第29話 デビュタントへの階段(1)

 翌日、執務室に向かうことなく案内された空き部屋を見て、私は慄いた。


 部屋には何着もの豪華なドレスが運び込まれていたのだ。デザインはカタログに描かれていた絵と同じのはずなのだけれど、眩しさが違う。


 ただの絵ではフリルだと思っていたところには銀糸で編まれたようなレースが施されていたり、その上キラキラした石が縫い付けられていたりと、光の反射が凄いのだ。


 お義母様やジゼルのドレスでも高価なものなんだろうなと見ていたけれど、明らかにレベルが上のものだと素人目でも分かる。



「そんな遠くからじゃなくて、もっと近くで見たり触ったりしても良いんだぞ?」



 クロヴィス殿下はそう簡単に言うけれど、つい一か月前までメイドより質素な服を着ていた身としては恐れ多い。



「もう全部ナディアのドレスなんだから、遠慮はするな」

「え!? ぜ、全部……」

「当たり前だろう? まだ少ないから今度は仕立て屋を呼んでオーダーで作るからな」



 当然のように彼は言うが、あまりにも違う世界に驚きが隠せない。

 でも彼の妻として横に並び立つためには、慣れなければいけない。恐る恐る触れてみるが、滑らかさから絹の布地が使われていることを知って更に驚くだけだった。



「私が着て本当に大丈夫なんでしょうか? ドレスが勿体ないように感じてしまいます」

「そうか? これとか似合うだろう」



 クロヴィス殿下は淡いラベンダーカラーのドレスを一着手に取り、私の体に当てた。



 胸元から腰にかけてダイヤで出来たビーズが煌めき、ふんわりと広がるスカート部分にはレースでできた花が散りばめられている。

 用意されたドレスの中では色が一番落ち着いているものだけれど、装飾の細かさは一番だ。どれだけの労力とお金がつぎ込まれているのか怖くて聞けない。

 彼はそんなドレスと私を真顔でじっと見比べ、「うむ」と納得顔で頷いた。



「ナディアの深みのある青い髪と淡い色は相性が良いな。すみれ色の瞳と生地も同じ色で馴染みも良い。君の清廉さも損なわれないし、ドレスがきちんと君の良さを引き立てていて、綺麗だ。君は美しい」

「そ、そんな」

「俺は君が自分の魅力を自覚するまで言い続けるつもりだからな。無自覚に他の男を釣って、うろつかれたら堪らない。俺は君より嫉妬深い男だと覚えておいてくれ」

「……ありがとう、ございます」


 謙遜する言葉を言う隙も与えてくれない。朝から顔も熱いし、心臓が痛くてたまらない。

 そしてこれが彼の嫉妬というのならば嬉しいとも思ってしまい、思わずお礼を言ってしまった。

 すると引き寄せられ、また額に口付けを落とされてしまった。



「今のは君が悪い」

「も、申し訳ございません」



 私はクロヴィス殿下と結婚後、発作で死んでしまうのではないかと本気で思った。

 そしてこのやり取りのあとアスラン夫人も加わり、アクセサリー選びも交えて無事にドレスを選び終えた。



 ◇◇◇



 午後からはマナーの講師であるフレデリカ・バレ先生が緑の館にやってきた。

 フレデリカ先生はアスラン夫人の同性代の旧友であり、溌溂とした長身の美女だ。前守護者であるエルマン大公の娘で現在は侯爵夫人、クロヴィス殿下とは縁戚にあたる。



「姿勢は良いけれど、どうしても視線が下がりやすいわね」

「申し訳ございません」



 執務がある殿下の代わりに男装したフレデリカ先生がエスコートしながらレッスンしてくれるが、どうしても顔が下がってしまう。


 理由はふたつ。

 ひとつは着ている服が本番で選ばれなかった一級品のドレスとシューズであること。スカートの裾にはパールが揺れ、シューズで引っかけてしまわないかと足下が気になってしまっている。


 もうひとつは視線だ。フレデリカ先生が引き連れてきた侍女や護衛にじっと見られ、初めは上がっている視線も次第に下がってしまうのだ。



「引きこもり令嬢が慣れぬ視線に恥じらう感じも初々しくて良いけれど……狂犬の隣で立ったら、ナディアちゃんは怯える子犬に見えてしまうでしょうね。幸せに見えるどころか、誘拐してきたと思われかねないわ」

「そんな……!」

「ドレスには今日からずっと着て慣れてもらうことにして、視線にはどうやって慣れてもらおうかしら……ねぇ、あなたも確か愛し子だったわよね?」

「そうですが」

「ふふふ、良いことを思いついたわ」



 そうして視線克服のための作戦はエントランスホールで実行された。

 昼間にもかかわらず灯りがつけられたシャンデリアはホールの隅々まで光で照らし、その真下には隙間を埋め尽くすほどの妖精たち。


 この妖精たちはフレデリカ先生から協力を仰がれたクロヴィス殿下が、妖精たちに有志を募って集められたもの。

 命令ではないのに、これほど集まるとは思わなかった。



「ナディア綺麗」

「オ姫様ダァ」

「デモ王子、クロヴィスジャナイネー」

「フレデリカ、久シブリニ見タ!」



 妖精たちの視線が一斉にこちらを向いており、フレデリカ先生に連れられホールの真ん中に立つと前後左右のみならず、真下からも頭上からも妖精の視線が突き刺さる。

 私は多すぎる視線に何かが吹っ切れた。



「あら、変な力が抜けたわね。クロヴィス殿下に協力してもらった甲斐があったわ」

「フレデリカ先生の閃きのお陰でもあります。これで殿下の足を引っ張ることがなければ良いのですが」

「大丈夫よ。ドレスやアクセサリーも大切だけれど、一番の武器は自信と誇りよ。クロヴィス殿下に選ばれた女だということを忘れないで」

「はい。先生!」



 なんて格好良く麗しいお方なのでしょう。

 たおやかで柔らかいアスラン夫人にも憧れているけれど、凛としたフレデリカ様にも近づきたいと思ってしまう。



「ふふふ、可愛いわね」

「そんな……先生っ」



 まるでこれからダンスでもするかのように、手を取られ、腰には手が回る。



「そこまでだ! 様子を見に来てみれば……バレ夫人、俺の婚約者を誘惑しないでくれ」

「あら、鼻の利く狂犬だこと」


 フレデリカ先生に引き寄せられた腰は、クロヴィス殿下の登場であっさり解放された。

 代わりに腰には彼の手が回り、私の背はストンと彼の胸に預ける形となった。



 ふたりの会話によると、どうやらフレデリカ先生は社交界では男装麗人として有名で、ファンも多いというのだ。

 先生が主催するサロンは人気で、旦那様を放り出して熱中する夫人もいるらしい。

 クロヴィス殿下は私がその世界へ行ってしまうのを危惧されたのだ。



「クロヴィス殿下、私は大丈夫ですよ。フレデリカ先生に傾倒するというよりは、先生のように凛と格好良くなりたいなと憧れただけです」

「ナディアはそのままの方が可愛らしくて良い。変わってくれるな」

「は、はい」



 あぁ、クロヴィス殿下……酷いです。ふたりきりのときだけでなく先生や護衛騎士の前でも言うなんて。

 恥ずかしさでどうしようもなくなり、克服したはずの視線に堪えられず、私はしばらく顔を俯かせた。



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