第31話 狂犬王子の牙(1)

 ◆クロヴィス視点


 鏡を見ながら久しぶりに施した偽りのやけどの痕を確認し、その上に左半分の仮面をつけた。



「クロヴィス殿下、いよいよですね」

「そうだな」



 ニベルも王族の騎士だけが許されている国章入りのマントを羽織り、上機嫌にニッコリ微笑んでいた。俺が婚約するまで自分はしないと謎の忠誠を捧げたニベルも、ようやく恋人と婚約できるから当然か。


 ナディアは救世主だ。

 俺だけでなく王家にとっても、アスラン子爵家にとっても、彼女の台頭は諸問題を解決するきっかけになった。小さなこともあげれば、もたらされた利益は多い。終わった後に伝え彼女の価値を教えてあげよう。



 今日の夜会を乗り切れば、今まで出来なかったことが一気に進められる。婚約に、結婚、そしてマスカール伯爵家に対する制裁。


 横暴な俺がナディアにだけは優しい態度を取ればおのずと特別な仲に見え、『狂犬王子の寵愛を受けている』と周知でき、貴族たちは彼女に迂闊に手は出せなくなる。

 さすがに愚かなマスカール家も今後はナディアを虐げることは出来ないはずだ。



 ようやくナディアに安寧の庭を与えられる。



「ニベル、少し早いが彼女を迎えに行く」

「かしこまりました」



 王宮の迎えを寄越すとは伝えているが、俺が行くとは伝えていない。

 驚くだろうか、喜んでくれるだろうか――と彼女の反応が楽しみで、大人げなく浮足立ってしまう。こんな姿を他の貴族の前で晒せば、狂犬の名が折れてしまうな。


 そう思いながら馬車に乗り込もうとしたとき、ひとりの妖精が血相を変えて姿を現した。



「ナディア、倒レタ! 助ケテ!」

「――は!? 倒れたとは」

「屋敷デ、本読ンデタラ急ニ……クロヴィス、助ケテッテ」



 妖精によるとナディアは伯爵家をきちんと警戒し、指示に従いつつも飲食物には手を付けなかったという。入室後、数分もしないうちに意識を失い、声をかけても反応がないほど深い眠りについてしまったと教えられた。その間、伯爵たちは食堂で食事をとっていた、と……


 怪我や死ぬような毒で倒れたわけではなさそうだが、彼女が害されたことは変わりなく、腹の底からマグマのような熱い怒りが湧いてくる。



「クロヴィス殿下、どうしますか?」



 ニベルをはじめ、同行予定の腹心の騎士たち十名が殺気立ちながら指示を待っていた。

 周りは本当の狂犬が彼らだということを知らない。俺が手綱を手放した瞬間、容赦なく敵を切るような奴らだ。忠誠心が強すぎるのも問題だ。


 俺が冷静を失い、ナディアに血を見せるわけにはいかない。怒りを抑え込み、落ち着いて、迅速に――



「今すぐマスカール伯爵邸に行き、ナディアの無事を確認し保護する。俺が指示するまで絶対に口も手も出すな。静観していろ」

「はっ、仰せのままに」



 メモ紙に父上への伝言を書いて、妖精に渡すよう命じて馬車に乗り込んだ。


 そうしてマスカール伯爵家に着くと、伯爵が直々に馬車を出迎えた。俺が直接出向いてくるとは予想していなかったのか、顔色が悪い。

 扉を開いた状態で馬車に乗ったままの俺に、伯爵は平身低頭で謝罪を口にした。



「大変申し訳ございません。ナディアが急に体調を崩し、起きられない状態なのです。クロヴィス殿下にご足労頂いたのにもかかわらず、娘の不徳の致すところ、父親である私が代わってお詫び申し上げます」

「娘の不徳……か。どうして倒れたか原因は分かっているのか?」

「医者でも原因は分からないと」



 嘘だな。桃色の髪に緑色の瞳をした女の子の妖精――ナディアの言っていた「パールちゃん」と思われる妖精が必死に抗議のジェスチャーを送っている。

 よほどナディアが倒れたことがショックなのだろう。随分と泣き腫らした顔だ。可哀想に。


 しかし第二王子だからと言って証拠がない状態で、無理やり踏み込むわけにはいかない。当主に無許可でナディアを連れ去ったら、俺とて誘拐扱いされてしまう。俺は良くても父上の顔にはできるだけ泥を塗らないように、ことを進めなければ。



「その医者ヤブじゃないだろうな? 伯爵、ナディア嬢の様子を直接見せろ」

「それは……」



 明らかに戸惑うマスカール伯爵の後ろから、ナディアの義妹ジゼルが声をかけてきた。



「お父様、クロヴィス殿下を屋敷に案内しましょう? あとでお義姉様が恥ずかしくないよう、きちんと整えて寝かせてありますから」

「そ、そうだな」

「クロヴィス殿下、私ジゼルがご案内しますわ」



 そう言ってジゼル嬢は鬱陶しい視線を向けながら、微笑んだ。

 いかなる理由でも、王族のパートナーに穴をあける行為は家名に傷をつける行為。だというのにコイツは余裕の態度で、平気でナディアの元に案内するという。



 なるほど……とんだ自信だ。なら利用させてもらおうか。



「あぁ、頼んだ。マスカール伯爵家の花よ」



 手折ってやる。その毒花を――そう忌々しく思いながら口にした言葉に、ジゼル嬢は頬を染めた。



 騎士を二名だけ残し八名を引き連れ、屋敷に入ると二階の角部屋に案内された。扉が開けられると、ベッドサイドにマスカール伯爵夫人がハンカチを握りしめ座っていた。入室に気付くと慌てたように頭を垂れ、俺に場所を譲った。


 椅子に座りナディアの寝顔を見下ろす。

 呼吸は穏やかで、顔色も悪くない。あどけない無垢な寝顔だ。このような形で彼女の初めての寝顔を見るとは思わなかった。本当はもっと幸せな時間に包まれた状態で見たかったというのに。


 ベッドサイドのテーブルには水差しと小瓶が置かれ、一応看病していたアピールはしているようだ。


 ナディア嬢の髪をすくいあげ、香りを嗅いだ。背後でざわつく伯爵たちの気配を感じるが無視だ。

 ほのかに甘い、睡眠薬として使われるアロマの香りがした。



「ナディア嬢、勝手に寝るな。起きろ、俺の貴重な善意を裏切る気か?」



 濃く吸い込んでいるのか瞼ひとつ動かさない。

 興味が失せたように手のひらから髪を落とした。



「驚かそうと思ったが、反応がないところを見ると狸寝入りではなさそうだな。駄目か……」

「お義姉様はとても繊細な人ですわ。遅めの社交界デビューで気後れした上に、クロヴィス殿下に光栄にもエスコートしていただけることに対して緊張してしまったに違いありません。どうかお許しくださいませ」



 義姉を思う心優しい妹を演じているようだが、本音はどうだか。

 足を組み、背もたれに肘をかけ、あえてジゼル嬢に誘うような微笑みを向けて見せる。



「なら、伯爵家はどう埋め合わせしてくれる?」

「――! お義姉様はこのような状態です。夜会の前に起きたとしても、まともに参加することは難しいはずですわ。殿下にこれ以上の迷惑をかけるわけにはいきません。欠席が妥当かと」

「で?」

「それでも、このままではクロヴィス殿下のパートナーに穴をあけてしまい、ご迷惑をおかけすることには変わりません。そこで、私がお義姉様の代わりを務めるというのはどうでしょうか? 社交界は経験済みですし、立派にお隣に立ってみせますわ」



 この女は明るい声で、堂々とナディアの場所を奪う発言をした。

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