6 勝利のあと

 宝田の腕が沙綺羅の襟に伸びた。

 ちゃんと組めさえすれば俺の方が強い――と宝田は思っている。ただ沙綺羅のさばきがうまく、しかも関節の可動域が広い。まるで体操選手のような体の柔らかさで手首の関節を狙ってくるので、簡単に有利な組手くみてにはならない。

 数秒間攻防を続け、しびれを切らした宝田はふっと短く息を吐き、突然目潰しを放った。

 綺麗な柔道に意味はない。負ければ舐められる。なりふり構わず勝つのが宝田の身上だ。

 沙綺羅はスウェーバックでかわした。その意識が上に向いた隙に宝田は足首を掴んで跳ね上げる。沙綺羅が体勢を崩して倒れる。

「あっ」

 明畠あけはたは息をんだ。寝技に持ち込めば恐らく柔道の方が強い。乱闘ならともかく、一対一ではかなり危険だ。

 男女の体格差に加え、ウェイトもある。宝田はニヤリと笑った。締め落としてやる。

 沙綺羅の起き上がりに宝田は背後に回った。同時に両腕を沙綺羅の首に回す。

 締めが決まる刹那、沙綺羅は宝田の肘を強く引いてわずかなスペースから頭を抜いた。

「……やるなあ」

「多少の荒事あらごとも仕事のうちなので」

 改めて対峙する。

 宝田が仕掛けた。さらに低い姿勢でタックルをかます。あくまで力押しだ。沙綺羅は突っ込んでくる敵の横に逃げながら首の後ろを押さえ、勢いを利用して潰しにかかる。

 それを嫌った宝田が横に回転して逃げようとした。だが沙綺羅はつかんだ手首を離さない。

 今度は起き上がる力を利用してすかさず中に入り込み、手首を極めつつ逆にしゃがみこんでふわりと投げを打った。

 宝田が宙を舞った。

 受け身の取れない落ち方で背中を強打する。しばらくは起き上がれないだろう。

 いわば一本背負いに似た形だ。柔道家にとっては皮肉だろう。


「ふう」

 と沙綺羅が大きく息をした。

「すごい、沙綺羅さん」



「まったく、役に立たないね」

 あのお婆さん――似合わぬ機敏さでミチルを捕まえて首筋にナイフを当てる。目を覚ました飯島にミチルとナイフを預け、沙綺羅に言い放った。

「動くんじゃない。面倒だなと思ってたけれど、それ以上に危険だわ、あんた」

「それはどうも。なんて思わなかった」

「無力化させてもらう。少し眠ってな」

「注射を私に打つの? 意識を失わせる薬を? 

「選択権はないんだよ。じっとしてな。心配しなくてもあたしは元看護士だ。あんたが抵抗さえしなきゃあ、ちゃんと打ってやるさ」

 沙綺羅の白い腕に注射針が刺さる。

 針が抜けたとき、沙綺羅は不意に大声で言った。

「明畠さん、それにみんな、今すぐここから走って逃げて。

「……なに訳の分からないこと言ってんだ」

「本当。信じて――いますぐ!」

 あの黒猫が明畠をひっかいた。その瞬間明畠は脱兎のごとくバスから飛び出した。沙綺羅の言葉を信じるなら、トンネル内に非常口があるはずだ。


「……なんだあいつ、自分だけ逃げやがった。ひでえ奴だ」

「何だこの女、

 いつの間に手袋が外れたのだろう。沙綺羅の両手は手首を境に、まるで墨汁に浸したように黒かった。しかし爪やしわや産毛に至るまで普通の手と変わらない。それなのに色だけが抜け落ちたように、視線が吸い込まれるように黒い。

 沙綺羅の身体が倒れた。


「そういや、<黒手の巫女>って言ってたな、あいつ」

「そんなことはどうでもいいからそいつらを連れて行くんだよ。宝田、その女は任せるからね。いたぶって遊ぶんじゃないよ」

「姉御、意識のないやつになんか手ェ出しませんよ」



 彼らはまだ知らない。

 これから何が起こるかを。



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