第六話 軛 


 体のキレがいい。

 今日は裏七門の鳥之形とりのかたまで完璧にこなすことができた。

 表八門の風之形かぜのかたに移る。


「!…………」


 ふいに動きが淀んだ。

 足がふらつく。

 体の軸がぶれる。

 木刀の切っ先がゆらめく。


 そのとき源之進の脳裏に浮かんだのは、たえの肢体であった。

 まったくの脈絡もなく、快感にあえぐたえの姿が浮かび、惑乱した。

 陽は西の端に沈み、潮が満ちて源之進の膝を濡らしている。


 源之進は木刀を腰帯に納めた。

 波打ち際から退いて砂浜を歩く。

 たえが小屋の前で待っていた。

 かしぎの匂いが漂ってくる。

 漁師小屋のなかは囲炉裏が切ってあり、たえはそこで飯を炊いて源之進の帰りを待っていたのだ。


 たえが来たことによって緊張の糸が緩み、体の力みもとれて、なんとか裏七門まで辿り着くことができた。

 だが、そのたえの存在が最後の門までの道を阻んでいる。


 快楽と安寧。

 女という名のくびき

 過酷な運命の日、来たるべき刻に備えねばならぬというのに、憶心が音もなく忍びよってきている。


「おかえり」


 たえがとびっきりの笑顔を見せていった。

 吸い込まれそうな笑顔だ。

 魂が、信念が塩のように溶けそうになる。

 源之進はかろうじて踏みとどまった。


 源之助はたえにあいさつを返さず、無言で小屋のなかに入ると勝手に飯を食らった。

 いま、できることはそれしかないのだ。




   つづく


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る