身代わりの生贄だったはずの私、狂犬王子の愛に困惑中

長月おと

第1話 伯爵家のシンデレラ(1)

 ここは歴史の長いマスカール伯爵家の屋敷。伯爵家の歴史の分だけ屋敷も古く、何度も修繕を繰り返しているけれど、荘厳さは損なわれず美しさを保っている。


 それだけに窓の数は多く、一日あっても到底ひとりで拭き終わりそうもない。それでも私はひとりで拭かなければならない。




 研き終わった窓には青に少し闇を落としたような露草色の髪を簡単にまとめ、スミレ色の瞳に諦めの色を抱える女が写っていた。


 窓に映るのはナディア・マスカール。間違いなく伯爵家の長女の姿だ。



「まだここの掃除も終わってないの? これではお客様が来たときに恥をかいてしまうのはわたくしなのよ。あの女の子どもはやっぱりグズね」

「お母様、お義姉様をあまり責めないで。元から要領が悪いのだから仕方ないのよ」

 


 濡れた雑巾を手にしている私の目の前で、煌びやかに着飾った伯爵家の現在の女主人オルガ様が掃除前の窓枠を指で撫でた。言葉よりも蔑む視線の方が鋭く、真っ赤な口紅を引いた唇は歪な弧を描いている。


 その隣にはオルガ様と同じ甘い蜂蜜色の髪をした少女が、私と同じスミレ色の瞳で母親と同類の視線を送ってきた。誰もが可憐だと賞賛する彼女の顔は、優越感に浸った表情を浮かべている。


 悲しくも彼女たちは私の現在の義母と義妹にあたる人たちだ。



「まぁジゼルは優しいのね。ナディアにも気を配るなんて、自慢の娘よ」

「当然ですわ。お母様も根気強くお掃除について教えるなんて優しくてよ。それよりもお母様、明日の夜会のドレスを一緒に選んで欲しいから来てくださる?」

「良いわよ。ナディア、きちんと綺麗にしておきなさいよ」



 ふたりは私の服装を一瞥し、鼻で笑ったあと衣裳部屋へと入っていった。



「飽きないわね……」



 優しい人間ならば、義理の家族を使用人のように扱ったりしない。毎日繰り返される茶番ももう飽き飽きだ。


 もう一度窓に視線を戻し、鼻で笑われた姿を確認する。服装は平民と変わらぬ質素なワンピースにエプロンの組み合わせは、制服のあるメイドよりもみすぼらしいかもしれない。実母と瓜二つの顔には化粧もない。


 令嬢とは程遠い姿に苦笑した。


 どうしてこうなったかと言うと、全ては父の不貞が招いたこと。

 私の実母は父であるマスカール伯爵を愛していた。お父様は娘の私から見ても容姿が良かった。柔らかい落ち着いた茶色い髪に、髪色とは対称に明るいすみれ色の瞳。若いころは数多くの浮名を流したそうだ。



 生家に反対されながらもお母様はずっとお父様に一途で、その気持ちが通じて婚約したはずだった。



 けれどお父様のお気持ちはお母様だけに向けられていなかった。



 お母様が私を身ごもって半年後、浮気相手の妊娠も発覚。もちろん歓迎されることではなく、あろうことかお父様は逃げるように浮気相手のいる別宅に入り浸るようになった。



「早く若さと美しさを取り戻さないと。取り戻せば旦那様の心もきっと、あの頃と同じように――」



 お父様を妄信的に愛していたお母様はあの手この手で心を取り戻そうと努力を重ねたが叶わず、最後は病んでしまった。

 心だけでなく徐々に体も弱り、私が十二歳のときお母様は風邪を召して、天に昇っていった。



『唯一の心残りは……この死に際になっても旦那様があの女のそばにいることよ……何が違ったの?』



 遺言は私に向けてではなく、愛を取り戻せなった無念の言葉だった。


 愛に狂う。執着とはこういうことなのかと幼心なりに、衝撃を受けた記憶は今も色褪せない。


 そしてお母様が亡くなって半年後、お父様の不倫相手の女とその娘――義母オルガと義妹ジゼルがマスカール伯爵家に越してきた。



 それから生活は一変した。

 後妻である義母にとってお母様は憎き恋敵。真実の愛を邪魔する障害とでも映っているのでしょう。母の現身のような私を目の敵にした。そんな義母が育てた娘も同じ思考になるのは当然で、ジゼルも私を敵視していた。


 どうみても私たち母子よりも父の愛情を惜しみなく受け取っていたはずなのに、意味が分からない――そんな考えが顔に出ていたのだろう。


 怒りを煽り、今のようになるまで時間はかからなかった。



 私が使用人のように扱われても、お父様が見て見ぬふりをし義母たちを諫めなかったことが拍車をかけた。


 父親として既に期待はしていなかった。けれども当主として正妻の娘を保護するくらいは――という人としての期待はあったけれど、簡単に消えた。

 ここに私の家族はいない。仲間に入りたいなんて思っていないから、放っておいてくれればいいのにといつも思う。



「ジゼルには薄い桃色が良いと思うわ」

「そうかしら。でもこの前お父様にいただいたピンクダイヤと色が被ってしまうわ」

「モスグリーンにしたらどう? 前に注文していたのが出来ていたでしょう?」

「そうでしたわね、ふふ」



 窓拭きを進めていると、衣裳部屋の扉の奥から明るい弾んだ声が聞こえる。

 私とは無縁の世界だ。

 貴族の子息子女ならば十五歳で行なうはずの洗礼式とデビュタントもなくニ年が過ぎ、社交界とは一切関係のない環境に置かれている。



 社交界には『ナディアはお母様が亡くなってからずっと塞ぎ込み、部屋に引きこもっている』と周囲には話しているようだ。

 可哀想な私のために義母は無理やり連れださず見守り、義妹が代わりに人脈作りに勤しむなんていう美談まで作り上げる徹底ぶりだ。



 その割には屋敷でこれみよがしに華やかな茶会を開く。私は軟禁された部屋から、庭で行われている光景を見ているだけ。



「……最低限でも衣食住があるだけマシと思いましょう」



 自分にそう言い聞かせ、私は次の窓を拭き始めたのだった。

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