外伝:東恭子の苦難(東先生視線)

 あの渡辺に襲われたとき、1年1組担任の男性教師が私を助けてくれた。

 私はしゃくりあげつつ、彼に哀れっぽく見えるよう縋りついた。

「怖かった!怖かったです、私、私、うっ、まさか生徒があんなことっ!」

 だけど彼は、私の背をさすりながらもこう言った。

「何やらかしたんですか、あんた」

「私じゃありません!」

 涙にぬれた顔を上げて見せたけど、相手の表情は冷徹だった。

「生徒はね、突然教師に殴りかかったりしませんから。東先生は、学生時代そんなことしましたか」

「今はそういう話をしてるんじゃありません、あれは狂犬です、狂ってるんです!」

 私が必死で訴えるほど、何故か相手の目に侮蔑の色が増していく。

 どうしてよ、被害者は私なのに!私こそが守られ慰められる側なのに!

「じゃあなんで、彼女は東さんに『謝れ』と行ったんですか」

「知りません!私何も言ってない!」

 そうよ、謝ることなんて言ってないわよ。あの子の心身に躾がしっかり刻まれるように、厳しい言葉を与えただけよ。

 男性教師は、とうとう私を放り投げるようにして離れた。

「結構失礼なことを大声で喚いてたの、聞こえてましたよ。あれじゃあ僕でもキレますよ」

 私は、そのまま廊下に捨て置かれた。私を襲った『狂犬』の方には、友達と思しき女子が一人縋りつき、私よりも多くの教師が彼女の周りを囲んでいた。




 数時間後、私は林先生と、なぜか大矢先生と向かい合うようにして、応接室に座っていた。

「渡辺は、君のことを許すそうだ。親にも話さないつもりらしい」

「そうですか」

 林先生の言葉に、私はほっとした。生徒の親にはモンスターペアレントになる輩もいる。あの親に限ってそんなことにはならないだろうが、話の通じない人種に捕まったらたまらない。

「まあ、言ったところで、双葉が酷い目に合うだけですから」

 大矢先生が、また彼女を下の名前で呼んだ。それだけでも大いに気に障るのに、林先生もそれを当然のように受け止めた。

「双葉の方も、そんな扱いを受けているということか。困ったもんだ、あの子は何も言わなさすぎる」

 林先生までもが、彼女を名前で呼んだ。私は彼女が特別扱いされているように思え、胸の奥から灼けるような苦しみを感じた。

「――渡辺という生徒は、この学校で一人のはずですよね?」

 林先生が、少し沈黙した後軽くメガネを直した。

「もう一人いるんだよ。彼を直接知っているのは、もう大矢先生しかいないがね」

「でも、各クラスの名簿にも載っていない……」

 大矢先生が、小ばかにしたような笑みを浮かべた。

「載るわけありませんよ、消えたんですから。もしくは死んだか、殺されたか」

 二人はそのまま黙り込む。なんなの、本当に。

 唐突に、大矢先生は怒りを含ませた視線を寄越した。

「あなたにクラス担任は、まだ荷が重かったようですね。いっそ担任を外れることも考えられては。私に命令権はないが、それが最善に思えて仕方がない」

「……大矢先生」

 林先生がたしなめるけれど、その言い方はあまりにも軽かった。私は焦り、怯えながらも必死で首を振った。

「いえ!まだ頑張ります、勉強します、ですからどうか、私をもっとご指導願いたく!」

 必死で縋りついたのは、恋する人に嫌われたくないなんていう、甘い気持ちではなかった。肌で感じたのだ、このままでは教師としても人としても、この学校で相手にされなくなってしまうと!

「――断らせて頂きたい」

 数秒で多くを呑み込んだ大矢先生の顔は、恐ろしいほど穏やかで、完璧な笑顔だった。私は、自分が否定されたと気づいた。崩れそうだった。


 ふらふらになって職員室に戻ると、全教師の目が私に冷たく突き刺さった。体罰だとか、虐待だとか、ちらほらと単語が耳に入って来る。

 ――あなた達だって、自分のクラスでやっていることでしょう。

 ――バレなければ大丈夫だって、躾に使っている技でしょう。

「やり方がヘタクソだったんじゃないっすか。例の1年副主任も言ってたでしょ、生徒を完全に掌握してから事に及べってね」

 悪魔のように、佐野先生が私の耳に囁いた。私は激しいめまいを覚え、なんとか自席にたどり着くと椅子にへたり込んだ。



 それから、私は学校に行けなくなってしまった。精神科で診察を受けると、鬱状態と軽いパニック症状とのことだった。

 散らかった部屋で何もできないまま、ただベッドに横たわる日々。そんな私をだらしないと責める母、情けないとなじる父。病気だと説明しても聞いてくれない、渡辺が暴れた話をしても、教師ならあって当然と流される。


 家族といるのに孤独過ぎる。

 嫌われていてもいいから、誰かに、会いたい。


 私は、見苦しいクマにコンシーラーを塗りたくった。チークやアイメイクは健康に見えてしまうからあえて避けた。希望があるなら、誰かがきっと声をかけてくれるはず、心配してくれるはず。


 朝日が目から脳まで刺さる中、体を引きずって登校日の学校に向かう。

 どんなに嫌われようと、私の居場所は学校しかない。

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