3-16

 黒いおさげの少女が一人立っていた。背丈は綾子とほとんど同じくらいだろうか。丸メガネをかけており、一昔前の津江中学校の制服である濃い紺色のブレザーを身につけていた。なぜか、スカートはぐっしょり濡れていた。


『やっと会えたわね』


 彼女は三人を見て第一声にそう言った。とても含みのある言い方、全てを知っているかのような言い方だった。


「君が、トイレのクミ子さんか?」


 ラムジーがおずおずと尋ねる。


『そうよ。どう? 思ったより美人でしょ』


 クミ子さんは笑みを浮かべると両腕を伸ばして自分の体を左右に振って見せた。確かに、丸メガネを外せばクラスに一人か二人はいるほどの美人かもしれない。なら、なんで彼女が亡霊に?


『私を呼んだのには訳があるんでしょ? この一連の出来事の真相を知るために』


 一時の沈黙が支配すると、彼女は唐突にそう切り出した。なんで分かったのか、とも思ったが、「プリマヴェーラ」が思考を読んでいるのだから彼女だって読めてもおかしくないと思った。それは先程の全てを手中に納めているような言い方からも容易に想像することができた。


「せや、『プリマヴェーラ』が答えてくれたんやけど、とても断片的で……」

『そうよね、彼女たちに真面目な日常会話なんて十秒と持たないもの。頭にあるのはセックスとセックスとセックスだけ。なぜか知ってる?』


 彼女の問いに三人は首を横に振った。クミ子さんは微笑すると『そうね、この際だから全部話してしまいましょう』と言って三人をトイレから出るようクルリと一回転しながらスペースを開けた。三人が恐る恐る個室から出ると、彼女はミュージカルの演者のように身振り手振りを加えて話し出した。


『昔、Dという一人の日本人画家がいた。彼は絵の専門学校に通っていて、その学校では週に一度、有名な絵を模写する授業があったの。もちろん、上手い絵から技を盗むために必要な授業だわ。

 彼らは一月ひとつきペースでホッゴの「あじさい」やモーネの「蓮の池」を模写していった。そして、その授業にあの「プリマヴェーラ」が出てきたの。


 Dは一目惚れでその絵に恋をしてしまった。そして、一時も休まずにその絵を模写し続けたわ。乳房の形から、足元の花一輪に至るまで。同時に彼は絵を描きながら自分の■■を擦った。擦ると感情が盛り上がり、より良いプリマヴェーラを描けたからだそうよ。

彼は何度も何度も■■■を自室に撒き散らしてその絵を完成させた。絵は本物と瓜二つ、いえ、下手したらオリジナルよりも素晴らしいできだったんだけど、作者であるD自身が絵が完成した直後に心不全で亡くなってしまったの。


 そのため、「プリマヴェーラ」は呪われた絵として長らく買い手がつかなかった。そして月日が経ち、その絵に価値を見出した一人の男が絵を購入した。男はこの中学の美術の先生で、自分の特権を使って絵を美術室に飾ったわ』


「それが、久間木先生」


 元紀が相槌をうつ。クミ子さんは笑みを浮かべた。


『そう。やがて、この絵の噂が広まると、絵はDの思いを汲むように自らを性の道具として顕現するようになった。これが今の「プリマヴェーラ」よ。美術の先生が言うように、あの絵に触れた者は文字通り絵の中に吸い込まれてしまうの。そして、性欲に身を任せたまま二度と帰って来れなくなり、やがて皆んなから忘れられる。

 これが彼らの能力。わかった? あなた達、彼女がいなかったら今頃あの絵の住人になっていたところなのよ』


 クミ子さんの言葉に二人の少年はゾッと背筋が凍る思いがした。二度と戻れないことは愚か、みんなが自分の存在を忘れるなんて、考えただけでも恐ろしい。二人は綾子のことを見た。彼女は感謝してよね、とでも言わんばかりに笑みを返す。


 三人の一連のやりとりを見ていたクミ子さんは、話題を切り替えるように手を打った。


『さて、「プリマヴェーラ」が言ってたことの詳しい話よね。まず、七つ目の噂について。それは「津江中学校の七不思議」そのものが七つ目の噂なの。ふふふ、まだ訳が分からないって顔をしてるわね。いいわ、もう少し具体的に話してあげる。


 津江中学校にある「七不思議」。技術室のピエロ、理科室の科学者、図書室の金次郎像、美術室のプリマヴェーラ、体育館の音楽フェス、そして私、これら全てを見ると願いが叶う。これが七つ目の噂なのよ』

「け、けれども、それは『七不思議』全体の噂であって、ワシは七つの噂全てを見たら願いが叶うって聞いたで」


 すかさずラムジーが突っ込んだ。


『それは、あなたの耳に届くまでに噂が改変させられたのよ。ほら、伝言ゲームと一緒。六つの噂を目撃したら願いが叶うっていう「七不思議」の七つ目の噂。それがどこかの誰かには理解できなかったのね。

 だから、自分が伝える番の時に、ありもしない七つ目の噂をでっち上げて、それを真としたのよ。そこから噂が現実と乖離して伝えられるようになった。

 ほら、ネットと一緒よ。ネットに出回ってる情報って、いくらか事実とずれているものでしょ。受け取る人によって真実は変わってしまうものなの』


 なるほど、とラムジーは納得しきれない顔で納得の言葉を口にした。元紀は頭では理解できたつもりだったが、いざそれを言葉にしようとすると上手くできなかった。七と六と時たま五が複雑に混ざり合い、話の軸がブレてしまう。


「てことは、何でも願いが叶うって話は本当なの?」


 ふと綾子が核心をつくように尋ねた。その質問に二人の少年もハッとする。クミ子さんは待ってました、と言いたげに満面の笑みを浮かべると、


『そりゃもちろん、誰かが願い事を叶えたんだから、噂になったのよ。必ず、百パーセント、世界を滅ぼしてくれ、とか、彼女がいる男性と付き合いたい、など、どんな願いでも叶うわ』


 一同の鼓動がドクンと揃うのがわかった。であれば、であるならば! 今まで死んでしまった稗島と悠里の二人を生き返ることだってできるかもしれない。

 なるほど。元紀は「プリマヴェーラ」が言っていた三つ目のことに得心した。第七の噂であれば再び二人に出会える、という意味はそういうことだったんだ。

 彼の表情を見てクミ子さんは笑みを浮かべた。彼女は思ってたよりもよく笑う子だ。もしかしたら、生前はとても明るい子だったのかもしれない。


『どうやら、三つ目の話の説明はいらないみたいね』と添えると、続きを語り出した。


『じゃあ、二つ目の話。私たちは人を殺すことができるのか? その質問の答えは「怪異によって異なる」よ。怪異によって性質も特徴も全然違う。だから、一概にはなんとも言えないわ。

 けど、まず大前提として「七不思議」以外の怪異は人を殺すことはできない。人を恐怖させて自ら命を絶たせることは出来るかもしれないけど、そんな高等テクニックを彼らは身につけていない。

 となると、残るは「七不思議わたしたち」だけ。けど、確実に人を殺せない怪異が二つ存在するわ。それは、体育館の音楽フェスと技術室のピエロよ』

 

 クミ子さんの言葉に三人は眉を顰めた。


『まず、音楽フェスは元来この校舎を彷徨っていた魂の集合体。それが集まって騒いでるだけだからこの世界に干渉する力はほぼゼロと言っても過言ではない。

 そんな彼らが「七不思議」に選ばれたのは、ひとえに噂の斬新さが語られる要因になったからよ。視聴覚室でも聞いた通り、噂をする頻度が多ければ多いほどその怪異は序列を高めていく。だから、彼らは「七不思議」に選ばれたの。


 そして、ピエロ。彼は声と足音だけで恐怖させている。つまり実態がないのよ。実態がないとはどういう事かと言うと、物に触れることができないってこと。

 もうわかるわよね。つまり、彼は音楽フェス同様、音でしかこの世界に干渉することができない。けれども、彼は一人でも強すぎるほどの狂気を有している。だから「七不思議」に選ばれたの』

「で、でも、ジェノサイダーはピエロと出会ったことで死んでしまったんやで」


 ラムジーの言葉にクミ子さんは何でも知ってるかのように鼻を鳴らした。


『では、彼が物に触れることが出来ない原因も説明しましょう。それが分かれば、現実的に考えて彼が人を物理的に殺すことが不可能だって分かるから。

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