第36話:疾風の島風
1943年2月20日 天候曇り 時刻10:15
出雲以下、第十三艦隊各戦隊は第四艦隊と連携しガーナカタル南方、珊瑚海側各所の哨戒任務に其々従事していた。
軽巡九頭竜以下陽炎型駆逐艦4隻から成る第十三艦隊第二戦隊はレイネル島北部海域周辺を、九頭竜型二番艦米代率いる同編成の第三戦隊はマキア島南部海域周辺を哨戒しており、第一戦隊の出雲と島風はレイネル島南東270km付近の海域を哨戒している。
第四艦隊は井上中将の後任『
====重巡出雲艦橋====
「何も見当たらないですね、音探も電探も反応なし、静かなもんです」
「ああ、だが二日前にこの海域を哨戒中の第四艦隊の駆逐艦
「嵐の前の静けさですか……了解です」
出雲艦橋内で腕を組みながら艦長席に座る佐藤とその横に立つ菅田は共に怪訝な表情で水平線を睨み付けている。
一方駆逐艦島風は出雲の前方70km地点に速力30ノットで展開しており先行偵察を行っていた。
「敵のての字も見えませんねぇ……一度出雲と合流した方が良いのでは?」
「うーん、そうで有りますね、出雲の予定進路を一一」
「ーーっ! 音探に感あり! 魚雷発射管注水音確認! 潜水艦です! 方位4.5.0,距離約3000!!」
「潜んでいましたか! 島風初の実戦で有ります、各自落ち着いて訓練通りに動くで有ります! 敵を便宜上『ア号』と呼称します、総員対潜戦闘用意! 針路速度そのまま、米潜水艦で有れば一隻では無い筈、捕捉を急ぐであります!!」
艦長席に座る小柄な少女、
その指示に緊張しながらも機敏に反応し各部署に伝達する通信員、岬を補佐する副官、電探員に音探員、そして操舵手に至るまで
それは元々配属されていた熟練乗組員の殆どは飼い殺し同然の第十三艦隊から転属願いを出し移動してしまったからである。
加えて幾ら性能が高くとも同型艦の無い駆逐艦など使い勝手が悪く艦長のなり手すら居なかった。
そこで武家でもあり宮内庁にも強い影響力を持つ柴村家に華を持たせる為に
それは即ち使い勝手の悪い島風の厄介払いと名家に恩を売る事の出来る正に一石二鳥の妙案とされ押しに弱い永野があっさり認めてしまったのである。
そして使い勝手の悪い艦に使い勝手の悪い女性徴用兵を押し込んだ結果、乗組員の実に七割が若い女性となってしまったのであるが、その女性徴用兵達と柴村岬は思いの他優秀であった。
的確に艦を運用し突然の初実戦にも浮き足立つ事無く対応している。
艦内に警報が鳴り響き乗員達が慌ただしく機敏に動き各班長の指揮の元整然と乗員達が配置に着いて行く、その甲斐あってそう時間が掛からず艦尾に備えられた4基の爆雷投射機が稼働する。
側舷では機銃員と観測員が雷跡を見逃さんと緊張した面持ちで海面を睨んでいた。
「ア号、魚雷発射、噴進式その数2! 方位1.1.2から発射管注水音、距離2500! 方位1.5.7からガトー型の推進音確認、距離4000!!」
「やはり仲間が居たでありますね、1.1.2をイ号、1.5.7をウ号と呼称します、音探班はア号とイ号の動向を遂次報告、針路速度そのまま!」
「りょ、了解ですーー! ア号潜航転舵しています! イ号魚雷発射、その数2!」
「ーー! 今であります! 総員防御姿勢! 機関最大、取り舵!」
柴村岬は敵潜水艦2隻が魚雷を発射したタイミングで艦を一気に加速させる、すると島風は僅か十数秒で
最大戦速で爆進する島風は鋭利な
しかし大和の様な大型艦と違い駆逐艦で有るが故の艦体質量の小ささによって艦は大きく揺動している。
故に爆雷投射機要員も観測員も機銃員も落水を避ける為、可能な限り構造物内部で配置と作業が出来る様に設計されている。
小型艦が80ノット(時速約150km)の速度で揺動しながら大海原を驀進するのであるから同然の事で有る。
もし艦外に居ようものなら人間など風圧と衝撃で簡単に吹き飛ぶだろう。
そして時速150kmの速度で落水しようものなら、間違いなく命は無い……。
その為、戦闘配置が発令された場合、外部の観測員は艦内観測所に移動し機銃員達は防護装備の着用が義務付けられている。
これは
閑話休題。
島風の加速力と最大速度は米潜水艦にとって想定外であった、その為放った魚雷は全て置き去りにされ外れた。
そしてア号と呼称された米ガトー級潜水艦は魚雷発射後即座に潜航し転舵した為その結果を知らずソナー員の報告で
だが知った所で何が出来るでもない、強いて言うならば見当違いの場所に爆雷を投下してくれる事を祈る位であろう。
然し島風は80ノットの超高速で瞬く間にア号が潜航したと思われる位置に正確に到達する、そこで普通は速度を落とし
それは愚策では無く現状の情報を自身の知識を合わせ精査した結果の確信によるモノであった。
「今で有ります! 爆雷投下!!」
岬の指示で島風の艦尾から爆雷が放物線を描きながら扇状に投射され海面に着水するとスクリューが回転を始め暗い水底に向け消えて行く。
「爆雷、敵艦予想深度到達まで約10秒!」
「速度を強速(20ノット)に落とし面舵! 音探を開始するであります!」
岬の指示で島風が右に旋回しながら急速に速度を落とすと、それを見計らい
数秒後、海面に十数本の水柱が立ち上がると
「ーー! 艦体破壊音を確認、撃沈……です……」
「……そうですか、沈んだで有りますか……」
音探員が緊張した声色と表情で報告し、それを受けた岬も深妙な面持ちで言葉をこぼす。
他の女性艦橋員達の顔も暗く、腕を振り上げ喜びかけた男性艦橋員達はそれに気付くと気まずそうに腕を下ろす。
「艦長、ウ号を見失いました、イ号は現在方位2,4,7距離8000の位置にあり南南西に針路を取り離脱しつつあります!」
「……このままイ号を追撃するであります! 対潜警戒を厳としたまま針路2,4,5へ最大戦速であります!」
「えっ!? に、逃げる相手を追うのですか?」
岬の指示に対し驚いて聞き返したのは副官の若い女性『北川 優子』であった、逃げる相手への追撃と言うのが、つい数ヶ月前まで軍隊とは縁もゆかりも無かった彼女にとっては冷酷な行動に思えたのだ。
「ここで逃がした敵はまた味方を攻撃するであります、そして、そもそも逃げたとは限らないであります、一旦距離を取ってまた私達を狙って来るかも知れないのであります」
「ーーっ!? 確かに……そうですね、すみません馬鹿な事を聞いてしまいました……」
「気にする必要は無いであります、私とは違う視点で意見具申をするのは副長の正当な行動でありますよ?」
「艦長……!」
しょぼくれる北川に岬は白い歯を見せ柔らかな笑顔を向けて気遣う。
・
・
「そろそろでありますね、針路そのまま速度第二戦速(30ノット)へ、聴音索敵を開始するであります!」
「針路そのまま第二戦速よーそろ!」
「聴音索敵を開始します!」
最大戦速で2kmほど移動した島風は聴音可能な限界速度である第二戦速に速度を落とし水中索敵に移行する。
島風の艦橋左に設営されている音探装置には3名の人員が配置されており、一人が目を閉じヘッドホンの音に集中し、他の二人は表示される内容の違う二つのモニターを凝視している。
音探班は主に耳で音を聞く聴音員と音声情報が表示されるモニターを監視する監視員によって構成される。
無論、聴音員も集中して音を聞き取る必要が有る時以外はモニターの情報も確認するし監視員に解析支持を出したりもする、即ち聴音員が音探の要で有り監視員はその補佐なのだ。
「音探に感あり! 方位2,6,0、距離5000にガトー級と思われる推進音確認! 約20ノットで移動中」
「艦長、探信音を打ちますか?」
「う、うにゅにゅにゅにゅ……」
聞いて来たのは北川だった、その問いかけに対し岬は腕を組み目をぎゅっとして可愛い唸り声を上げる。
ア号の時は雷跡から逃走経路を割り出した岬であったが、流石に逃げに徹した潜水艦の正確な位置を割り出すのは不可能である。
その為、水中
水中の音と言うのは何百キロ先に届く事も有る、その為敵の位置を探る為に打った
それは今追っている潜水艦だけで無く米水上艦艇に聴かれる可能性もある。
最悪なのは聴いていたのが機動艦隊であった場合だ。
若しそうなれば下手すると物の数十分で敵機が群がって来る事になる。
故に
その為本来は複数の駆逐艦が隊列を成し
「……敵潜の進路に注意しつつ距離3000まで接近するで有ります! 針路そのまま、速度第六戦速(50ノット)に上げ!」
岬は数秒悩んだ末にそう決断した、ここで
無論、速度を上げて
「針路そのまま、第六戦速よーそろ!」
「ーーっ!? 左舷11時距離2000に潜望鏡!!」「魚雷推進音確認、数2っ!!」
岬の指示で操舵員が速度を上げようとした正にその時、見張りから報告を受けた通信員と聴音員が同時に叫ぶ。
「ーーっ!! 見失ったウ号、此処に潜んで居たでありますか……速度第二戦速を維持! 側面噴進機解放、取り舵45!!」
各報告を受け驚きの表情を浮かべた岬で有ったが、即座に状況を把握し素早く指示を出した。
艦が僅かに右に傾きながら左に旋回し、魚雷と相対する針路を取り島風は2本の魚雷の間を縫って難なく躱す事に成功する。
「敵潜はどうでありますか?」
「尚も潜望鏡深度、本艦針路上距離1000!!」
「なっ! 回頭も潜航もしていないでありますかっ!? 雷撃にーー」
「ーーっ!! 魚雷推進音確認!! 本艦正面ーーっ!!」
「ーーくっ! 左舷側面噴進機90度で最大噴射っ!!」
正に数秒の出来事であった、微動だにしない米ガトー級潜水艦は島風の正面至近距離で魚雷を放つ、普通であれば絶対に避け切れない必殺の間合いである。
然し何と島風の艦体は凄まじい水飛沫を立てながら真横に移動しその至近弾を辛うじて躱したのであった。
これには米ガトー級潜水艦『ミンゴ』の艦長も驚きを隠せず思わず潜望鏡に噛り付いた。
こうなると形勢は完全に逆転する、島風はその場で『超信地旋回』を行いミンゴに艦尾を向けると一気に爆雷を投射する。
その瞬間自身の負けを悟ったミンゴの艦長は緊急浮上を選択したが、浮上した直後爆雷の洗礼を浴びる事になった。
浮上した瞬間、ミンゴの周囲に巨大な水柱が十数本立ち上がり艦の至る所から浸水が発生し艦内はけたたましい警報音に包まれる。
島風は浮上し傾いているミンゴに主砲を向けて威圧する、そこにミンゴの艦橋から艦長が顔を出し島風と睨み合うが、彼の位置からは岬の姿を正確に確認する事は出来ない。
若し岬の姿を正確に確認できたなら彼はさぞ驚いたに違いない。
とまれミンゴは戦闘力を完全に喪失していた、艦体は沈没こそ免れているものの大破し潜航は不可能、速度も出せて数ノットであろう。
「か、艦長、これどうしましょう?」
「う、うにゅにゅにゅにゅ……」
そう問いかけたのは北川だった、その問いかけに対し岬はまたも腕を組み目をぎゅっとして可愛い唸り声を上げる。
合理的に考えるなら沈めてしまうのが一番確実で手っ取り早いが、流石に降伏に近い状態となっている艦を沈めるのは岬的にも他の乗組員の心情的にも負荷が掛かり過ぎる行為であった。
かといって鹵獲するには艦も人員も足りず、艦だけ沈めて乗員を捕虜とするにも島風の構成員では心もとなく下手すれば艦を乗っ取られかねない……。
後は指向性通信で出雲に来て貰うくらいしか方法は無いが、その間駆逐艦一隻で静止しているのも危険に過ぎる行為である。
「ぐ、ぐにゅにゅにゅにゅーー」
岬は更に目をぎゅっとし何故か体が右に傾いていた。
その時、通信員が驚きの声と共に岬に向き困惑した表情のまま口を開く。
「ーーっ!! か、艦長!! 第四艦隊より緊急通信!! 【我、敵艦隊の攻撃受ク、敵優勢ナリテ救援乞ウ】!!」
「ーーっ!!」
その通信内容に岬は明らかに動揺した、味方の窮地であるならば即座に救援に行かねばならない、恐らく出雲も基地航空隊も動いているだろう。
なら
岬の表情は先程の愛らしいものではなく、真剣な苦悶が浮かんでいた……。
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