野良猫-2-

 月が綺麗だった。欠けることなく、満ち満ちた月が星と星の間に浮かび上がっている。あれからどれほどの時間が過ぎたかは分からぬが、それでもこうして月を見上げていると、あの白い飼い猫もどこかでこの月を眺めているのだろうかと、そんな事を考えるようになった。同じ月を眺めていればいい。出来る事ならば、月に向かって鳴いていればいいと思う。


 幸福と言うものは、後から追って来るものなのだ。俺は今、少なからず幸福なのだと思う。こうして月を眺めては、あの白い飼い猫と話したことを思い出し、思い浮かべ、ああ、あの日々は良いものであったなと、独り月に鳴くのだ。


 生きて行かなければならぬという義務を、独りで背負っていくのである。ただ、いつか死んでしまう時、ああ、あんな日々もあったのだと、きっとそう思うのだろう。そのことが、唯一支えであった。叶うことなら、あの白い飼い猫が遠い場所へ旅立つ時、少しでも共に過ごした数日を思い出してくれたらと思う。


「やあ、黒い野良猫。調子はどうだい?」


 独り月を眺めていたところ、どこからカラスがやってくる。話すこともない。カラスの言葉に答えることなく、丸い月を見つめ続けていると、カラスは「あの子から伝言だ」と、そういうものだから、自然と片耳がピクリと動いてしまった。


「一つ、言い忘れていたことがあります。あなたのその体に刻まれた傷を、私はずっと美しいと思っていました。だそうだよ」


 傷。自身の体などまじまじと見たことは無かった。改めて自分の体に目を向けてみるに、ああ、確かに多くの傷が己の体に刻み込まれている。その一つ一つの傷を、どのように受けどのように耐え治したかなど思い出せない。もう、ずっと昔のことである。


「カラス、お前は俺の傷を見てどう思う?」

「そうだね。生きるのがとても下手だから傷を負うんだ。でも、あの白い飼い猫の言う通り、それはとても美しいことだと思うよ」


 そうして、カラスは「今日はとても良い月だ。それじゃあ、僕はもう行くよ」と嘴をカチカチ鳴らし、黒い翼を羽ばたかせ、月の方へと飛んで行く。


 カラスの言う通り、きっと生きるのが下手なのだ。傷を負わぬように生きて行くことがどうにも出来ぬのである。そうしてこれまでに負って来たのがこの傷だ。生々しい傷跡も、今だに治らぬこの傷も、すべてはこれまで生きて来た証拠なのだ。その不器用さを、醜さを、お前は美しいのだと言う。この傷跡を、美しいのだと言う。


 ああ、これまでならばこうして傷を負って生きて行くのも決して悪いことではないのかもしれない。


 そうして、これからも傷を負って生きて行くのだ。苦しいと、悲しいと、虚しいと思っては振り返り、月を眺めて鳴くのである。傷跡をなぞる様に日々を思い鳴くのである。


「ニャー」


 さようなら。さようなら。お前に出会えてよかったと、そう思います。

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飼い猫と野良猫 青空奏佑 @kanau_aozora

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