第2話 伯爵家のシンデレラ(2)


 あくる日も嫌がらせは続いていた。


 お義母様に呼ばれていけば、頼まれてもいないのに「お茶の用意が遅いわ」と挨拶代わりに文句を言われる。屋敷には多くの使用人がいるから、そのものに頼めば何不自由なく快適で優雅な生活が送れるというのに。

 彼女は文句を言わないと死んでしまう病気なのかもしれない。



「どうぞお待たせしました」

「こんなに熱いものを飲ませる気?」

「――っ!?」



 ティーカップが|ひるがえり、パシャリと湯気の立つ紅茶が私の手にかかった。指定された紅茶は熱湯で淹れるのが望ましい銘柄だと指定しておいてこの仕打ち。

 熱さのあまり顔を歪めれば、お義母様はひときわ嬉しそうな笑みを浮かべた。



「お母様、やりすぎですわ。さすがに痕が残ったら……」



 隣に座るジゼルの慌てる声に、お義母様の顔色はサッと悪くなる。


 一度私は激高したお義母様に酷い折檻を受けたことがある。匿名の告発で、王宮の騎士が事情を聞きにくるほどの怪我を負った。

 けれども口の中が切れ、腫れ、何も私が話せないのを良いことに、お父様が「侵入した不審者に襲われた」と誤魔化して隠し通した。



 匿名の告発――しかも目撃証言だけでは証拠として弱く、真実が明かされることはなかった。これを機に私と親しかった使用人は入れ替えられ、屋敷を去った。


 義妹ジゼルは義母に何かあれば巻き込まれる立場。普段は義母のそばで嫌がらせの現場を眺めているけれど、度が超えそうになれば感情の起伏が激しい義母を諫めるようになった。

 同じ轍を踏まないようにお義母様のをコントロールするあたり、お義母様よりジゼルの方が恐ろしい。



「そ、そうね。ナディア、さっさと冷やしにいきないさい。今日はもう来なくていいわ」

「はい。失礼いたします」



 頭を下げて退室したら、まっすぐ屋敷の離れにある小さな一軒家に駆け込んだ。

 棚から小さな瓶を取り出し、中に入っている軟膏を火傷したところにたっぷりと塗り込んだ。



「よかった……水ぶくれができる前で」



 ピリピリと痛んでいた腕だったけれど、赤みと共に引いていく。



「さすがお母様の執念のレシピだけあるわね」



 この一軒家は生前お母様が美しさを取り戻すために、オリジナルの化粧品を研究していた場所だ。この小さな研究棟の隣には化粧品の原料となる薬草を栽培する温室もある。


 ここは静かで好きだ。悪意のある言葉も視線もない。


 何より、お母様の思い出が色濃く残る場所にもかかわらず、お義母様とジゼルが手出ししない唯一の場所なのだ。



「本当に現金な人たちよね。パールちゃんもそう思うでしょ?」



 私はフワフワと浮きながら近づいてくる球体をした光に話しかける。すると光は点滅しながら、火傷をしていた腕の上で止まった。



「心配してくれるの? ありがとう」



 私は幼いころから普通の人には見えない存在が見える。パールちゃんと呼んでいる光の存在がその代表だ。

 お母様からはお父様に気味悪がられ避けられたらいけないと言われ、口止めされてから誰にも明かしたことのない秘密。


 それでも私にとってはパールちゃんは物心ついたときから側にいてくれる、大切な友達だ。



「軟膏と美容クリームが減ってきたわね。蜜蝋とパーム油が残っているから在庫を作ろうかしら。パールちゃん、お手伝いお願いできる?」



 パールちゃんは同意するように光を点滅させ、私の頭のあたりを周回した。言葉は直接交わせないものの、意思疎通はできる。



「クリームが切れたらお母様とジゼルがうるさいのよね」



 特性の美容クリームはシミが出やすい年頃のお義母様や、肌の弱いジゼルの機嫌をとるに貴重な武器。他にも日常使いの化粧水や乳液も私が作っている。


 温室へ行き、薬草をバスケットに一杯分だけ採集していく。

 瑞々しいうちにお湯で軽く茹で、しっかりと磨り潰す。潰したものはさらし布で包み、絞ってエキスを抽出する。あとは温度を測りながら蜜蝋や香りづけのオイルなどを加え、白くなるまで根気強くかき混ぜていった。



「パールちゃん、いいかしら?」



 光の球体からきらきらとした光る粉が落ちてくる。もう一度しっかりと混ぜ合わせれば特別な美容クリームの出来上がり。私がお母様のレシピを引き継いで作るようになってから手伝ってくれている。



 実は私が作る化粧品がよく効くのはパールちゃんがくれる光の粉のお陰。



 元から化粧品としても品質が高かったものに、光の粉が加わわることで使えば肌荒れも怪我も魔法のような速さで治ってしまう。

 何度かお義母様たちが薬師を呼んでレシピをもとに再現しようとしたが、同じ効果のものはできなかった。


 私とパールちゃん、そして温室と研究棟無くしてはできない代物で、それを手に入れたいがためにお義母様とジゼルはここには手出ししないのだ。

 ガラスの瓶に入れて、棚に並べていけばクリーム作りは終わりだ。



「本当に、私はいつまでこんなことしなきゃいけないのかしら」



 綺麗に並べ終えた瓶を眺め、ため息をついた。



『マスカール伯爵家の正妻の子は、長女はナディアだけよ。あなたがいる限り、あの泥棒猫とその娘の好きにはさせないわ。あなたはわたしの切り札よ。この家はわたしたちのもの……奪わせないわ』



 そうお母様は言っていたが、残念ながら捨て札の状態だ。

 伯爵家はおそらく可愛がられている義妹ジゼルが婿を取り、婿が後継者になるはずだ。



 けれど婿が来たあと、私はどうなるのだろう。



 婿の前でも変わらず嫌がらせされるのかしら。それとも「引きこもり」という嘘を真実にするために、監禁でもするつもりかしら。


 社交界にも出ておらず、求婚して連れ出してくれる人はいない。外出もできないため、庶民の暮らしも知らない私は外では生きていける気もしない。



 一度、苦境から逃げ出したくて裏門から一歩出たことがあったが、パールちゃんは私の服を引っ張り引き留めた。

 どうして止めるの――と葛藤している間に未知の世界に恐れをなして、それ以上足が動かなかった。引き返したのは言うまでもない。



「本当に情けないわよね。一生使用人のように生きよと神は言っているのかしら。酷い神もいたものね」

 


 パールちゃんが慰めるように頬にすり寄ってきた。


「いつものことなのに、どうして今日はこんなに感傷的になっちゃったんだろうね。もう大丈夫。ありがとうね」



 けれど思わず神を冒涜した言葉を漏らしたのが悪かったのか、翌日父親であるマスカール伯爵に呼びつけられたのだった。

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