第16話 妖精の森(1)

「一緒に森に出かけないか?」



 軟膏を作り終えたタイミングでクロヴィス殿下からお誘いされ、私は確かに頷いたのだけれど……



「ほら、手を出せ」

「えっと」



 約束の日、私は戸惑いを返すので精一杯だった。

 今回は妖精の愛し子しか立ち入れない場所に寄るため、アスラン卿など騎士は同行しない。


 そこに行くまでには整備された道はなく、馬車で入ることはできないため馬に乗るしかなかった。

 そして目の前には馬が二頭いるのに、私はクロヴィス殿下と同じ馬に乗るよう促されていた。いわゆる相乗りというものだ。



「殿下の乗る馬が綱を引いてくださるのなら、乗っているだけですし、私ひとりでも大丈夫です」



 今日はアスラン夫人が用意してくれた乗馬服も着ており、跨ぐことができる。

 けれどもクロヴィス殿下はむすっとした表情で納得してくれない。



「ひとりで乗ったこともないのに、よく言う。思った以上に馬の上は不安定なのを知らないから言えるんだ。危ない」

「ですが、それでは殿下にご負担が」

「君ひとり負担になるはずがないだろう。喜んで支えてやる」

「喜んでって……」



 戸惑っている間にも空いている馬の背には荷物が乗せられてしまい、逃げ道はなくなってしまった。

 諦めて彼の手を握った。



「お、お願いします」

あぶみに片足をかけて地面を蹴るんだ」



 言われた通りにした瞬間、力強く引き寄せられ、あっという間にクロヴィス殿下の腕の中に納まった。お腹に腕が回され、私の背中が彼の胸に密着する。

 耳元で「よし」という満足げな声が聞こえ、あまりの近さに鼓動が速まった。



「では留守は任せた」

「かしこまりました。お気をつけて」



 アスラン夫人や騎士たちに見送られ、馬はゆっくりと歩きだした。

 本当にゆっくりだ。それでも馬の上は想像以上に揺れ、慌ててくらの前についている持ち手を強く握った。



「前のめりになるな。持ち手を掴んだまま重心を全て俺に預けて、身を任せろ」

「……はい」



 恥ずかしさよりも落馬の恐怖が勝り、素直に後ろにいるクロヴィス殿下にもたれかかった。ぐらついていた体の揺れは小さくなり、ホッと肩の力が抜けた。

 ひとりで乗っていたら本当に危なかった。



「ありがとうございます」

「じゃあ少し速度をあげるぞ」



 馬が軽やかに駆けだした。その分揺れが大きくなるが、クロヴィス殿下のお陰で体は安定している。


 揺れのリズムに体が慣れてくると、周りの景色を楽しむ余裕も出てくるもので。

 大小さまざまな木に、濃淡のある葉、太陽の光を柔らかくしてくれる木漏れ日、小さな鳥たち全てが目新しい。

 お陰でクロヴィス殿下と密着していても、変に緊張せずにいられている。



「とても綺麗なところですね。空気も澄んでいて、余計な音もなくて」

「森に入るのは初めてか?」

「はい」



 お母様はいつでもお父様を迎えられるようにと、屋敷からほとんど離れなかった。必然的に私の世界は屋敷の中のみで、温室が貴重な緑と関われる空間だった。


 それはお母様が亡くなってからも同じで、こうやってクロヴィス殿下にお仕えるする機会がなかったら私の世界は狭いままだった。



「これから行くところはもっと綺麗なところだ。楽しみしていろ」



 こうして馬に乗って三十分ほど、お尻が痛くなってきてどうしようかと思った頃、森が開けた。

 そこは色とりどりの花が咲き誇る平原が広がっていた。楽園と見紛うほどの絶景に言葉を失う。



「どうだ。今日は晴れているからより綺麗なはずだ」



 クロヴィス殿下の腕の中で静かに頷いた。夢でも見たことのない美しさに、圧倒されていた。

 馬は止まることなく花畑の上を歩いていき、地面に突き刺さった大きな杖の前で止まった。

 先に彼が馬から降り、両手を広げた。



「ほら、来い」

「失礼します」



 脚立のときと同じように両手を重ねて降り立てば、地面に近くなった分花の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。



「ここが四賢者の集い場だ。早速お出ましだ」



 賢者とは妖精女王より力を分け与えられた眷属であり、エルランジェ王国の妖精をまとめ、森を守る存在だ。

守護者よりも賢者の方が妖精の世界では格上。殿下いわく直属の上司らしい。



 国のあちこちにいる妖精たちの情報はここに集められ、賢者から守護者に伝えられる。

 災害の予兆など国のどこかで異変があれば馬よりも早く伝えられ、守護者の口から国王や王太子、宰相に伝えられることで、迅速に対応できるようになっている。


 災害であれば応援の派遣の準備を、干ばつが見受けられれば食料の確保を、反乱があれば早めに芽を摘む。

 クロヴィス殿下はひとりで情報の窓口の役割を担っている。



 私たちの前に大きな光が四つ現れ、角が立派な牡鹿、真っ白なふくろう、灰藍色の狼、大きな蜂へとそれぞれ姿を変えた。

 クロヴィス殿下が賢者たちに向かって腰を折ったので、私も倣って深々と頭を下げた。



「紹介したい人を連れてきました」

「ふむ、この娘か。妖精たちから聞いている。頭をあげよ」



 牡鹿の賢者に言われ、私は名乗ってから頭をあげた。

 四つの視線が集まる。見定めるようなものではなく、なんだか生温い類に感じるのは気のせいだろうか。



「これだけ既に妖精の加護を授かっていれば問題ないだろう。我々も安心だ。おめでとう」

「おめでとう、ですか?」

「まだ、気にしなくていい! 賢者たちよ、まずは定期報告をいただけるだろうか」



 急に焦った様子でクロヴィス殿下が遮ったため、祝福の理由を聞き損ねてしまった。


 私は賢者たちと殿下が情報交換をしている間に、馬の背から荷物を降ろす。大きなバスケットがふたつと小さなバスケットがひとつ。

 大きなバスケットの蓋を開けると今まで姿を消していた妖精たちが一斉に姿を現した。

 視界を埋め尽くす数に一瞬驚いたけれど、「どうぞ」と笑顔で招く。



「ワーイ!」

「人間ノオ菓子ダ」

「イツモヨリ多イヨ」



 アスラン夫人と前日から準備しておいたクッキーとフィナンシェを見て、妖精たちはお行儀よく一個だけ選ぶと花畑に散って食べ始めた。

 彼らにとって人間の菓子は大きい。小さな口を大きく開けて頬張る姿は可愛らしく、見ていてとても癒される。頑張って作った甲斐があるものだ。



「本当に素敵なところだわ」



 美しいな花畑に可愛い妖精たち。綺麗なものばかりが集められた空間は、本物の楽園だった。

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