第三章 人か兵器か Ⅱ

 愁思郎は一人帰り道を歩きながら、ぼんやりと美穂との会話を反芻はんすうする。


(元から知っている人が、同じだって言うなら――か)


 愁思郎は思う。

 自分は兵器であるか、人間であるか。


 美穂の理論にしたがうならば、愁思郎を以前から知っていて、今の愁思郎を見ても、変わらず上月愁思郎であると認めてくれる者がいれば、愁思郎は以前と同じ。

すなわち人間であると言える――そしてそれは不可能だ。


 愁思郎がサイボーグになる前を、よく知る人間はいない。

 家族は事故で全員いなくなった。


 愁思郎の両親は、生家と折り合いが悪かったらしく、親しい親類はいない──天涯孤独てんがいこどくの身なのだ。


 愁思郎は人間であると言い張るには、一体どうしたら良いのだろう。

 以前読んだ哲学の本には、人は自らの意志で自らを定義できる存在であるという。


 ならば愁思郎が自分は人間だと定義すればいいだけになる。

 だがそれが出来ない。


 愁思郎は自らを人間だと定義するには、理由が必要だった。何の根拠もなく自分は人間だと言い張ることができないのだ。


 例えば梓はどうだろう。彼女は自らを進んで兵器であると定義している。だから、彼女は迷わない。己の有り様、置かれた状況について悩んだりしない。


 その姿はとても強くて、美しい。

 うらやましいとさえ思う。


(なんで俺は梓みたいに、割り切って考えることが出来ないんだろう)


 自己嫌悪にも似た感覚が去来きょらいした。




 仕事の要請ようせいがない時は、基本的に夕食も三人で食べる。


 夕食をつくるのも基本的に愁思郎だ。涼子は忙しく梓は料理が得意ではない──となると炊事は愁思郎が行う事になる。


 特に取決めがあったわけではないが、消去法で自然とそうなっていたのだ。

 冷蔵庫から食材を取り出し、キッチンに広げる。


 今日のメニューは鮭のホイル焼きだ。鮭の切り身とキノコ、バターや香辛料などをアルミホイルで包み、フライパンで焼く。


 それと同時並行で味噌汁をつくる。かつお節で出汁をとり、刻んだネギと豆腐、わかめを投入する。

 黙々と調理を進める愁思郎を、リビングでくつろぎながら梓と涼子は見ていた。。


「あれは長引いてるわね」

「そうね」


 涼子は心配そうに視線を送り、梓はうなずいた。

 一見すると愁思郎の動作はいつも通り、淀みなく夕食を作っているように見える。


 しかしよく見ると、一つ一つの動作に間があってぎこちない。

 何か考え事をしながら料理をつくっているのだ。


「朝も言ってたけど、ずっとつまんないこと考えてるみたいね」


 梓はやれやれと肩をすくめた。


「正直、自分が兵器か人間かなんてつまんない事で悩むのか、私には理解できないわね」

「つまらない事じゃないわよ」

「そう? 私は悩むようなことじゃないって思うけど」

「少なくとも愁思郎にとっては、大事なことなのよ」

「でも――」

「人の悩みが理解できないことは、珍しいことじゃないわ。失恋したり、就職に失敗したり、お金がなかったり、いじめられたり――それを大した事じゃないって思う人間もいれば、それで自ら命を断つ人間もいるわ」

「……それは」


 口ごもる梓に、涼子は優しい──慈愛じあいに満ちた母のような顔で微笑ほほえむ。


「ま、何が大切かは人それぞれってことね」

「分かってるわよ」


 梓は不貞腐ふてくされたように口を尖らせ、横目で愁思郎を──同僚で同居人で同級生で、放って置けない少年を見やる。


「それでも思うのよ。自分のことを兵器だって思えたほうが、苦しまなくて済むのにって。何であんなに不器用に、苦しい方へ行こうとするのかなって」


 梓の声がいつもと違った。愁思郎の前では絶対に見せない優しい声色こわいろをしている。

 本気で愁思郎をいたわる気持ちがこもっている。


「う〜ん、梓ったら可愛い!」

「ちょっ⁉」


 急に涼子が梓に抱きついた。


「愁思郎をけなしているように見せて、その実ずっと愁思郎を気にかけてるんだから。いじらしいったらないわね〜」

「なななな、何言ってるのよ! ていうか、事あるごとに抱きつかないで!」

「えー、スキンシップは大事なのよ。子供の成長には」

「子供あつかいしないでよ!」


 梓は頬を赤らめたまま、なおも引っ付こうとする涼子を必死に引き剥がした。名残惜しそうに離れた涼子を、梓はジトっとした目でにらむ。


「……今の話、愁思郎にはしないでよ」

「もっと素直になった方が、いいと思うんだけどなぁ」

「いいの! 今のままで‼」


 梓はピシャリと言い放つ。


「そ、それに勘違いしないでよ。別にあいつのことが心配とか、そういうんじゃないから。ただいつまでもウジウジしてるのが、気に食わないだけで」

「本当に素直じゃないわね」

「うっさいわね!」


 涼子と梓が言い合っていると、調理を終えた愁思郎が皿を運んでくる。


「なんだか騒がしいですね。何かあったんですか?」

「ああ、愁思郎。梓が――」

「だから言わないでって言ってるでしょうが!」


 梓に後ろから口を塞がれ、涼子がモガモガと暴れている。じゃれ合っている姉妹にしか見えなかった。


「ん? まあ、何があったのかは知らないけど、ご飯できたから」


 愁思郎がダイニングテーブルに皿を並べる。

 鮭とバターの香りが、湯気とともに立ち昇って鼻孔をくすぐった。


 鮭のピンクとキノコの茶色、そして乗せられた香草の緑のコントラストが美しい──出来上がった鮭のホイル焼きは、見るからに美味しそうだった。


 お椀の味噌汁と茶碗に盛られた炊きたてのご飯も食欲をそそる。

 愁思郎が席につくと全員で手を合わせた。


「「「いただきます」」」


 それぞれが思い思いにご飯を頬張ほおばる。

 美味い──鮭の旨味を噛みしめながら、愁思郎は思わず口角が上がった。


 ちなみに愁思郎は問題なく料理を食べることができる。人工臓器と消化器官のお陰だ。食べたものをシッカリと消化・吸収し、栄養を限られた生身の肉体──脳へと送る仕組みとなっている。


 その意味で、愁思郎は人間らしい生活を送れていることになる。

 これは愁思郎の身体を機械化する段階から決まっていたことらしい。


 技術的には食事などという非効率な方法を取らず、栄養をそのまま肉体へと注入することも可能だという。


 だがそれを行うと、愁思郎の精神に異変をきたす可能性もあったのだとか──人はあまりにも生活様式を変革してしまうと、精神に異常をきたしてしまうものなのだ。


 もしそうなっていた時の事を考えると恐ろしい。

 愁思郎は今以上に、自分が人間らしくない事に悩んでいたかもしれない。


 それとも悩むことなく己をただの機械として受け入れ、虚ろな気持ちを抱えたまま、兵器として生きていただろうか。


「美味しいわねー」


 涼子が頬を押さえて舌鼓したづつみを打つ。


「愁思郎、また腕を上げたんじゃない」

「そうですかね」

「うんうん、すごく美味しいわ。最近ちょっと疲れてるから、美味しい手料理が食べられてありがたいわね」

「疲れてるっていうのは、気付いていましたけど……何かあったんですか?」

「残業が多いなって、私もちょっと気になってたけど、どうなの涼子」


 梓も涼子に尋ねる。最近の梓と愁思郎の出動回数は、少しずつ増えている気がする。

 二人が相手取るサイボーグも、手強い者が多い印象だ。


「そうね……一応機密情報だけど、二人には無関係じゃないし話してもいいでしょう。ここから先の話は他言無用ね」


 また一口鮭をつまんでから、涼子はやや声のトーンを落とした。


「ここのところ、とあるテロ組織に対する対策を本部と練っていてね」

「テロ組織ですか」

「うん通称『義体ぎたいあかつき』っていうんだけど」

「それは穏やかじゃありませんね」


 テロ組織――危険度は先日の麻薬組織の比ではないだろう。

 しかも通称から察するに、


「サイボーグのテロリスト集団なんですね?」

「正解」


 涼子がくたびれた顔で首肯しゅこうする。


「なんでもサイボーグの開放をうたっているとかなんとか……その為の思想と、計画をバラまいているのよ。厄介なことにね」

「どういうこと?」


 梓が首をひねった。


「テロリストって、文字通りテロ行為――何らかの思想を世間や社会に訴える為に、破壊行為や暴力行為を行う者――なんだけど、『義体の暁』が普通のテロリストたちとは違うのは、それらを自分たちで実行に移すだけじゃないってことなの」

「思想と計画……ですか」

「そう。不満を抱えているサイボーグを唆して、さらには綿密に練られた計画まで用意して、昨日まで普通のサイボーグを、恐ろしいテロリストに変えてしまうのよ」


(なるほどな)


 政府により規制されたとは言え、この国にはまだまだサイボーグが多い。

 裏では高出力であったり、武器を仕込まれた非合法義肢が高値で出回っているし、それらを扱う闇医者も多いと聞く。


 こんな組織が野放しになっていたら、大変なことになるだろう。


「最近起きたいくつかの事件にも関与していた可能性があるわ」

「そうだったんですか?」


 愁思郎は驚くが、梓は動じた様子を見せなかった。


「梓は何となく気付いてたみたいね」


 ちょっと違和感があるなぁ程度だけどね――と梓は頷く。


「この前繁華街で戦った時、変だなって思ったのよ。ちょっと前まで普通にサラリーマンしてた男が、腕に火炎放射器仕込んでるなんておかしいって──でもバックにテロ組織が関わっていたのなら納得だわ」


 どうしてもテロ組織というと、遠い世界のことのように思える。しかしその脅威きょういはすぐ身近なところまで迫ってきていたのだ。


「おかげで組織と実行犯の関係の洗い出し、接触せっしょく思想的伝搬速度しそうてきでんぱんそくどの割り出し、今後の危険予測とその対策、その他諸々もろもろ……やる事が多くてホントに大変よ」

「お疲れ様です」

「ありがとう……」


 愁思郎の労いの言葉に、涼子は力なく笑う。


「今後テロ組織の壊滅かいめつ摘発てきはつのために動くことになるかもしれないわ。二人とも心しておいてね」

「言われなくても」


 彼女としては嬉しいのだろう、梓が力強く答えた。

 テロ組織の壊滅。


 その為に動くということは、活躍の場が増えるということ。兵器として役に立ち、存在価値を証明する――それが梓の価値観だ。


 ならば危険な任務も望むところだろう。

 だが、


「……了解です」


 愁思郎の答えは対象的に弱々しい。


 ――怖かった。

 そのテロ組織の思想を耳にしてしまえば、自分もテロ行為に身を投じてしまうのではないか? 

 その思いが拭えない。


 サイボーグの差別さべつ偏見へんけん抑圧よくあつ。そういうものに対する不満や反発は、愁思郎も抱えているものだから。


 いや愁思郎だけではなく、この国のサイボーグはみな多かれ少なかれ、不満や反発心を持っているだろう。

 このサイボーグを取り巻く環境は過酷だ。


 義足を付けた少年が、同い年と思われる少年たちにいじめられるのを愁思郎は見たことがある。


 かつて衆目を集めていた有名人が、サイバネティクスを受けていたと知られるやバッシングを受け、自殺してしまった例もある。

  そういった事が起きてしまう社会が正しいとは思えない。


 すっかり黙り込んでしまった愁思郎を、心配そうな目で見る涼子と梓。

 その時、わずかに伝わる振動──愁思郎の携帯だ。


「すいません」


 愁思郎はことわりを入れて、ポケットから携帯を取り出す。画面を確認するとメールが届いていた。

 送り主は――美穂だった。


(何だ?)


 メールの内容を確認する愁思郎。


「何だったの?」


 聞いてくる梓に、愁思郎はつとめて普通の口調で言った。


「……佐久間さんからテーマパークに誘われた」

「――はぁっ⁉」

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