3-11

「ほな、ひとまず、どないしようか」


 ラムジーは随分落ち着いたようで、薄暗い校舎の中を見回した。校舎に入った時には気づかなかったが、この校舎は何もいないようで何かいる、とても温かい雰囲気を感じる。まるでお化け屋敷みたいだ。元紀は去年の秋に行った修学旅行を思い出した。


 この時、元紀の頭には自然と助けを呼ぶ、という選択肢が入っていなかった。稗島が殺された時は違った。「ハイヒールマン」かピエロか分からないが迫りくる恐怖があり、それを回避しなければならなかった。

 しかし、今はそのような切羽詰まった状況にはない。もしかしたら、この校舎から抜け出すことは無理かも知れないと本能的に理解しているのかも知れない。それを示すように、ラムジーのスマホは圏外を表示していた。


「理科室にもう一度入って骸骨たちに助けを求めるのもいいけど……」


 先ほどまで泣きじゃくっていた綾子も幾分落ち着いたのか、ゆっくりと立ち上がって言った。確かに、彼らなら今のところ校舎であった怪異の中では信頼できる。「信頼できる怪異」というのはなかなかおかしなものだけど……。

 元紀がふと思いついたジョークは彼の混沌とした心の中を幾ばくか薄めてくれたようだった。それによって透き通った彼の頭はこの「殺戮校舎」という異常な空間に慣れようとしていた。


「僕は、稗島が死んだ場所をもう一度見てみたい」


 元紀はそう発言した。怪異などという恐怖を取り除いて、稗島と悠里という二人の死を考えた時に、その真相を確かめたくなったのだ。稗島は本当にピエロに殺されたのか、それとも自分たちのうち誰かに殺されたのか、——もしくは別の第三者に殺されたのか。それが分かる分からないかで恐怖が和らぐと考えたのだ。

 であれば、目の前にある悠里の遺体に行くのが早いかもしれないけれど、そこは毒ガスに脅かされていて安全とは言えない。(となれば稗島のところだってピエロがいるかもしれない、と思ったが、そんなことを考えていてはキリがない、と開き直った)


「せやな、ワシもそれに賛成やで。もしかしたらジェノサイダーの死体がなくなってるかもしれんし」

「それだと、余計謎は深まるけどね」


 ラムジーの言葉に元紀が相槌をうつ。恐怖とは理性的な人間が「分からない」という事象に遭遇したときに起こるものだ。であれば、その事象を理解してしまえば、恐れなくなるのではないか。いや、恐怖に立ち向かおうとする時点で、少年たちの恐怖はいくらか和らいでいるのかもしれない。

 元紀の心に蠢いていたカオスは徐々に無くなりかけていた。それは親友も同じようだとラムの顔を見て思う。ブリテン系のハーフは心なしか頬を緩めていた。


 さて、移動を始めようかと綾子に声をかけるために元紀は彼女のことを見た。綾子はどこか辛そうな表情で上を向いている。そうか、やっぱり気になるんだ、と元紀とラムジーもほぼ同じタイミングで天井につけられた校内放送のスピーカーに目を向けた。スピーカーは先ほどからずっと悠里の死を嘲笑っている。


『毒ガスで意識を朦朧させながらよだれ垂らして、無様にご臨終。ご臨終、ご臨終、アァご臨終ったらご臨終。アヒャヒャヒャ。しかも■■■を露出させてご臨終。あんなに男を嫌ってたのに、自分の恥部をその男子二人に見られて、あーあ、かわいそうに、かわいそうに、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ』


 死人に口なしをいいことに散々な言い方である。元紀たちもここまで聞こえないふりをしていたが、もう我慢の限界だった。友達でないにしろ、クラスメイトで、しかもここまで一緒に探検してきた仲間をこうも揶揄からかわれることに腹の底が煮えくりかえるような思いがした。


「ウルセェ、ババァ!」


 二人の男の子はスピーカーに向かって叫んだ。二人同時に叫んだことで元紀は少々驚いたが、なぜか心が穏やかになっていく。隣にいるラムジーのことを見るとニッと笑ってみせた。彼も先程よりも穏やかな笑みを見せる。たちまちスピーカーは怒鳴られた子供みたいに押し黙った。


「……ありがとう」


 綾子は二人に礼を言った。その整った顔には久方ぶりの笑みが浮かんでいる。とても柔らかい、引き込まれるような笑み。彼女にとっては親友が殺され、あんな言われようをしたのだ。とても耐えられるはずがない。


「ええよ、ええよ、ワシらは言うべきことを言っただけや」とラムジーはハエを払うように手を振った。


「ありがとう」


 綾子は元紀にも改めて礼を言う。


「べ、別に見えてなかったから」


 元紀は少し詰まりながらも最後まで言った。なんであんなことを言ったのか自分でも分からない。もしかしたら、緊張の糸が少し緩んだからかもしれない。いや、傷心しきった彼女を助けて礼を言われたことに舞い上がってしまったからかもしれない。

 だが間違いないことは、その言葉によって二人の間に「空間」が生まれたことだ。触れてはいけない微妙な空間。一度触れれば後戻りできなくなってしまう空間。二人は黙って顔を合わせた。目は合わせなかった。

 元紀は綾子の鼻筋を見てたからどう頑張っても二人の目が合うことはなかった。けれども、彼女は僕の目を見てるかもしれない。心臓の鼓動は徐々に大きくなっていく。



 カツ

 


 しかし、その足音で夢のようなひとときは断ち切られた。稗島が殺された時に聞こえた足音、最初はピエロだと思っていたけれども第三者かもしれないと思った足音が北階段の方から聞こえて来たのだ。もしかして「ハイヒールマン」が来ているのか? 元紀は火照った頭を必死に冷やしながら考えた。


「ど、どないする、もっちゃん。このままやとジェノサイダーの死体へは行けへんで」


 先ほどまで黙っていたラムジーが元紀の顔を見た。この学校には階段が二つしかない。そして、北階段から「ハイヒールマン」が来ている今、南階段を使って一階に行くことはできる。

 しかし、そうなると今度は技術室の真前に降りてしまい、ピエロと邂逅する可能性が高く(元紀は、ピエロは技術室を根城としており、一階の廊下はあくまで逃げる人を追いかけるために使われているのだと考察していた。だから、北階段から行けば遭遇する確率は低くなると)、それはそれで避けたかった。


「ここは一旦、稗島の遺体を確認することは諦めてあいつから逃げよう」


 元紀は許可を求めるように綾子の瞳を見た。彼女は少し驚いたように頷くと、そのまま俯いた。


 二階の南側には図書館とコンピューター室、そしてホームルーム教室が二つある。本来なら怪異が少なそうなホームルーム教室に入って隠れるのが打倒だが、二つとも鍵がかかっていて開かなかった。普通開いてるだろ、と元紀は悪態をついたが、よくよく考えてみると教室の扉は夜になると施錠されるものである。


 足音はどんどん近づいてくる。もう間も無くこちらと遭遇してしまう。元紀は焦る気持ちを抑えて図書室の方を振り向いた。図書室の扉の小窓からは薄暗いながらも一つの影が読書用の椅子に座って本を読んでいるのが見えた。

 あれは、二宮金次郎か? もしそうなら、話せば理科室の怪異たちみたいに受け入れてくれそうだ。


 影は元紀らに気づいたのか、本から目をあげると立ち上がって、徐々に扉の方に近づいてきた。その頃にはラムジーと綾子も影の存在に気づいていた。そして影が近づいてきて初めて理解した。



 



 扉よりも頭ひとつ大きい背丈は威圧感があり、よくみると校門で見かける金次郎像と違って鎧兜のようなものを着けていた。それだけでも十分怖いのに、極め付けはギョロッと光る眼が兜の隙間から垣間見えたのだ。

 三人は悲鳴を上げて走り出した。二階で探していない部屋はコンピューター室だけだった。一か八か、元紀はコンピューター室の扉の取手を引っ張ってみると、これは開いた。中の様子は元紀たちに一瞬の不安を浮かび上がらせるものの、もはや躊躇する時間はない。三人はコンピューター室に転がり込んだ。

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