Happy Holidays

第2話

　俺の気持ちを無視（むし）するように、早くも週末が訪（おとず）れる。

　今日は仕事終わりで部署の忘年会がある。

　昼時間。俺が社食から部署へと戻ると、向かいの席のニカくんは部（ぶ）内（ない）の同僚数人と談笑（だんしょう）していた。

　その中の一人が突然、余（よ）計（けい）なことをしてくれた。

　あのニカくんに向かって、クリスマスの予定を聞きやがった！

　わざわざ言わなくても、ニカくんの答えは決まっているではないか。

　ニカくんの口から直接聞きたくなかった俺は、思わずその会話に割（わ）って入っていた。

「ニカくんのクリスマスは、恋人のものだろ！」

　そう言い放（はな）った自分の声で、俺は瞬（またた）く間もなく我（われ）に返る。

　同僚は案（あん）の定（じょう）、唖（あ）然（ぜん）としている。俺はひとまず、持ち前の可愛さでこの場を乗り切ってみせようと、一人唾（つば）を呑（の）んだ。

　その時、ニカくんが声を混（ま）じえながら静かに笑った。

「そうだね」

　ニカくんのその一言で、俺は酷（ひど）く動揺（どうよう）した。けれどそれを誤魔化（ごまか）すように、俺はニカくんに同（どう）調（ちょう）したフリをする。

「だよね！　ほらな、ニカくんはな、君たちとは違うんだ！」

　俺はファニーフェイス気取りで、そう言いのけてやった。

　午後からの俺の仕事振りは、絶（ぜっ）不調（ふちょう）の極（きわ）みだった。

　先輩には誤字（ごじ）脱（だつ）字（じ）を指（し）摘（てき）されて、部長には数字の桁（けた）が間違っていると言われた。

　こんな初歩（しょほ）的（てき）なミスは新人の時以来。この元（げん）凶（きょう）であるニカくんは、俺の目の前でなんとも涼しい顔をしている（ように俺から見えているだけで、決（けっ）して彼の故意（こい）ではない）。

　＊　＊　＊

　終業後、俺は部署の面々（めんめん）と忘年会が行（おこな）われる店へと来ていた。

　ニカくんは別（べっ）件（けん）で用があるとかなんとかで、遅（おく）れてからの参（さん）加（か）らしい。

　俺はニカくんの言いつけ通り、アルコールは頼（たの）まずに、大人（おとな）しくオレンジジュースにした。

　ニカくんが来るまでは、何も口にしないことだって厭（いと）わない。

　けれどニカくんがいないこの時間、寂（さび）しくて泣（な）いちゃいそう。

　俺の周りの人たちはほろ酔いながら、目前（もくぜん）に迫（せま）ったクリスマスへ心（こころ）浮（う）かれている。

（俺だって、クリスマスに甘いひと時を過（す）ごしたい）

　オレンジジュースを少しずつ飲みながら、俺は彼らを静観（せいかん）していた。

　俺には昔（むかし）からクリスマスへの憧（あこが）れがある。

　恋人か俺の家のどちらかで、食事を一緒（いっしょ）に作ったりリビングで名作映画を一緒に観（み）たり、そしてなんといっても恋人と一緒にツリーを飾（かざ）ること。

　けれど、現実とは苦いもの。

　俺はゲイで、その俺が片想い中のニカくんには『可愛い彼女』がいるのだから。

　今、ちょうど入り口付（ふ）近（きん）にニカくんが登（とう）場（じょう）した。人ごと背（はい）景（けい）が霞（かす）むほど、ニカくんが輝（かがや）いて見えるのは気のせいではない。

　俺はたまらず頬（ほほ）が緩（ゆる）む。けれど早速（さっそく）といってよいほど女性社員が数人、ニカくんへと這（は）い寄っている。

（俺だって、ニカくんと今年の労（ねぎら）いをしたいのに！）

　俺は男の意地（いじ）でなんとか耐（た）えている。

　だって、あんなお子ちゃまたちと一緒にされたくない。

　けれど、ニカくんは一向（いっこう）にこちらに来る気（け）配（はい）がない。

　約束なんてしていないのだから当（とう）然（ぜん）といえば当然だけれど、この一年机（つくえ）を向かわせた仲（なか）ではないか。俺の傍に来てくれたってよいではないか！

　こんなにいじらしい恋（こい）心（ごころ）を抱（いだ）くだなんて、思ってもみなかった。ニカくんに恋をする前の俺なら、鼻で笑っていただろう。

　けれど、俺は今や『恋する乙女（おとめ）』。ニカくん以外に体を許（ゆる）すどころか、キスさえできない。本当に同一（どういつ）人物（じんぶつ）なのかと自分でも疑（うたが）いたくなるほど、俺のこの恋心は正（しょう）真（しん）正（しょう）銘（めい）の純（じゅん）真（しん）無垢（むく）。

　俺の視線の先のニカくんは、女性に囲（かこ）まれて杯（はい）まで交（か）わしている。

　その中の一人が、見るからにあざとくふらついて、ニカくんの逞（たくま）しい腕を掴（つか）んだ。俺はその一瞬で、胸が焼けるように痛む。

　視界に入る距離とはいえ、こんなに遠いところで一人で気を揉（も）んでいたって、いくら可愛い俺だって、ニカくんには気づいてもらえない。

　それは俺が男だから。しかも俺はゲイ。

　俺は、ニカくんには想像（そうぞう）もできない『未知（みち）なる生物（せいぶつ）』なのだから。

　一人で考（かんが）えすぎて、疲（つか）れた。

　俺はニカくんと彼にぶら下（さ）がった女性社員を横目に、一人、反対側にもある出入り口へと向かった。

（あとで帰ったことを、連絡（れんらく）しよう）　

　濃紺色（のうこんしょく）のウールのコートに手に通して、俺は店の外へ出た。冬の寒（さむ）さがいつも以上に骨（ほね）身（み）に応（こた）える。

　その時、俺の左腕が何かに強く引っかかる。その反動（はんどう）で体が反転（はんてん）した俺の目の前に、なんとニカくんがいた。

　ニカくんは俺の左腕を掴んで、さらには眉（み）間（けん）に皺（しわ）を寄せている。

　突然のことに俺が言葉に詰（つ）まっていると、ニカくんは俺の腕を掴んだまま歩き始める。

　ニカくんは何も話さずに歩いていく。時々、俺が彼の背中に向かって「ニカくん」や「俺、お酒飲んでないよ」と言っても、ニカくんは答えない。そのうち、俺の声をうるさいと思ったのか、ニカくんは突然タクシーを止めて俺をそこへと押し込み、蓋（ふた）をするかのようにして自分も乗り込んだ。

　＊　＊　＊

　タクシーが止まった先は、ニカくんのマンションの前だった。

　先に車から降（お）りたニカくんは、開いた扉の前で片手を差し出す。

『早く降りろ』という意味なのかと、俺がその手を握ると、ニカくんは俺を引き寄せた。

　玄関（げんかん）前（まえ）に着いた頃、俺は「俺がニカくんの発令した『飲酒禁止令』を破（やぶ）った」と彼が勘違（かんちが）いをして怒（おこ）っていると確信（かくしん）した。

　それでなければ、いつも優しいニカくんがこんなに恐（おそ）ろしく見えるはずがない。そうでなければ、今もニカくんが俺の腕を掴んでいるはずがない。

　そう考えている間に、ニカくんが玄関の鍵（かぎ）を開けてドアノブに手を掛けた。

「泊（と）まっていきなよ」

　俺は思わず、己（おのれ）の耳を疑った。同時に、ニカくんは俺が先週のように酔っていると思い込んでいると悟る。

「ニカくん、俺、今日は……」

　オレンジジュースしか飲んでない、と続きを言おうとした時、ニカくんは俺ごと部屋の中へ押し入った。

　リビングの明（あ）かりが点（つ）いた時、ニカくんは俯（うつむ）いていた。

「バスルーム、使（つか）っていいから」

　ニカくんはそう言ったあと、俺の腕から離（はな）れてキッチンへと歩いていった。

　俺はニカくんに言われたままシャワーを浴（あ）びた。バスルームに用意されていた見るからに滑（なめ）らかな生地（きじ）のパジャマを借（か）り着てリビングへと戻ると、入れ違いでニカくんが出ていった。

　俺はリビングのソファーに座（すわ）って、冷静（れいせい）にこの状況を整（せい）理（り）してみようとした。

（…………。いやいやいや。おかしいよね？　なんで俺、素（す）直（なお）にシャワー浴びてんの？　俺、今日泊まるの？　えっ、なんで？　っていうか、俺、何してんの？）

　結局（けっきょく）理解し得なかったので、俺はそのままソファーで項垂（うなだ）れた。

（飲んだの、オレンジジュースだけなのに……）

　自然と溜（た）め息（いき）が零れる。

　その時、リビングに戻ってきたニカくんがそのままキッチンへと向かった。

　俺は体を起（お）こして、ニカくんに視線を走（はし）らせる。

　濡（ぬ）れた髪にラフな服。誰から見ても一（ひと）目（め）でシャワーを浴びたあとだと分かる。

　ニカくんがこちらにやってくる。その手には中（なか）身（み）が注（そそ）がれたフルートグラスが二つ。その一つを俺に差し出したあと、ニカくんは俺の隣（となり）に腰（こし）を下（お）ろした。

「……ええっと、ニカくん？」

　たまらず俺が話しかけると、ニカくんは持っているグラスを俺へと傾（かたむ）ける。

「乾杯（かんぱい）しよ」

　俺の思う斜（なな）め上の答えが返ってきた。けれど、ニカくんはどこ吹（ふ）く風とばかりに俺のグラスにグラスを重ねる。

　ニカくんの家に、ニカくんと二人。

　シャワーを浴びて、乾杯。

　……何、この状況。

　まるで恋人のような？　いや、もしかして俺は口説（くど）かれているのか？　

　……そんな訳はない。ニカくんには、あの可愛い彼女がいる。

（ニカくんの彼女なら、今みたいにニカくんを独り占めできるんだ……。っていうか、今、俺、ニカくんを独り占めしてる？）

「ニカくん、好き」

（……ん？　俺、今……、えっ？　ええっ？）

　俺の意（い）に反（はん）して、いや、完全（かんぜん）なる無意識（むいしき）で、俺はこともあろうに一番言ってはいけない言葉を零していた。

　なんともユルい口なのか……。

　明日からのことを思うと正（しょう）直（じき）気に病（や）むけれど、今年のうちに失恋して心の中を綺麗にしておくのも案外（あんがい）よかったのかもしれない。

　俺は後（あと）づけ理由に納得（なっとく）しようと、傍のテーブルの上に持っていたグラスを置いた。

　すると矢継（やつ）ぎ早（ばや）に、ニカくんから返事が来た。

「知ってる」