、男の言葉を遮った。

 そちらに目をやれば、ノクスもまた己と同じように椅子に縛られている。彼はレオを見ることもなく、続けた。

「ガスで居眠りをしたせいで、僕との約束を忘れたのか?」


 どんな感情も昂らせない平坦な声が、まっすぐ耳を貫いた。


 忘れてなんていない。口も手も出さすな、とノクスが言ったことはよく覚えている。だがしかし、言い返さずにはいられなかったのも確かだ。

 反論してやろうと口を開きかける。

 静かに流された横目。その眼光に喉まで出掛かっていた言葉が、一気に胸まで下りていく。威圧があったわけではない。それなのに、黙らなければと思わされた。

 そのまま口を閉じた事をいいことに、ノクスはまたラグーナのボスであるガーマンに目を向けた。

「二人で来たら手を出さない約束じゃなかったのか?」

「ハッ! 確かに言ったが、人数は指定しなかっただろ? まあ少なくともお前たちが二人が生きている間は、組織には手を出すつもりはない」

 口角を面白そうに吊り上げて、彼はそう言った。

 その言葉には裏がある、と直感的にレオは理解する。

 生きている間は、ということは、レオかノクスにもしものことがあれば、テミスの面々に危害を及ぼすという事に他ならない。

 苛立ちがガタリと椅子を揺らした。

 少し体を動かしたところで、何もできないのはわかっている。だが、腹の底から嫌悪感が迫り上がってきて、ジッとしてなどいられなかった。

「確かにそうだな。では僕が死ななければいいという事だな」

「……ッおいっ、ノクス! 何をッ!」

「少し考えれば分かるだろう?」

 平然とそう言い放ったノクスが言いたいことはわかる。

 ガーマンはレオの事を『金の卵』と言った。

 確信はないがレオが誰の息子なのか、ガーマン達は知っているのだろう。そうでなければ、金の卵と呼べるはずもないし、ガーマンの手先であろうレミエルがその真実を知っている筈がない。それだけ重要視しているから、レオのことは半殺しにしたとしても殺すことはないのだろう。

 しかし、ノクスは別だ。

 つまり、最初から交渉に乗るつもりなどないということだ。

 何らかの制裁を加えたいのか、恨みがあるのか、ノクスに何かをしたいが為にこんな茶番をやっていて、遅かれ早かれ、ノクスは殺される運命にある。

 それが分からないノクスではないはずなのに。わざわざ素直に乗ってやる必要などないだろうに、ノクスはその場から動こうともせずに素直に話を聞いているのが信じられなかった。

「お前は黙っていろ、と言ったはずだ」

「だけど!」

「良いから、大人しくしていろ」

 あくまで冷静さを欠かないノクスは、ガーマンへと目を向けて言った。

「それで、こんな手の込んだことをして、僕に何の用だ?」

「お前のことはずっと前から知っていたぞ、テミスのノクス」

「それは光栄だな」

「ぽっと出のお前にされたことに比べれば、ワタシが今からすることは屁でもないだろう」

 そう言うやいなや、ゴツい宝石の指輪がいくつも嵌った右手が振り上げられた。

 息を呑むまもなく、振り上げられた拳が鈍い音とともにノクスの頬を殴り飛ばした。その衝撃に耐えられなかった椅子が、派手な音を立てて倒れる。普段白い肌は、ガーマンの指輪のせいで赤く成っていた。

「ハハハハッ! 無様だな、ノクス!」

「ノクス! ……お前ッ!」

「騒ぐな、レオ」

 歯をむき出しにしてガーマンを威嚇したレオを制したのは、殴られた本人だった。ガーマンと言えば、下品な笑みをますます下品に歪めて、バカにしたような笑い声を上げている。

 許せない。何の抵抗もできない状態にして殴るなんて汚い真似をするガーマンを、殺してやりたかった。

「はァ、胸が空いたよ。まだまだこんなので済ますつもりはないがね」

 指先をブラブラと揺らしてから指鳴らしをしたガーマンが、椅子ごと倒れているノクスに馬乗りになる。鈍い音が何度も聞こえる。何の手も足も出ないまま、ノクスは殴られ続ける。

「やめろ! オイ! クソジジイ!」

「ハハハハッ! いい気味だ! どうだワタシに殴られる気分は」

 レオの怒りすら余興だと言わんばかりに、高らかに笑うガーマンは、ニタリとレオを見遣ってから馬乗りに成っているノクスへと視線を向けた。ノクスはただ静かにガーマンをみるだけだった。

「お前もこの危険因子をさっさと見捨ててしまえば、ワタシにこんなことをされることもなかったのにな。ククッ、実にいい眺めだよ、ノクス」

 口の中が切れたのか、血の混じった唾を吐き出してから、ノクスは静かに、危険因子? と聞き返した。

「そうさ、この『金の卵』のことをお前ほどの男が知らない訳はあるまい?」

 息を呑んだのは、レオだった。

 ずっと言わずにいた真実を、告げるつもりのなかった真実を、今ここでバラされてしまう。そう思うと口を噤まざるを得なかった。

 言うな。言うなッ…! もしもそれをノクスが知ってしまったら、俺は一体何処に行ったら。

 レオの思いに反して、ガーマンの口はよく回っていく。


「知らないなら親切に教えてやる。こいつはな、モルテのトップの一人息子だ!」


 汚らしい指がレオを指差す。

 ゆっくりとノクスの目線がレオへと向けられた。

 その眼差しに、血の気を引かれるようだった。知られてしまった。何を言えば良いのかもわからないまま口をまごつかせていたレオをよそに、何の感情も映さないノクスの瞳は、またガーマンへと戻っていった。

「レオがモルテのトップの一人息子?」

「そうさ! ワタシはコイツをダシに、モルテから金をぶんどってやるのさ。勿論モルテに殺されない程度だがな。お前はコイツを組織に置かずにさっさと捨ててれば、綺麗な顔に傷を作ることもなかった!」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべたガーマンが、レオを見る。ざまあみろ、と言いたげなその顔。

 言い返す気力すら湧いてこない。今、ノクスは何を思っているのだろう。もっと早くにその事実を告げていれば、何か違っただろうか。あの心地よさに身を委ねていた罰が、今下ったのかも知れない。

「馬鹿馬鹿しい」

 そう思ったときだった。

 少し小馬鹿にしたような小さな笑いが混じる声が、ノクスから放たれた。

 いつの間にか下を向いていた視線を上げて、彼を見遣る。

「レオの親が誰かなんて、僕には関係のないことだ」

 何を言ったのか、一瞬理解できなかった。

 親が誰かなんて関係がない。そんなことを今までレオに言った人間はいなかった。誰も彼もが、何かに付けて父親の話題を出し、媚びを売るか、総攻撃を仕掛けてくるかのどちらかだった。

 だというのに。ノクスは、それは関係ないと言う。

「子どもに親の業は関係ない。どんな親を持とうが、その子どもには、自分を生きる自由がある」

 強い声だった。心臓の奥の柔らかい部分を揺らすようなその強さに、喉に迫り上がってきたのは、何だっただろう。

 関係ない、とずっと言われたかった。親は誰であっても関係ないと言われたかった。レオを『あの男の一人息子』でなく『ただのレオ』として見てくれる人が、欲しかった。

 僅かに震えた肩と、熱くなった目頭を隠すように顔を背ける。

 ノクスはそんなレオに構うことなく、言葉を続けた。

「レオがお前に直接何かをしたか? していないだろう。力ある者ではなく自分よりも立場の弱い者を標的にしている時点で、己が腑抜けだという証明をしているに他ならない」

「なっ!? ッ、黙って聞いていれば、この若造がッ!」

「止めろッ、このクソ野郎! その手を離せ!」

 侮辱されて激昂したガーマンの両手が、ノクスの首に絡みつく。ギリギリと首を締められて呻いているノクスを見ているのに、声を張り上げることしか出来なかった。噛み締めた歯が軋む。どうしたら良い。何か俺にできることは。とにかく体を動かすしかない。

 勢いよく体を動かして、椅子を揺らす。ガタガタと揺れるだけで何の効果もない。せめて、ガーマンの手を外せたら。咄嗟に閃いたのは、体当たり。

「このッ、野郎ッ!」

 勢いをつけて椅子ごと、ガーマンにぶつかってやった。

 まさかそんなことをされるとは思っていなかったらしい。バランスを崩したガーマンが、情けない呻き声を上げて床に転がる。代わりにノクスの体に右肩がのしかかる事になってしまったが、この際気にしていられない。

 咳を何度かしてから、呆れたような声が飛んでくる。

「レオ、動くなと言ったはずだが」

「そんなこと言ってる状況じゃないだろ!」

「ッ! 貴様ッ! よくもやってくれたな!」

 怒りで顔を真っ赤にしたガーマンが、立ち上がった。

 懐から出した拳銃の口がこちらに向けられて、ヒュッと喉が鳴る。ドクドクと心臓が焦りで早くなる。

 冷静に多分俺の事は半殺しにしても完全に殺す事はない。要は金づる。死んでしまっては元も子もないはず。だから、今一番の問題はノクスだ。こんなところで死なせたくない。絶対に、殺させない。殺させてたまるか。

 ノクスを守るために体を動かして、己の上半身を盾にする。これで心臓にを狙えないし、さっきのように首も絞められない。

「フハハハハッ! バカが! そんなコトしたところで何になる! こっちは頭を狙えば良いんだぞ!」

 馬鹿にした笑いが聞こえようが、無駄な足掻きだ、と言われようが何だってよかった。


 死なせたくない。その想いだけがレオを突き動かしていた。


 もっと力があれば、この縄だって解けたかも知れない。ライエルのように頭が良ければ、何か方法が思いついたかも知れない。そう思っても、過去には戻れない。今出来ることはこれだけだから。

 カチリ、とセーフティが外される音がする。

 向けた視線の先で、ガーマンは勝ち誇ったように笑っていた。


「死ね、ひよっこ共」



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