3-12

 コンピューター室の噂は「七不思議」には入っていなかった。しかし、これはどうだろう。所狭しと並べられたテーブルの上に乗っているデスクトップパソコンのディスプレイがチカチカと不規則に点滅していた。

 まるでオーディオヴィジュアライザーのように、もっとわかりやすく言えば生物の鼓動にシンクロするかのように明滅していた。家庭科室といい、校内放送、そして、このコンピューター室といい、津江中学で起きる怪異はどうやら「七不思議」だけではないらしい。


 三人が幻想的な景色に見入ってると、扉の奥からあのカツカツという音が近づいてきた。少年少女はしゃがんで扉に顔を近づけ、その非日常的な空間から足音に注意を向けた。

 足音は隣にある図書室の前で止まると、そのまま扉を開けて閉める音がしてから止んだ。おそらく図書室に入ったのだろう。二宮金次郎と決闘でもしに行ったのだろうか。その真偽は定かでなかった。


 元紀たちは立ち上がって、再び視線をコンピューターたちに向けた。音はないもののまるでライブにいるかのように幻想的だった。三人は足元に注意しながらコンピュータ室の中を歩き回った。

 一歩進むごとに周囲の景色もガラリと変わる。こんなに幻想的でエレクトリックなやつを何て言うんだっけ? そうだ、プロジェクションマッピングだ。元紀は二年前にナナオ市街にある博物館が、どこかのアーティストとコラボした特別展に行ったことを思い出した。


「きれいやな」


 ぽつりとラムジーがそう呟いた。


「うん、きれいだね」


 元紀もそれに同調する。三人は部屋の中央まで来ると、そのまま黙って計算機による無音のパフォーマンスにしばし見とれていた。


 ふと突然、ブブッと一つのディスプレイの光が乱れ出した。その乱れは伝染病のように周囲の、やがて全体のディスプレイに広がっていく。

 何か不具合が起きたのだろうか。元紀は一抹の不安を抱いてあたりをキョロキョロ見回した。すると、次の瞬間にはパッと全てのディスプレイの光が消え、あたりは一瞬で真っ暗になった。


「ッ、ウッ!」


 足元から綾子の苦しそうな声が聞こえて元紀は背筋が凍るような思いがした。一時間前のジェノサイダーの死と先ほどの悠里の死。ここでさらに綾子まで死んでしまったら自分はこれからどう生きていけばいいのだろう。運よくこのあと生き残ったとしても、彼女の喪失感でしばらくは引きこもってしまうに違いない。

 いや、それだけで済めばまだいい。津江中のアイドル的存在が亡くなったのだ。週刊誌で取り上げられて、ネットにはある事ない事書かれるかもしれない。

 そう言えば「事」と「書」って並べて書くと分かりにくいな。いやいや、そんな悠長なことを考えている余裕はないはずだ。


「澁谷さん、大丈夫?」


 元紀は足元にいるはずの綾子に声をかけながら、しゃがみ込んで手探りで綾子のことを探した。暗闇の中で手を振り回して、何か柔らかいものにぶつかった時、パッとディスプレイの光が蘇り、それが綾子の腹部だと気づいて慌てて手を引っ込めた。

 女の子の体ってこんなに柔らかいんだ。元紀の鼓動は大きく高鳴り、あと少し上に行ったら胸に、あと少し下に行ったら……。と、よからぬことを頭の中で展開してしまった。


 しかし、綾子はそんなロマンチックな余韻に浸る暇がないくらいの痛みに襲われているようだった。両足のくるぶしには細くて赤い線が一本きれいに引かれており、そこから血が垂れている。

 彼女はそれを庇うように両手で患部を押さえて体を丸くしていた。その様子で元紀はすぐに我に返って綾子の介抱をしようと辺りをキョロキョロと見回した。


 ふと彼女の奥に視線を移した。すると、そこにはラムジーが太い電源コードをコンセントに差しているところだった。


「ど、どうやら、これが外れたせいで、画面が真っ暗になってしまったみたいやな」


 ラムジーは言い訳をするかのようにコンセントと元紀のことを交互に見た。その様子に元紀はまさか、と思った。まさか、ラムジー。君がやったのか?


 その意図を察したのか、ラムジーは慌てて


「ち、違う。わしは断じてやってないで」と首を激しく横に振って否定した。


 元紀は彼の言葉を信じたかった。彼とは中学校に入学した時に知り合って、これまでほとんどの中学校生活を彼と一緒に過ごしてきた。だからこそ分かる。彼がどういう人物か。彼が人を殺す人物か、否か。だから彼のことを信じたかった。


「あやちゃん、大丈夫か」


 ラムジーは挽回するかのように屈んで、苦悶の表情を浮かべる綾子に声をかけた。


「と、とにかく何かで止血しないと」


 元紀は辺りをさっと見回してから布のようなものがないことを確認すると、ワイシャツを脱いで(ワイシャツだと固くて裂けないから)、さらにTシャツも脱ぐと、それを二つに破いて恐る恐る彼女の足首に巻いてあげた。綾子は「ありがとう」と礼を述べながら傷口に巻かれた布切れをさすった。


「どうして急に切れたんや。ワシでももっちゃんでもないとしたら、一体誰が……」


 ラムジーの困惑する言葉に綾子は言った。


「私もよく分からない。あたりが真っ暗になったら、急に足に痛みが走って、気づいたらあんな傷ができてたの」


 彼女自身も何が起きたのか分からなければ被害を受けていない二人には余計状況が掴めなかった。しかし、その「何が起きたか分からない」と言うハッシュタグは二人をある考えにいざなう。


「なあ、もっちゃん。この部屋があやちゃんに危害を加えたんとちゃうか?」

「僕も今同じ考えに至ったんだ。でも、人体模型が言ってたことを考慮すると、この部屋が僕らに危害を加えられるか疑問なんだよ」

「どういうことや、もっちゃん」


「人体模型は稗島を殺したのはピエロじゃないと断言した。それと同時に『彼は音でしか人を恐怖させられない』とも言った。つまり、僕らが触れることができない怪異は、同様に僕らに触れることができないんじゃないかな?」


 その考えは的を射たものだった。筋は通っている。では、綾子の傷はどう説明すればいいのだろう。その疑問は消えず、元紀の考えも結局は憶測が働いているため、推測の域を出なかった。二人は考え込むように黙ってしまった。


「でも、とりあえず、ここを出た方がいいと思うの」


 沈黙を破るように、綾子がゆっくりと起き上がって口を開いた。


「せやな。どうであれ、なんであれ、ここからは出た方がいいかもしれへん」

「うん、それには同意見だよ」と元紀も頷くと、彼とラムジーは綾子の肩を担いだ。


 ほのかに彼女の汗の匂いが元紀の鼻腔をくすぐったが、元紀はなるべく意識しないようにした。二人は彼女の足に少しでも負担が行かないよう支えながら不気味なイルミネーションを続けるコンピュータ室を後にした。



 ***



 ……イッタァ。


 結構ざっくりやってしまった。当分は歩く際に支障が出てしまうだろう。


 ……ッ。強く踏み込もうとすると痛みを感じる。


 生きるというのはとても不便なことだ。この痛みと共生しなければならないのだから。


 こんな痛みを感じるくらいなら、無痛の世界で生きるか、いっそのこと殺した方が手っ取り早い。彼らだって痛みを感じることはほとんどなかったはずだ。


 いや、彼女は少しばかり苦しんだかもしれない。


 分からない。私は彼女の臨終に立ち会ったわけではないから。


 ……。


 やめよう。これ以上考えるのはやめよう。私が私ではなくなってしまう。


 私はただ待てばいいのだ。次の機会を。


 二人を殺せるタイミングを。


 獲物を狩るオオカミのように——。

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