第14話 温かさを知る(2)

 クロヴィス殿下に連れられて執務室に行くと、新しい机が運び込まれており、その上には本が積まれていた。

 どれも妖精に関する書物ばかりだ。



「妖精に関する書物はこの部屋から持ち出せないため、ここで勉強してもらう。俺のことは気にせず出入りしてかまわない。机も自由に使ってくれ」

「お気遣いありがとうございます」

「またナディア嬢をどのように国の庇護下に置くかは検討中だ。家族に打ち明けることができれば色々と手続きが簡単なのだが、マスカール伯爵相手にはできないと判断した。決して妖精に関することは告げぬよう」

「かしこまりました」

「君が俺や王家にとって特別な存在になったことが知られぬよう動かなければならない。再度マスカール伯爵家を調査し、判断する。もどかしい時間ができてしまうが、きちんと告げられるまで待って欲しい」



 クロヴィス殿下は神妙な顔つきでそう言った。

 本当に愛し子というのはすごい存在らしい。今は実感がないけれど、守護者であるクロヴィス殿下が特別と言ってくれたのだ。

 愛し子として恥じぬよう学ぼうと心の中で誓いを立てた。



「ちなみに君に何か希望や願いはあるか?」

「希望ですか?」

「たとえば――いや、何でもいい。俺が叶えられることがあれば、気軽に言ってくれ」

「そうですね」



 一応考えてみるが希望もずっと雇って欲しいというくらいで、それは私の働き次第なのでわざわざ言う必要はない。

 クロヴィス殿下には十分に良くしてもらっていて、短い間に私は嬉しいことばかり与えてもらっている。どちらかと言えば恩返しがしたい。



「クロヴィス殿下が喜んでくださるようなことができるようになりたいです。ですから殿下のことを色々と教えてくださると、とても嬉しいのですが」

「――っ」



 クロヴィス殿下は額を手で押さえて天を仰ぎ、ため息をついた。

 未熟者の私が言うには生意気な願いだと、呆れてしまったのかしら。



「殿下、申し――」

「俺は紅茶は渋めのストレートが好きだ。甘いものも嫌いじゃないし、食事の量はよく食べる方だと思う。乗馬はよくするし、妖精たちと森へと出かけることも多い。本を読むのも好きで小説も経済の本もなんでもありだ」

「は、はい」

「で、ナディア嬢はどうなんだ?」

「え?」



 額を押さえていた手が外され、クロヴィス殿下のエメラルドのような瞳がこちらを向いた。



「次は君のことを教えてくれ」



 狙いを定めたような鋭い視線に心臓がドキンと飛び跳ねる。

 けれども敵意のようなものを感じないせいか、睨まれていても不思議と怖くない。



「私は……紅茶はミルクを混ぜるのが好きです。私も甘いものは好きで、辛いものでなければ何でも食べられます。特に趣味と呼べるものはありませんが、薬草の手入れや自分で化粧品を作るのは好きかもしれません」

「なるほど、覚えておこう」



 私が部下だからなのか、愛し子だからなのか、クロヴィス殿下は目下の人間の好みまで把握してくれるらしい。

 ますます尊敬の念が膨らんでいく。



「お気遣いいただきありがとうございます」

「俺のことを知って欲しいし、君のことも知りたいと思ったからな。先ほども言ったが俺が叶えられるものは叶えてやる。欲しいものがあれば遠慮なく言え」

「はい。私も殿下のことをきちんと覚え、しっかりと仕えられるように努めます」

「……あぁ、うん。今はそれでいいか」



 彼は肩をすくめると、自分の机へと向かわれてしまった。分厚い本のページを捲りながら、ひたすら紙に文字を綴りはじめた。



 私も立派に仕えると宣言した以上、しっかりしなければいけない。新しく用意してもらった机に座った。ささくれひとつない滑らかな木肌の机に、程よい弾力のクッションが施された椅子は素人でも高級品だと分かる。



「ナディア、嬉シイ?」

「えぇ、とても。こんなにも素敵なものを用意していただいて、嬉しくないはずがないわ」

「ダッテ、クロヴィスゥ~良カッタネ」



 妖精がクロヴィス殿下に話を振ってしまい、仕事の邪魔をしてしまうのではと焦るが、彼は「そうか」と少しだけ口元を緩ませすぐに仕事に意識を戻された。



 妖精の勉強はとても興味深く、楽しくすることができた。分からないところで手が止まると妖精たち自ら教えてくれるのだ。


 彼らは小さな魔法が使うことができ、風や水、火など小さいが生み出せるらしい。普段は植物の余った生命力を栄養としているが、人間が食べるお菓子が大好物だという。

 エルランジェ王国以外にも妖精を主神としている国はいくつか存在しており、女王のように眠らず見守る若い妖精王もいるんだとか。

 けれどもどの国も妖精の存在を公表していない。



「どうして存在自体を秘密にするのかしら?」

「妖精ト守護者ガ悪用サレナイタメダヨ」

「悪用ってどのようなことをするの?」

「ウーン……」

「代表されるのは戦争だ」



 妖精が答えに詰まると、クロヴィス殿下が代わりに答えてくれた。彼は仕事の手を止めて本棚から一冊の本を取り出すと、私の前に広げた。



「二百年前、西の帝国では領土を広げるために隣国に戦争を仕掛けた。そのとき欲に目がくらんだ帝王はその国の守護者に対して妖精に魔法を使うよう命じ、利用しようとしたんだ。結局は当時の妖精王の怒りを買い、帝国は謎の災害に遭って自滅するように滅んだ」

「小さな魔法を使う妖精と違い、王や女王と呼ばれる妖精の力は絶大なのですね。それでは守護者はどうなったのですか?」

「妖精王に資格を剥奪され烙印を押された。帝王の命令を拒絶すれば良かったものの従い、妖精を危険に晒したとして罰せられた。利用したとしても、単なる情報収集のみで済ませておけばいいものの」



 大陸一の栄華を誇っていた帝国が滅んだ話は妖精に関わる者全てに周知され、同じ歴史を繰り返さないための戒めにされているらしい。



「でも守護者は王の命令で仕方なかったのでは……なんだかお気の毒ですわ」

「王を選ぶか、妖精王の意志を選ぶか。いかなる条件でも守護者は絶対に妖精王を選ばなくてはいけない。それを条件に妖精への命令権をもらい、国の繁栄のための助力を得ているのだからな。あくまで妖精の善意による助力……妖精に危険が及んではいけないんだ」



 妖精と人間の関係を正しく繋ぐ。守護者とは本当にとても責任の重いお立場なのだと知った。

 少しだけ重い空気が流れた。けれどもちょうど軽快なノックの音で、空気が変わる。



「さぁ休憩にいたしましょうね。久々ですから、はりきったのですよ。ほらニベル持ってきなさい」

「分かりましたよ、母上。さぁクロヴィス殿下とナディア嬢はソファにお座りください」



 アスラン卿がお茶のセットを載せた大きなトレーをテーブルに置くと、アスラン夫人がティーカップに紅茶を注ぎ、マフィンやクッキーを皿に取り分けてカップの隣に置いた。

 ちょうど四人分だ。執務室は紅茶と甘い香りが広がる。



「ナディア嬢、こっちだ」

「はい」



 そうして私は流れるようなエスコートで、再びクロヴィス殿下の隣に座らせられてしまった。正面には同じような笑みを浮かべたアスラン親子。

 どうして私がクロヴィス殿下の隣に――と思ったけれど、この並びしか選択肢がないようにも思える。


 クロヴィス殿下が紅茶と菓子に手を付けたのを確認して、私もマフィンを口に運んだ。



「ふわふわ……さすが王宮の用意するものは格別ですね」



 余りのおいしさに目を輝かせると、アスラン夫人が嬉しそうに「まぁ、まぁ聞いた?」と頬を上気させながら、息子の肩を叩いた。



「ナディア嬢、これはアスラン夫人の手作りだ。実は今まで届けられていた昼食も夫人が王宮で作っていたものなんだ」

「あの豪華で美味しいお弁当もアスラン夫人が?」



 完全にプロが作るレベルの味だ。

 自慢げに言ったクロヴィス殿下は上機嫌でクッキーを次々と口に運んでいる。教えてもらった通り、見事な食べっぷりだ。



「どうしてこんなにも美味しく作れるのでしょうか? 私はあまり料理に関しては得意ではないので羨ましいですわ」

「だそうだ、アスラン夫人」



 クロヴィス殿下がアスラン夫人に話を振ると、彼女は満面の笑みで頷いた。



「ふふふ、坊ちゃんの許可がでたようですからナディア様、今度一緒に作ってみましょうか」

「宜しいのですか?」

「えぇ、貴族夫人や令嬢が厨房に立つことに偏見を持たず、褒めてくれたことが嬉しいですからね。惜しまず教えますよ」



 こうして約束した次の日から、私はアスラン夫人から料理や菓子作りを教われることになった。

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