第三章 人か兵器か Ⅰ

 繫華街はんかがいでの事件から数日後。

 愁思郎しゅうしろうはいつものように授業が終わると、その足で図書室へ向かった。定位置となった一番端の席に陣取り、本を開く。


 本を読むのが好きだ。

 それは本を読むのが人間らしい行いだと愁思郎が思っているからだ。


 機械の身体にも各種センサーが内蔵されており、触覚や痛覚のなどの感覚は感じられるようになっている。


 身体に搭載されたマイクロコンピュータが、身体に起きている出来事を電気信号に変換し、それを愁思郎の脊髄せきずいに通す。

 

 それらが脳に伝わって、愁思郎は身体の状態やものに触れている感覚を感じ取ることが出来る。

 

 だが、それらは機械で再現された感覚だ。

 機械を通さず、自分の目で見て、脳が直接喜びや楽しみを感じる──それには文字を目で追うしかない。


 本を読んでいる一時だけは、自分が普通の人間と変わりがないと思えるのだ。


「……ん」


 しかし今日はなんだか、読書に集中できず内容が頭に入ってこない。


 自分が兵器なのか、人間なのかという問い。

 それが頭から離れないのだ。


 愁思郎はそれまで読んでいた小説を閉じて書架へ戻り、別の本を探すことにした。  

 ジャンルは人類学、哲学、それに類する本。


 何冊か抜き出して、席へ戻って読む。

 自分で出した答えでなくてもいいから、この悩みに終止符を打つ答えがほしい。

 

 すがるような気持ちで、黙々と開いた本を読み進める。


(――ダメだ)


 内容が難しすぎて、愁思郎の理解がついていかない。眼は字を認識にんしきしてはいるのだが、それが脳の表層ひょうそうを流れていくだけ。


(どうするかな)


 愁思郎が思案しあんしていると、


「今日はまた難しそうな本を読んでるね」 


 美穂の声がかかった。本に夢中になっている間に来たのだろう、愁思郎が顔を上げると美穂はカウンターの席に学生鞄がくせいかばんを置いていた。


 鞄をカウンター内に置くと、美穂は愁思郎に近付く。


「よく読めるね。私ならすぐに挫折ざせつしちゃいそう」

「……読んだって言うより、目を通したって言う方が正しいけどね」

「どう違うの?」

「意味や内容を理解してないと、読んだことにはならないよ。俺がやったのは、字を目で追っただけ」

難解なんかいな本を何冊も目を通すだけでも、凄いと思うけど」


 美穂は探るような視線を愁思郎に送る。


「何か悩み事?」

「……何でそう思うの?」

「だって――」


 美穂は愁思郎が読み終えた本を手に取る。


「『人類学・サルとヒトの差』とか『人間の定義』だとか、哲学書っていうのかな。そんなのばっかり読んでいるんだもの、そりゃ何か悩みでもあるのかなって思うじゃない」

「そう?」

「それに何かいつもより表情が暗いし」

「……そうかな?」


 愁思郎は窓ガラスに薄っすらと映った自分の顔を見る。

 いつも通りの無愛想な顔だ。


「上月くんは自覚ないかもしれないけど、私から見ればすぐに分かるくらい、いつもと違うよ」

「全然そんなつもりはないんだけどな」

「上月くんは、いつもは無表情でも、何となく穏やかな感じがするの。なのに今日はズーンって沈んだ感じがする」


 そうなのか──自分では全くは気付かなかった。

 愁思郎は思わず舌を巻く。


「よく分かるね」

「いつも見てるからね――」


 と答えてから、


「――ッ‼」


 美穂は息を呑んだ。


「?」


 愁思郎が首をかしげて美穂を見やると、何故か美穂は愁思郎から視線をらして床を見ていた。


 わずかに頬が赤らんでいるようにも見える。

 さっきの発言に、何か変なところがあっただろうか。

 

 美穂と愁思郎はほぼ毎日のように、図書室で顔を合わせている。彼女が愁思郎をいつも見ていると言っても、何もおかしなところはないと思うのだが。


「しかし女の人の観察力って、凄いものなんだな。女の勘っていうのかな?」

「う〜ん、どうだろうね?」

「実はちょっと前にも悩み事があるんじゃないかって言われたんだ」


 感心しつつ愁思郎はポロリと言う。 


「それで梓にかつを入れられて――」

「…………」 


 一瞬、空気が凍ったような気がした。

 美穂は無言で愁思郎に向き合う。何やら神妙な顔をしていて、妙な圧力を愁思郎は感じ取った。


(なんだ? 俺はまた何か余計な事でも言ったのか……?)


「ねえ上月こうづきくん」

「何?」

「南条さんとは――付き合ってるの?」

「――は?」


 話題が激しく飛躍ひやくした。

 あまりのギャップに判断が追いつかず、愁思郎はポカンと口を開けるばかりである。


「何で梓が話題に出てくるんだ?」

「だって何かと一緒にいるし、何かにつけて話題に出すし、名字じゃなくて名前呼びだし」

「……そうだね」

「それに喝入れられたって」

「ああ……朝食を食べている時に――」

「――朝食⁉」


(しまった!)


 マズいと思ったときにはもう遅い。鬼気迫る顔で美穂はまくし立てる。


「朝食って……上月くんは南条さんと朝ごはん一緒に食べてるの⁉ それってまさか――同棲どうせい⁉」

「同棲って言うか……まぁ、たしかに同じ家に住んでるけど」

「それを同棲って言うんでしょ!」

「あ〜待ってくれ、何か凄い勢いで誤解されているような気がする」

「何なの上月くん! 南条さんとただれた関係だったの⁉」

「頼むから話を聞いてくれ!」


 先日のカフェで言った「図書室じゃ静かにしなきゃ」とは何だったのか。

 図書室にあるまじき大声をだす美穂を、愁思郎は必死になだめようとするがそれがことごとく裏目に出る。


 事ここに至っては仕方ない──愁思郎は梓との表向きの設定を話すことにした。

 愁思郎と梓は身寄りをなくしており、現在は公的な機関の援助を受けて暮らしている。


 愁思郎と梓を監督する保護官が同一で、現在、保護官と愁思郎と梓の三人で一つの家――マンションの一室で生活をしている、と。


「そんな訳で、梓と俺はたしかに同じ家で暮らしているけど、佐久間さんが思うような関係じゃないよ」

「……そうだったんだ」


 美穂は複雑そうな表情をしている。


「クラスの連中に知られると面倒だから、進んで話したりはしてこなかったんだけど」

「分かった。私も誰かに言ったりしないから」

「ありがとう」


 自身の早とちりを恥ずかしがってか、美穂は頬をかく。


「でもそうか、そうだったんだ」

「それは何に対する納得なのかな」

「正直気になってたの。南条さんとあんまり仲良くないみたいなこと言ってるけど、妙に気安い感じがしたから。てっきり幼馴染とかそういうのかと思ってた」

「高校生で男女の幼馴染って、またベタな」

「いいでしょ。私だって乙女なんだから」


 美穂は頬を膨らませてから笑った。つられて愁思郎も頬が緩む。

 不思議だ。


 美穂といると愁思郎はいつもより笑うことが多くなるような気がする。


「それで? 南条さんに喝入れられたって、何があったの?」

「ああ……ちょっと話しづらい事なんだ……」


 そうだ。

 話題の飛躍に驚いていたが、元はと言えばその話をしていたのだ。

 

 しかし自分が兵器なのか人間なのか悩んでいる――とバカ正直に言うわけにもいかない。

 何より怖いのだ。愁思郎がサイボーグであると知ったとき、美穂がどんな反応を取るのかが。


 受け入れてくれればいい。

 だが、もし拒絶されたら――考えるだけで恐ろしかった。


 しかし美穂ならどう思うのか興味もあった。

 直接的な話ではなく、何か別の物に例えて相談してみてもいいかもしれない。


(どう話したものか……)


 愁思郎は顎をつまみ、考えをまとめながらゆっくりと口を開く。


「これは……ただの興味。佐久間さんならどう考えるか、気になるから聞くんだけど」

「何?」

「この前読んだ哲学書にある命題なんだけどさ」


 ここに船――仮に『A』と名付ける――があったとする。

 『A』が壊れる度に、持ち主は壊れたパーツを交換して修理していった。


 繰り返し修理を行った結果、ついには元あったパーツは無い。全て新しく交換したパーツのみで、構成された船。

 

 さて――この船は『A』であるといえるだろうか?

 一般にテセウスの船と呼ばれる命題だ。


「佐久間さんはどう思う?」

「うーん、難しい質問だね」


 頬に手を当てて考える美穂。


「たしかに船を構成する要素、パーツに注目すると同じ船とは言えないね」

「じゃあ佐久間さんは、違う船だって思う?」

「ううん」


 美穂は首を振った。


「持ち主とかその船を元から知っている人が、同じ船だって言うのなら、それは同じ船だと思うよ」

「……なるほどね」


 船そのものではなく、船を観測かんそく認識にんしきする他者のほうに焦点しょうてんを合わせた考え方だ。


「とりあえず私が言えるのはこんなことかな」

「ありがとう。面白かったよ」

「それは変っていう意味?」

「興味深いって意味さ」


 愁思郎は立ち上がると、


「ごめん。今日は早めに帰るよ」


 そう言って愁思郎は図書室を出ていった。


「あ……」


 美穂は愁思郎の背中に何かを言いかけて、言えずに黙り込んだ。

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