第41話:曇天の散華

『《がはっ!! いっあ゛ぁぁっ!!》』


 攻撃を真面に受けたクリス機のキャノピーが鮮血で染まり吐血と共にクリスの顔が苦痛に歪み苦悶の叫びを上げる、機体は左に傾き白煙を上げながら急速に高度を下げて行く。


『《ーーっ!? クリスっ!!》』

『《なーー!?》』


 その瞬間は閃光に気を取られていたメリーとディハイルの視界にも入っていた、二人の表情は驚愕から悲痛の色に変わり日輪軍機毛利達を置き去りにフルスロットルでクリスの下に向かう。


『今の攻撃でも落ちないか……流石米軍機は頑丈だね……それならっ!』


 あれだけの攻撃を浴びせたにも関わらずクリス機は墜ちる事無く体勢を立て直そうとしていた、瀕死の状態では有るが辛うじて飛行していたのである。


 立花機はクリス機に止めを刺さんと機体を翻す、その時、ポタリと立花機の風防が濡れる。


『ーーっ!! 蒼士、スコールが来るぞっ!!』

『ちっ! 間が悪いな、けど、雨ごときで……逃すもんかっ!!』 


 立花は日輪人離れした端正な顔を歪めて舌打ちする、元々この辺りは突風や突発的な豪雨は珍しくは無い、今日の天候や気候も其れを示唆はしていた、然し仇敵を仕留めんとしたこのタイミングのスコールには何者かの悪意を感じられずにはいられなかった。


『《やらせんぞ日輪人ジャパニーズっ!!》』

『《クリス、大丈夫!?》』


『ーーっ!? くっ! 毛利さん達は何してるんだっ!!』


 更に其処にディハイル機とメリー機が救援にやって来る、追い打ちをかける邪魔者に立花は思わず毛利達を見ると10機程のF6Fの攻撃を受けていた。


 毛利達も当然立花機に向かったXF4Uを追撃せんとしたが、其処に優勢となったF6Fが襲い掛かって来たのだ。


 見るとルング基地航空隊は零戦三型が2機、ニ型が5機と三型が3機しか残っておらず、しかも殆どの機体が弾を使い果たしているのか攻撃に参加していない。


 武蔵航空隊も弾を使い果たし1機が撃墜され、最早制空戦闘の継続は不可能な状況に在り残り14機の内10機のF6Fが大和航空隊に群がって来たのだ。

 

『くそっ! くそっ! くそおっ!!』


 激しくなる雨、妨害して来る敵機、戦力を使い果たした仲間達、全ての要素が自分の邪魔を、仇敵を討つ邪魔をして来る、その焦燥感に駆られた立花は苛立ちを隠せず怨嗟の声を漏らす。


『蒼士、冷静になれっ!!』

『僕は冷静だよっ!』


 そう言う人間は往々にして冷静では無い、そして致命的な失敗を冒すのだ。


 執拗に攻撃して来るディハイル機とメリー機の射撃を紙一重で躱す立花であったが、後一歩で届く宿願を邪魔する者達に対する苛立ちはピークに達していた。


 雨脚も風も強くなり早急に決着を付ける必要が有ると判断した立花は2機の射撃を躱しながら一気に速度を落とす。


『《なにっ!?》』

『《うそっ!?》』


 2機のXF4Uの間を擦り抜けた立花機は瞬く間に背後を取りメリー機に照準を定めトリガーに指を掛ける、だがその時立花は前方に違和感を感じ思わず手を止める。


 あいつクリス機がいないーー!?


 その事実に戦慄した瞬間立花は背後に殺気を感じ全身の毛が逆立つ悪寒に襲われる。


 立花がもう少し冷静で有ればクリス機の動きにも気付けた筈である、だが焦燥感を抑え切れなかった立花は目の前ディハイルの敵とメリーに集中し過ぎたのだ。


 まずい、そう直感した立花は即座にその場から離れるべく機体を捻ろうとするが遅かった、立花機の背後に取り付いた瀕死のクリス機から有りっ丈の弾丸が立花機に撃ち込まれる。


『うわぁああああああっ!!?』

『うぐっ! そ、蒼士!』  


 立花機は激しい振動に襲われ次の瞬間左主翼が屈折部から砕け推進機が爆発すると機体を錐揉みさせながら落下していく……。


『《悪いけど……貴方だけは……仲間の為に……ここで……うぐぅっ!》』


 立花機を撃墜したクリスも立花機以上の急激な減速によって身体に負荷が掛かり状態を悪化させていた。


『《クリス大丈夫っ!?》』

『《しっかりしろ!!》』


 クリス機の両翼に寄り添うディハイルとメリーの心配そうな声が通信機から響く。


『《……ハァハァ……心配かけてごめんなさい……でも……何としても……この機体を……戦闘機動記録装置フライトレコーダーを……持ち帰ら……ないと……ぐっ……》』


『《クリス……っ!》』

『《……っ!》』


 クリスの強い意志を感じ寄り添う二人は言葉に詰まる、クリスからは大丈夫だと言う言葉が聞けなかったからだ、通信機からの声も、飛行機動からもクリスがギリギリの状態で有る事を二人は感じ取っていたのだ……。


 そしてそのまま3機の灰色の戦闘機は寄り添い合いながら豪雨の中に消えて行く……。


 ・


 一方立花機は下部噴進機を駆使し何とか墜落は免れていた、あの状態から墜落せずに態勢を立て直せたのは島津の機転が有ればこそであった。


 あれほど卓越した操縦技術センスを持つ立花は機体が砕けた瞬間思考停止してしまったのである。


 もしこの墜落が事故によるモノであれば或いは冷静に対処し切ったかも知れない、だが自分の思惑を外れ仇敵が其れを超えた行動をし、その結果撃墜されたと言う事実はまだまだ未熟な立花の心をへし折ったのである。

 

『こちら立花機の島津上等飛曹、被弾し自力帰還は困難、高度不足と悪天候により脱出装置は使用出来ず、これより着水し救援を待つ!』


 島津は捲し立てる様な早口で通信機から状況を伝え、その顔を苦悶に歪めながらも機敏に操縦桿とペダルを操作している。


『こちら毛利了解した、敵機は全て撤退したが此方も視界不良で捜索は困難だ、だが友軍艦艇が必ず救援に向かってくれる、我々も天候が回復次第戻る、決して諦めるな!』


 無線機から応答して来たのは毛利であった、島津は短く『了解!』とだけ答え目の前の困難に集中する。


「蒼士、何時迄……呆けている気だ!」

「……僕は……」

「俺ではこの状況で機体を安定させて着水させる事は……出来ない、お前が……お前だけが頼りなんだ……うぐっ!」

「ーーっ!? 義兄よしにぃっ!?」


 突如発せられた呻き声に立花が身をよじり後部座席に目をやると、そこには左上腕と脇腹を真っ赤に染めた島津の姿が有った。


義兄よしにぃその怪我……っ!?」

「はは……さっきのコメ公の攻撃でちょっと、な……」

「そんな……僕の……僕のせいでーー」

「ーー蒼士! 今は後悔も反省もしている暇はない……生き残る為に……成すべき事を成せ! ……だから速く代わってくれ、しんどいんだ……」


 厳しい表情と語気で立花を叱咤する島津であったが、言葉の後半で語気を弱め弱々しく微笑みかける。


「ーー了解! これより全操舵を立花が引き継ぐ、現在速力108ノット(時速200km)高度180(メートル)天候悪く波高し!」


 現在立花機は失速寸前の機体を下部噴進機の推進力で無理矢理保たせている状態である、また左主翼の半分が吹き飛んでいる為左右の出力調整も必要であり、且つ下部噴進機を稼働させたまま着水させる事は危険(主推進機メインスラスターが大破しホバリング出来ないので滑空着水するしか無いが、その時に下部噴進機が海面に接触すると機体が機首から海面に突っ込む可能性が有る)な為、下部噴進機を停止させ収納するタイミングが重要となって来る。


 それはルング防空戦の斎藤機の状況に似ているが今回は強風の中での荒れた海面への着水で有りその上片翼も破損しているので難易度は斎藤機の比では無く運否天賦の要素も強い。 


「高度140……120……100……80……60……下部スラスター収納!」


 立花が下部推進機を停止させ素早く収納すると機体が左に傾き始める。


「くっ……もどれぇえええええ!!」


 機体を水平に戻す為に立花は揚力舵フラップを下げ右翼の補助翼エルロン昇降舵エレベータを巧みに操作し機首を上げながら海面に突っ込む。 


 刹那、豪雨の荒海に水飛沫が立ち上がり雨と共に海面に降り注ぐ。



「う……ぐっ……! 義兄よしにぃ大丈夫……?」

「あ、ああ……何とか、な……だが急がんと……瑞雲共々海の底に引き摺り込まれるぞ……」


 立花機は無事着水に成功していた、しかし通常であれば暫くは浮いていられる瑞雲も、こうも穴だらけでは海水が入り放題となり5分と掛からず海中に没すると思われた。


 その為立花達は素早く固定ベルトを外し座席から非常用持ち出し装備を取り出すと風防を空ける、すると強い雨風が操縦席に入り込み立花達の顔に打ち付ける。


 そして荒波によって更に海水が入り込みどんどん水没していく、立花は負傷した島津を担ぎ機体から脱出すると座席から取り出した非常用持ち出し装備からオレンジ色の筒状の道具を取り出し紐を思い切り引っ張る。


 するとオレンジ色の筒状の物は忽ち膨れ上がり四方2mメートル程のイカダになった、二人はそのイカダにしがみ付くが波風が強く海から上がる事は適わなかった。


 立花は明らかに弱っている島津を庇いながら必死にイカダにしがみ付き豪雨が過ぎ去るのを待つしか無かった。


 そして程なく共に蒼空を駆け戦った立花の愛機は静かに水底に没して行った……。


 ・

 ・

 ・


 一方、何とか日輪軍機とスコールから抜け出し母艦の眼と鼻の先まで戻って来たクリス達であったが、この時クリスはディハイルとメリーからの呼びかけに全く応えなくなっていた、辛うじて彼女が生きている事を示すのは機体を制御する為の補助翼エルロン方向舵ラダーの動きのみであった……。


『《ファントム2からインディペンデンスへ、ファントム1が被弾しパイロットが負傷した、至急医療班の準備を求む!》』

『《インディペンデンスからファントム2へ、状況は理解した至急手配する》』


『《ーーありがとう! ーークリス、後もうちょっとだよ、頑張って!》』

『《……はぁ……はぁ……はぁ……》』

『《クリス……っ!》』


 心配そうなメリーとディハイルに見守られながらクリス機はふら付きながらも何とかインディペンデンスの後方に回り込む、飛行甲板上では上空のクリス機を見守りながら作業員が事故に備えて忙しなく動き回っている。


『《……はぁ……はぁ……機体を……記録……フランツ……私……アル……帰れなくて……ごめんね……》』


 既にクリスの意識は朦朧としておりその唇は紫色に変色している、それでも着艦体勢に入った途端、クリス機のふら付きはピタリと止まり、何時も通り舞い降りる様に着艦する。


 作業員達の目に映ったクリス機は左スラスターは吹き飛び外殻はめくれ上がり、胴体には無数の銃痕、そしてキャノピーも真っ赤に染まっていた。


 それを見た整備員のディックはただ茫然と立ち竦んでいる。


 そのディックを押し退け医療班員達が急いでクリス機に駆け寄りキャノピーを空けるとクリスを機体から降ろし担架に乗せる。


 軍医が医療器具を抱えて担架に乗せられたクリスに駆け寄り治療を施そうと彼女に手を伸ばした時、軍医の手が止まる……。



『《何してんのよ、さっさと治療してよぉ!!》』


 上空で旋回しながら飛行甲板を見守っていたメリーが叫ぶ、当然飛行甲板上の者達にその声は届かない。


 そのメリーの言葉も空しく軍医はクリスの首に手を当てた後、伏目がちに開いたままのクリスの瞼を指で持ち上げ光で照らす、そして……目を伏せると力なく頭を横に振る……。


『《……え? ちょっと、何してんのよ、早く治療しなさいよ! ねぇ、ディハあいつ等何やってんの!? 早く治療しないとクリスがーー》』

『《メリー……クリスは……》』

『《何よ……? 何が言いたいのよっ!》』

『《クリスは……もう……》』

『《ーーっ!? 嘘よ……そんな……どうして……どうしてぇえええっ!!》』


 曇天の空にメリーの悲痛な叫びが響き渡る、軍医によって瞼を閉じられたクリスの死に顔はまるで仕事を成し遂げ疲れ果てて眠っているかの様で有ったが、その美しい水色の瞳が開かれる事は二度と無かったのである……。


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